Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe315年   

313年gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト)324年

コンスタンティヌス、覇権へ

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概略

315年、不祥事を起してリキニウスの許に逃げた親族の引渡しを求めたコンスタンティヌスに対し、リキニウスが拒絶したことが内戦の大義名分となった。

コンスタンティヌス帝率いるライン河防衛線を守るガリア兵とリキニウス帝率いるドナウ河防衛線を守るバルカン兵の精鋭同士の戦いとなった;キバラエの戦い。激戦の末、リキニウスは首都シルミウムにも立ち寄らずにトラキアへ逃げる。第二戦にも敗れたリキニウスは、妻でありコンスタンティヌスの異母妹のコンスタンティアを仲介に立て、和睦を図る。リキニウスの領土は小アジアから東に限定され、ローマ帝国最強のガリア防衛線軍団とドナウ防衛線軍団は、ともにコンスタンティヌス帝のものとなった。


地域 イタリア、ガリア、スペイン、ブリタニア、 北アフリカ全域、ドナウ河流域

小アジア、パレスティナ、エジプト

帝位 西方正帝 東方正帝
皇帝 コンスタンティヌス リキニウス
313年時 40歳 50歳
首都 首都;ミラノ 首都;シルミウム

コンスタンティヌス、覇権へ
314年

アルル公会議;軍役を否認する信者の破門を定める。ドナトゥス派の主張を退ける。

ローマ司教シルヴェステル1世就任(〜335)

315年 コンスタンティヌス、リキニウスとパンノニアのキバラエ付近で対戦し、破る。講和により、リキニウスの統治領を小アジア以東に制限。

資料  塩野七生『ローマ人の物語XIII 最後の努力』
 石橋秀雄他 『世界史大年表』