| 軍人皇帝政権は安定せず、ゲルマン民族の侵入が活発化 |
| 249年 |
デキウス、軍隊に擁立される(〜251);初めてパンノニア出身の皇帝 |
| デキウス、フィリップスをヴェローナで敗死させる |
| ゴート族クニヴァ王、トラキアに侵入 |
| デキウスのキリスト教大迫害始まる(〜251) |
| 250年 |
デキウス、ローマ全市民にローマの神々への供犠を強要する勅令を発布 |
| クニヴァ王の率いるゴート族、再びトラキアへ侵寇;クニヴァ、デキウスをベロイアで破り、フィリッポポリスを占領 |
| 疫病がエジプトから流行し、帝国全土に広まる(〜270) |
| 251年 |
デキウスの二人の息子共治皇帝となる |
| デキウスと長子、ゴート族と戦い、アブリットゥスの戦いで戦死 |
| ローマ、ゴート族と和約を締結;償金の支払いで撤退を約させる |
| トレボニアヌス=ガルス即位(〜253) |
| 共治皇帝デキウスの次子、疫病で没 |
| 252年 |
ゴート族イリュリクムなどの属州に侵入 |
| 253年 |
アエミリアヌス、ゴート族を撃退 |
| アエミリアヌス、モエシア軍団に擁立され、皇帝を宣してローマに向かう。インテラムナ付近でガルス殺害後、元老院に承認されるが、軍隊に殺される |
| 軍人皇帝ウァレリアヌス即位(〜268);息子ガリエヌスを西方皇帝(〜268)とし、自らは東方皇帝となる |
| ゴート族、海路小アジアへ最初の遠征;ポントス地方を略奪 |
| 254年 |
ゴート族、トラキア・マケドニア方面に侵寇 |
| アレマンニ族、パンノニアに侵寇、ラヴェンナまで略奪 |
| 256年 |
フランク族・アレマンニ族、長城(リメス)を突破し、ガリアに侵入 |
| ゴート族・カルピ族、ダキアを占領 |
| ゴート族、再び小アジアに第2回海上遠征;ビテュニアに侵入、全土を略奪 |
| 257年 |
キリスト教会指導者に供犠を要求する勅令、発布される |
| フランク族、ガリア・スペイン経由で北アフリカに侵入 |
| 258年 |
ウァレリアヌス、キリスト教徒を迫害(〜260) |
| ガリエヌス、アレマンニ族をミラノ(メディオラヌム)で撃退 |
| 上ゲルマニア・ラエティアの長城(リメス)を放棄 |
| カルタゴ司教キプリアヌス殉教(主著『カトリック教会統一論』) |