[ 参考書籍 ]
『ローマ人の物語』のページ [工事中]
211年〜284年A.D 73年間で22人の皇帝が廃立し、混迷を深める3世紀のローマ。西方でのササン朝ペルシアの勃興、対ペルシア戦での皇帝捕囚、ガリア帝国の分離、パルミラの独立的な動きなどの混乱。そして、始まったゲルマン民族の侵入。それらの対応で疲弊する農村経済と都市への窮民の流入。坂を下り始め、いままで多くの国家的な危機を回避してきたローマのシステムが機能しなくなりはじめていた。[2003年12月発行]
ディオクレティアヌス帝は蛮族の侵入に悩まされるローマ帝国を、分割して統治する「四頭政」のシステムを導入した。これを崩壊させ、再び一人の手に権力を握ったのが、コンスタンティヌス帝であった。彼は、キリスト教を公認し、ローマ帝国を統治する手段として、キリスト教を振興した。コンスタンティヌス帝により、ローマ帝国は事実上終わりを告げ、中世の扉を開いたといえる。
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