背教者ユリアヌスによる統一とペルシア遠征 |
361年 |
11月、コンスタンティウス死去。後継者にユリアヌスを指名。
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12月、ユリアヌス帝、コンスタンティノープルに入城。キリスト教優遇策を撤廃し、ギリシア・ローマ宗教の再興を図る。
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362年 |
ユリアヌス帝、ペルシアとの戦役のため、コンスタンティノープルを発ち、東へ向かう。
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ユリアヌス帝、アンティオキアに入る。『ミソポゴン』を執筆し刊行。
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3月、ユリアヌス帝、アンティオキアを出発し、メソポタミアへ向かう。
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ユリアヌス帝、ペルシア軍と対戦。補給をユーフラテス河上の船だけに頼ったが、補給路が確保できず、船団を焼き、退却。
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6月、ユリアヌス帝、行軍中にペルシア軍の襲撃に遭い、負傷。その夜死去。味方からの槍による負傷とも言われている。;コンスタンティヌス朝終焉
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皇帝護衛隊長ヨヴィアヌス、皇帝に選ばれる。ヨウィアヌス、北部メソポタミアをペルシアに割譲し、講和を結ぶ。
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ヨウィアヌス帝、アンティオキアへ入る。ユリアヌスのローマ・ギリシア宗教優遇策を取り消す。
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ペルシアがアルメニアの王を殺し、属国化する。
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364年 |
ヨウィアヌス帝、ペルシア遠征からの帰途、急死。 |
ウァレンティアヌス1世、軍隊に擁立され、西方皇帝となる(〜375)。弟ウァレンスを東方皇帝に立てる(〜378)。信教の完全自由を公認。 |
ゴート族、332年のローマとの条約を破棄し、侵入を再開。 |