コンスタンティヌス、帝国再統一(分割統治終了) |
315年 |
コンスタンティヌス、リキニウスとパンノニアのキバラエ付近で対戦し、破る。講和により、リキニウスの統治領を小アジア以東に制限。 |
316年 |
コンスタンティヌス1世、ミラノの公会議でドナトゥス派の主張を退ける。ドナトゥス派の抵抗続く |
317年 |
クリスプス、コンスタンティヌス(後の2世)、リキニアヌスら3名、副帝となる。 |
コンスタンティヌス、ドナウ河防衛線を担当、子のクリスプスがライン河防衛線を担当し、防衛を強化。 |
北アフリカ出身のキリスト教護教家ラクタンティウス、クリスプスの家庭教師となる(主著『神の制度』) |
320年 |
リキニウス、東方でキリスト教の迫害を再開 |
アリウス(ca.260〜ca.336)、聖子従属説を説き始め、アレクサンドリア司教アレクサンドロスと対立し、教会から追放される |
聖パコミウス、エジプトに最初の修道院を創設 |
321年 |
コンスタンティヌス1世、ドナトゥス派寛容令を出す |
322年 |
コンスタンティヌス1世、イリュリクムに侵寇したゴート族、サルマタエ人を撃退 |
コンスタンティヌス、ドナウ河を渡り、北方蛮族を撃破し、講和。 |
323年 |
コンスタンティウス2世、副帝となる |
324年 |
コンスタンティヌス1世、ハドリアノポリスとクリュソポリスでリキニウスを破り、テッサロニケに幽閉 |
クリスプス、へレスポントスでリキニウス艦隊を破る |
コンスタンティヌス1世、帝国を再統一し、単独皇帝となる(〜337) |
コンスタンティヌス1世、ビザンティウムをコンスンティノープルと改名し、帝国首都とする |
325年 |
リキニウス、蛮族と共謀し、反乱を企てた疑いで処刑される。 |
ニケーア公会議;アリウス派を異端とし、父と子を同質とするアタナシウス派(三位一体説)を正統とするニケーア信条を採択 |