第二次ポエニ戦争 後半の経緯 |
BC201年 |
ローマとカルタゴ和約し、第二次ポエニ戦争終了。カルタゴは海外領土と地中海の制海権を失う。
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BC200年 |
第二次マケドニア戦争;ギリシア諸都市がマケドニアの侵略行為に対してローマへ救援を要請する。第二次ポエニ戦争中、マケドニア封じ込めに協力したギリシアへ援軍を派遣。
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BC197年 |
チノチェファレの戦い;ローマのフラミニヌス、マケドニアのフィリッポス5世を破り、ギリシア支配を断念させる。
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フラミニヌスはギリシア都市の自由を宣言。*1
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BC196年 |
ハンニバル、カルタゴの最高官に選ばれ国政を改革。
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BC195年 |
ハンニバル、内紛によりシリアへ亡命。王アンティオコスへローマ進攻を奨める。
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スパルタのナビス、ローマ・ギリシア都市に敗北。
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BC194年 |
アンティオコス3世、トラキア制圧
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BC192年 |
スパルタのナビス殺害され、スパルタはアカイア同盟に併合される。
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シリア戦争;シリア・アイトリア同盟 対 ローマ・アカイア同盟(〜BC188)
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BC191年 |
テルモピュライの戦い;ヨーロッパ側に渡ったシリアをローマが破る。ローマはアンティオコス3世を追って、初めてアジアに渡る。
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BC190年 |
ローマ・ロードス艦隊がシリア艦隊を破る。
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12-マグネシアの戦い;ローマのスキピオはアジアに上陸し、アンティオコスを破る。
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BC189年 |
ローマ、アイトリア同盟を降し、ギリシアに勢力を確立
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シリアの総督アルタクシアス、自立しアルメニア王国を建設
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BC188年 |
ローマとシリア和し、シリアは小アジアから撤退しローマの同盟国となる。ペルガモンが小アジアで勢力拡大。この和約でローマはシリアに滞在していたハンニバルの引き渡しを要求するが、ハンニバルはクレタ島を経てビチニアに亡命する。
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BC187年 |
スキピオ裁判;スキピオ、大カトーにより弾劾される。グラックスの弁護により弾劾裁判は中止となる。*2
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BC186年 |
ハンニバル率いるビチニア艦隊がペルガモンを破る。
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BC183年 |
ハンニバル、ローマからの身柄引き渡し要求を聞き、ビチニアで自殺。スキピオ没。
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BC171年 |
ピデュナの戦い;マケドニア王ペルセウスはペルガモンへ圧力をかける。ローマはエミリウス・パウルスを派遣し、これを破る。ローマは王を廃位し、自治権を与える。
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