337年に死去したコンスタンティヌス大帝の葬儀はコンスタンティノープルで行われたが、3人の息子のうち担当地域の距離から、長男コンスタンティヌス2世と三男コンスタンスは参加しなかった。葬儀のしばらく後で、コンスタンティノープルにいる親族は粛清されることとなる。
粛清は次男コンスタンティウスによると思われる。コンスタンティヌス大帝の異母弟2人とその子ども(大帝の甥)のうちすでに分割統治をしているダルマティウスとハンニバリアヌスである。幼いガルスとユリアヌスは殺されなかった。
3人の息子は会談を行い、揃って皇帝(アウグストゥス)となり、殺したダルマティウスとハンニバリアヌス統治領の分割を決めた。
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