Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe306年   

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第三次 四頭政

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概略

306年、7月ブリタニアで北方蛮族征討戦中の西方正帝コンスタンティヌス・クロルスが病死。息子のコンスタンティヌスは兵士の推挙を受け、帝国西方の正帝に即位した。コンスタンティヌスは、父コンスタンティウス・クロルスがマクシミアヌス(前西方正帝)の娘と再婚する前の先妻の子で、父の副帝即位後はオリエントに送られていたが、そこで18歳から30歳までの大切な時期にディオクレティアヌス帝の元で軍務経験を積んだ。

コンスタンティヌス自らが帝位に就いたことで、ディオクレティアヌス帝がはじめた、一人の皇帝に統制された四頭政は崩壊した。

一方、マクシミアヌスの息子マクセンティウスは、皇帝の息子でありながら、帝位に就けないことを不服とし、ローマで皇帝即位を宣言し、四頭政に不満を持つ元老院、ローマ駐在の近衛兵に承認され、税制など不満を持つローマおよび周辺都市の市民に歓迎された。


地域 ガリア、スペイン、ブリタニア、マウリタニア西部 イタリア、シチリア、北アフリカ ドナウ河沿岸〜パンノニア、モエシア、トラキア 小アジア、パレスティナ、エジプト
帝位 西方副帝 西方正帝 東方正帝 東方副帝
皇帝 コンスタンティヌス セヴェルス ガレリウス マクシミヌス・ダイア
306年時 31歳 不明 46歳 36歳
首都 首都;トリアー 首都;ミラノ 首都;シルミウム 首都;ニコメディア

地域

ローマ周辺および中イタリア諸都市

帝位 元老院が承認
皇帝

マクセンティウス

マクシミアヌス

306年時 28歳
首都 首都;ローマ

第三次 四頭政
 306年  コンスタンティウス1世、ブリタニアでピクト人・スコット人の侵寇を撃退
 7月コンスタンティウス1世(クロルス)病死。その軍団、息子コンスタンティヌスを皇帝に推挙。東方正帝ガレリウス、西方正帝セヴェルス、副帝コンスタンティヌスとすることで事態の収拾を図る。
 マクシミアヌスの子マクセンティウス、ローマで皇帝即位を宣言。マクセンティウスは父マクシミアヌスを共同統治の皇帝に推挙し、六人の皇帝が立つことになった。
307年  西方正帝セヴェルス、マクセンティウス征討のためローマへ進軍中に捉えられ自死。東方正帝ガレリウスがマクセンティウス征討に向かうが、マクセンティウス側についた諸都市に対し、蛮族に対するように襲撃、掠奪したため、途上の諸都市の協力を得られず、撤退した。
 ガレリウス、ガリアのコンスタンティヌスのもとに逃亡。


資料  塩野七生『ローマ人の物語XIII 最後の努力』
 石橋秀雄他 『世界史大年表』