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ユリアヌス反旗を翻す

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概略

ユリアヌスは、監視を受けながらギリシアの学問にいそしむだけの生活をしていたが、ガリアに派遣されるや、ゲルマン諸族を次々に撃破する。 また、税制改革を行い、ガリアの政治の安定を図る。しかし、帝国東方でペルシア軍が進攻してくると、コンスタンティウスはユリアヌスに兵の供出を要求してきた。これに対し、ユリアヌス配下の兵が反対し、ついにはユリアヌスを皇帝へ推戴した。板ばさみとなったユリアヌスはついに皇帝になることを承諾する。

 

ユリアヌス反旗を翻す
353年  8月、マグネンティウス、リヨンで自殺。コンスタンティウス、帝国を統一。
 コンスタンティウス2世、ガリアへ遠征(〜360);スエビ族を征服
354年  コンスタンティウス、ガルス(オリエント統括の副帝)をミラノへ召還し、その途上でポーラの牢獄へ送られ、コンスタンティウス殺害を謀った罪をかけられ殺害される。
355年  コンスタンティウス、ガルスの弟ユリアヌスをミラノへ呼び出す。ユリアヌスはアテネで学究生活を開始。
 ガリア担当の騎兵団長シルヴァヌスが叛乱を起こすが、平定される。
 11月、コンスタンティウス、ユリアヌスを呼び出し「カエサル(副帝)」に任命。コンスタンティウスの妹へレナと結婚。ユリアヌス、ガリアへ向けて出発。
 ミラノ公会議開催;西方教会でもアリウス派を認め、アタナシウスをエジプトの砂漠に追放
356年  ユリアヌス、ガリアを北上し、ライン河岸から侵入する蛮族撃退に乗り出す。
357年  ユリアヌス、東部ガリアに侵寇したアレマンニ族をアルゲントラトゥム(ストラスブール)の戦いで破り、族長クノドマルを捕虜とする。
 4月、コンスタンティウス、ローマに入城し、凱旋式を挙行。
 ユリアヌス、フランク族を破りラインを徒河して追討、ライン地方を平定
 コンスタンティウス、侵寇したクアディ族・サルマタエ人と戦う(〜359)
358年  コンスタンティウス2世、ドナウ河畔でクアディ族・サルマタエ人を撃破
359年  ペルシア軍、メソポタミアのアミダを攻略。コンスタンティウス、ユリアヌスに東方派遣を命じる。
 ユリアヌス、軍団兵の反対に遭い、東方赴任を拒否。
 コンスタンティウス、公会議を招集;セレウキアではアリウス派、アリミヌムではアタナシウス派が優勢で、未決着に終わる
360年  2月、ユリアヌス、ルテティア(パリ)において、配下の軍団によって「アウグストゥス(皇帝)」に擁立される。
 シンガラ・ベザブデ両市、ペルシアに攻略される
 ピクト人・スコット人、ブリタニアに侵攻(〜367)
 ユリアヌスの騎兵隊司令官ルピキヌス、スコット人・ピクト人への反撃に赴く
361年  コンスタンティウス、アンティオキアを発ち、ユリアヌス討伐に向かう。
 ユリアヌス、東方へ向かい、先にドナウ河防衛軍を配下に収める。
 11月、コンスタンティウス死去。後継者にユリアヌスを指名。
 12月、ユリアヌス、コンスタンティノープルに入城。キリスト教優遇策を撤廃し、ギリシア・ローマ宗教の再興を図る。

資料   塩野七生『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利
 石橋秀雄他 『世界史大年表』
 サイモン・ジェンキンス『ヨーロッパ全史』(青土社)