第二次 四頭政 |
295年 |
ヌミディアの若者マクシミリアヌス、兵役拒否により殉教 |
ガレリウス(東方副帝)、ドナウ川下流でゴート族を破る |
296年 |
ガレリウス、ペルシアと戦い、カラエで敗北 |
ペルシアがメソポタミアに侵入し、アルメニア王を追う。ディオクレティアヌス帝は自らの防衛責任の地域でありながら、自らの輿の横をガリエヌスを徒歩で歩かせる、という屈辱を与えた。 |
コンスタンティウス1世、アレクトゥスを敗死させ、ブリタニアの支配を回復 |
ピクト人、スコットランドに侵入 |
マウレタニアの蛮族、帝国属州に侵寇し、マクシミアヌスに撃退される(〜297) |
ディオクレティアヌス、アレクサンドリアのドミティウス=ドミティアヌスの反乱を鎮圧(295〜) |
297年 |
ガレリウスがペルシア(ナルセス)に大勝し、雪辱を果たす。;ニシビスで和約を締結、アルメニアを奪回して属王国とし、国境をティグリス川まで広げ、属州メソポタミアを拡大 |
ディオクレティアヌス帝、マニ教禁止令を制定。 |
ディオクレティアヌス帝、属州改革(属州を12管区に分割)・税制改革(土地台帳により農民を土地に縛りつける)・軍制改革を行う |
301年 |
ディオクレティアヌス帝、最高公定価格令を制定 |
303年 |
ディオクレティアヌスの勅令;ニコメディアで最初のキリスト教徒大弾圧。教会破壊・礼拝集会禁止・信徒の公職追放 |
ディオクレティアヌス帝とマクシミアヌス、ローマで凱旋式を挙行。(ローマでの最後の凱旋式) |
305年 |
ディオクレティアヌス帝、マクシミアヌス退位、隠居。第二次四頭政。 |
東方正帝;ガレリウス、副帝;マクシミアヌス・ダイア/ 西方正帝;コンスタンティウス1世(クロルス)、副帝セヴェルス |
306年 |
7月コンスタンティウス1世(クロルス)病死。その軍団、息子コンスタンティヌスを皇帝に推挙。東方正帝ガレリウス、西方正帝セヴェルス、副帝コンスタンティヌスとすることで事態の収拾を図る。 |
マクシミアヌスの子マクセンティウス、ローマで皇帝即位を宣言 |