Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe305年   

293年gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト)306年

第二次 四頭政

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概略

305年、60歳になったディオクレティアヌス帝は、マクシミアヌス 帝とともに引退を宣言する。従来の副帝であるガレリウスとコンスタンティヌス1世(クロルス)を正帝とし、第一次四頭政の四人と同じバルカン出身で軍人のセヴェルスとマクシミヌス・ダイアを副帝とした。


地域 ガリア、スペイン、ブリタニア、マウリタニア西部 イタリア、シチリア、北アフリカ ドナウ河沿岸〜パンノニア、モエシア、トラキア 小アジア、パレスティナ、エジプト
帝位 西方正帝 西方副帝 東方正帝 東方副帝
皇帝 コンスタンティウス1世(クロルス) セヴェルス ガレリウス マクシミヌス・ダイア
305年時 55歳 不明 45歳 35歳
首都 首都;トリアー 首都;ミラノ 首都;シルミウム 首都;ニコメディア

第二次 四頭政
295年 ヌミディアの若者マクシミリアヌス、兵役拒否により殉教
ガレリウス(東方副帝)、ドナウ川下流でゴート族を破る
296年  ガレリウス、ペルシアと戦い、カラエで敗北
 ペルシアがメソポタミアに侵入し、アルメニア王を追う。ディオクレティアヌス帝は自らの防衛責任の地域でありながら、自らの輿の横をガリエヌスを徒歩で歩かせる、という屈辱を与えた。
 コンスタンティウス1世、アレクトゥスを敗死させ、ブリタニアの支配を回復
 ピクト人、スコットランドに侵入
 マウレタニアの蛮族、帝国属州に侵寇し、マクシミアヌスに撃退される(〜297)
 ディオクレティアヌス、アレクサンドリアのドミティウス=ドミティアヌスの反乱を鎮圧(295〜)
 297年  ガレリウスがペルシア(ナルセス)に大勝し、雪辱を果たす。;ニシビスで和約を締結、アルメニアを奪回して属王国とし、国境をティグリス川まで広げ、属州メソポタミアを拡大
 ディオクレティアヌス帝、マニ教禁止令を制定。
 ディオクレティアヌス帝、属州改革(属州を12管区に分割)・税制改革(土地台帳により農民を土地に縛りつける)・軍制改革を行う
301年  ディオクレティアヌス帝、最高公定価格令を制定
303年  ディオクレティアヌスの勅令;ニコメディアで最初のキリスト教徒大弾圧。教会破壊・礼拝集会禁止・信徒の公職追放
 ディオクレティアヌス帝とマクシミアヌス、ローマで凱旋式を挙行。(ローマでの最後の凱旋式)
 305年  ディオクレティアヌス帝、マクシミアヌス退位、隠居。第二次四頭政。
 東方正帝;ガレリウス、副帝;マクシミアヌス・ダイア/ 西方正帝;コンスタンティウス1世(クロルス)、副帝セヴェルス
306年  7月コンスタンティウス1世(クロルス)病死。その軍団、息子コンスタンティヌスを皇帝に推挙。東方正帝ガレリウス、西方正帝セヴェルス、副帝コンスタンティヌスとすることで事態の収拾を図る。
 マクシミアヌスの子マクセンティウス、ローマで皇帝即位を宣言


資料  塩野七生『ローマ人の物語XIII 最後の努力』
 石橋秀雄他 『世界史大年表』