Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe313年   

311年gya_l_bg.gif (1060 バイト) gya_r_bg.gif (1063 バイト)315年

コンスタンティヌス、ローマ制圧

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概略

311年、リキニウスと盟約を結んだコンスタンティヌスは、ローマおよびイタリア北部、中部を支配しているマクセンティウス征討を行う。盟約を結んだとはいえ、背後にリキニウスを意識しながら、マクセンティウスを攻めるというリスクをかかえながらの征討だった。

一方、マクシミヌス・ダイアはコンスタンティヌスとリキニウスの同盟にあせり、前皇帝ガレリウスの妻であり、ディオレクレティアヌスの娘であるヴァレリアを妻に迎えようとするが拒否される。313年、リキニウス領内に攻め込んだが、リキニウスの反撃に破れ、逃亡先で死去する。


地域 ガリア、スペイン、ブリタニア、マウリタニア西部 、北部・中部イタリア 南部イタリア、北アフリカ、ドナウ河沿岸〜パンノニア、モエシア、トラキア 、小アジア、パレスティナ、エジプト
帝位 西方正帝 東方正帝
皇帝 コンスタンティヌス リキニウス
313年時 38歳 48歳
首都 首都;ミラノ 首都;シルミウム

コンスタンティヌス、ローマ制圧
312年 コンスタンティヌス、ローマ近郊でマクセンティウスに勝利。マクセンティウスは戦死(溺死)。
元老院、ローマへ入城したコンスタンティヌスの正帝昇格を決定。(帝国西方を制覇)
コンスタンティヌス、通貨制度を改革;ソリドゥス金貨を新鋳し、通貨の安定を図る
313年  マクシミヌス=ダイア、ビザンティウム・ヘラクレイアを攻略するが、リキニウスに敗れ、タルソスで死去
 コンスタンティヌスとリキニウスがミラノで会見し、帝国を分有、共治
 ディオクレティアヌス死去
 ミラノ勅令;コンスタンティヌスとリキニウスは、キリスト教を公認することを宣言する。
 コンスタンティヌスは、キリスト教を公認しただけでなく、教会資産の返還と国家による補償を約束。キリスト教が多い東方のリキニウスには、負担が大きく、できない宣言であった。これはローマ帝国統一を考えたコンスタンティヌスの帝国東方のキリスト教徒へのメッセージであったかもしれない。
 コンスタンティヌス、フランク族・アレマンニ族と戦う;ゲルマン人を軍隊に編入

資料  塩野七生『ローマ人の物語XIII 最後の努力』
 石橋秀雄他 『世界史大年表』