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コンスタンティウスによる僭帝マグネンティウス討伐

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概略

コンスタンティウスは、337年に親族の粛清を行ったが、その時、父コンスタンティヌスの腹違いの弟であるユリウス・コンスタンティウスを暗殺したが、その息子で従兄弟にあたるガルスとユリアヌスの兄弟は幼かったために生かしておいた。 その兄のガルスを軟禁状態から解放し、副帝に指名し、自らはマグネンティウス討伐に向かい、ムルサの戦いでマグネンティウスを破った。マグネンティウスはイタリアに逃げ帰り、そこから動かなくなった。


コンスタンティウスによる僭帝マグネンティウス討伐
351年

3月、コンスタンティウスはガルスを副帝に指名し、東方の統治を任せ、自らはマグネンティウス討伐へ向かう。

9月、コンスタンティウスとマグネンティウスはドナウ河畔のムルサで会戦。マグネンティウスは敗走し、イタリアへ逃げ帰る。
コンスタンティウスは、マグネンティウスがイタリアに閉じこもっているうちに、スペインと北アフリカを占領。

資料   塩野七生『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利
 石橋秀雄他 『世界史大年表』
 サイモン・ジェンキンス『ヨーロッパ全史』(青土社)