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アレクサンドロス大王の東征
BC4C
BC359年
マケドニアの台頭
BC338年
マケドニアの覇権
BC334年
アレクサンドロスの遠征開始
BC334年
アレクサンドロスのエジプト占領
BC330年
ペルシア帝国滅亡
BC323年
アレクサンドロス、インダスへ至る
BC311年
アレクサンドロス の部将の争い
ポエニ戦争
BC3C
BC264年
第一次ポエニ戦争前
BC238年
第一次ポエニ戦争後
BC218年
第二次ポエニ戦争前
BC213年
第二次ポエニ戦争中期
BC201年
第二次ポエニ戦争後
BC2C
BC146年
第三次ポエニ戦争後
ローマ帝国への道
BC1C
BC51年
カエサル・ポンペイウス・クラッススの三頭政治
BC46年
カエサル、ポンペイウスとの内戦を制し独裁官となる
BC32年
カエサル暗殺され、オクタヴィアヌスとアントニウスが後継者争い
BC20年
オクタヴィアヌスがアントニウス・クレオパトラを破り、ローマ帝国へ
BC9年
アウグストゥスによるローマ帝国領土再編
1C
AD14年
アウグストゥス没後、ティベリウスが第2代皇帝となる
37年
32年、イエス磔刑に処される
66年
ユダヤなど属王国での反乱つづく
69年
ネロ帝自殺、軍人による後継者争い
85年
ブリタニアでのローマ支配強化、ダキア王独立と侵入
2C
106年
五賢帝時代はじまる〜ネルヴァ、トラヤヌス
117年
トラヤヌス帝、パルティアを攻略し、ローマ帝国最大版図
135年
ハドリアヌス帝に敗れたユダヤ人のディアスポラ始まる
166年
パルティアに攻めむ一方で、北方ゲルマン民族の侵入が活発化しはじめる
184年
ローマ帝国は領土拡大よりも維持・防衛へ
193年
コンモドゥス帝暗殺以後にアフリカ出身のセウェレスが皇帝となる
199年
セウェルス帝による帝国再征服とパルティアに対する攻勢
ローマ帝国の衰亡
3C
270年
ガリア帝国とパルミラの独立割拠
273年
アウレリウス帝による帝国再復
286年
ディオクレティアヌス帝の二分統治
293年
ディオクレティアヌス帝の四分統治
4C
305年
第二次 四頭政
306年
第三次 四頭政
308年
第四次 四頭政
311年
コンスタンティヌスとリキニウスの同盟
313年
コンスタンティヌス、ローマ制圧
315年
コンスタンティヌス、覇権へ
324年
コンスタンティヌス、帝国再統一
335年
コンスタンティヌス大帝末期の分割統治準備
337年
コンスタンティヌス大帝後の三分割統治
340年
コンスタンティヌス大帝後の覇権争い
351年
僭帝マグネンティウス
353年
コンスタンティウス帝による帝国再統一
361年
ユリアヌス反旗を翻す
362年
背教者ユリアヌスのペルシア遠征
365年
ヴァレンティアヌスによる兄弟統治
378年
ヴァレンス帝と甥二人による統治
379年
テオドシウス帝、帝国再統一を図る
387年
ブリタニア総督マクシムスの反乱
394年
テオドシウス帝による帝国再統一成る
395年
ローマ帝国の分裂
5C
401年
西ゴート族の王アラリック、イタリア侵入
405年
東ゴート族がイタリアに侵入、フィレンツェを包囲
409年
西ローマ帝国の防衛線が弱まり、ゲルマン民族大移動は西ヨーロッパへ
413年
ゲルマン諸部族の西ローマ帝国内への定着・建国
430年
ゲルマン諸部族の侵入により西ローマ帝国は政情不安定化
447年
ゲルマン民族を圧迫していたフン族がローマ帝国領内へ
454年
ゲルマン民族の王国建設
471年
ゲルマン民族が西ローマ皇帝存立にも影響力を持つ
476年
ゲルマン人傭兵隊長オドアケルに簒奪され、ついに西ローマ帝国は滅亡
487年
オドアケルのイタリア半島支配、フランク、東ゴートの拡張
6C
501年
オドアケルを破った東ゴート王国がイタリアを支配
523年
ゲルマン民族王朝の抗争と同盟はじまる
538年
ブルグンド王国、ヴァンダル王国滅びる
560年
ビザンツ帝国が東ゴート王国を滅ぼす
568年
ビザンツ帝国によるイタリア再征服は続かず、ランゴバルド族が支配
619年
縮小するビザンツ帝国領土
629年
ビザンツ帝国の反撃とササン朝ペルシア衰退
:
15C
1492年
ルネサンス期のヨーロッパ情勢
1494年
仏王シャルル8世のイタリア進駐
1500年
チェーザレ・ボルジアによる教皇領内の征服
ヨーロッパ通史概観
地中海文明から、ギリシアが都市文明と民主政を発達させ、東の大国ペルシアと向き合った。その文明を受け継いだマケドニアのアレクサンドロス大王が大国ペルシアを征服し(BC330)、インダス川までの空前の大領土を有するが、一代で分裂し、後継者が争った。
一方、その西のイタリア半島で徐々に拡大したローマも初期の共和国時代には、カルタゴとポエニ戦争(BC264〜BC146)を戦い、これを打倒する。国家体制建設に長けたローマ共和国が強大化し、カエサルなどが北のガリアやエジプトを征服し、ヨーロッパから北アフリカに至る大領土を有するようになる。しかし、共和国では広範囲の属州の維持が難しくなり、独裁的な中央集権体制が必要になってくるが、そこに向かおうとしたカエサルは暗殺される(BC44)。しかし、その後継者であるオクタヴィアヌスが、争いの中で独裁的な権力とアウグストゥスの称号を掌握していき、以降、皇帝を中心としたローマ帝国になっていく。ローマも帝国への移行の前後を通じて、東のパルティアとのせめぎあいが続いた。
血族による継承ではなく、力を持つものが皇帝となるローマ帝国の方式では、皇帝の位が安定せず、また、大帝国を維持していくことにも限界があった。そんな中、東方のフン族に圧迫されたゲルマン諸部族が、ローマ帝国領内に侵入を始め、それらへの対応、防戦により、分割統治しなければ対応しきれなくなっていった。分割統治しつつも、正帝と副帝など帝国全体はひとつにまとめる努力はしてきたが、395年には東西に分裂し、その後激しくなったゲルマン民族の進攻に抗しきれず、476年西ローマ帝国は滅亡する。ヨーロッパは、西ゴート、ヴァンダル、ブルグンド、東ゴート、フランクなどが、攻防を繰り返しつつ王国を建設していくが、もうひとつキリスト教カトリックが大きな力を持ちつつあった。東ローマ帝国は、以降ビザンツ帝国として12世紀まで存続し、宗教としてもギリシア正教として、西ヨーロッパと文化的に一線を画すこととなる。
このような民族の多様性と競争、キリスト教、そしてキリスト教による強い束縛を克服した後での、ルネサンス、大航海による新世界の征服、産業革命、そして、自由主義または、合理的な政治思想により、19世紀から20世紀において、ヨーロッパが世界の大部分を支配するようになるのである。
そのような背景から、各国の王権は強化されるものの、ヨーロッパ全体を支配するような中央集権国家は現れず、神聖ローマ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国は、中央ヨーロッパの王侯をゆるやかにまとめており、フランス革命後の皇帝ナポレオンも長い統治を確立することはできず、イギリスやドイツ、オランダ、ロシアなどの連合軍に敗れることとなる。また、イギリスは植民地などヨーロッパの外へ目を向けており、19世紀、政治的手腕に長けたプロイセンのビスマルクにより、ドイツが強国となったが、諸国のせめぎあいの中で、自国の地位とわずかな領土を拡張する程度にとどまっている。しかし、近代兵器とともに争いは熾烈になり、普仏戦争とその復讐として第一次世界大戦に向かい、ドイツの敗戦に対する苛烈な賠償などに対して、ヒトラー独裁政権が台頭し、第二次世界大戦の悲劇の連鎖に向かった。
例えば、中国のように中央集権国家としてまとまらないことがヨーロッパの特徴となっている。これは、21世紀の現代のECにおいても、その特徴が現れている。
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Last Up Date 2021.03.13
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