Title9-3.GIF (2758 バイト) Europe629年   

619年 gya_l_bg.gif (1060 バイト)  gya_r_bg.gif (1063 バイト) 6XX年

ビザンツ帝国の反撃とササン朝ペルシア衰退

クロニクル「ローマ帝国」    テーマ史《INDEX》   ホーム

概略

ササン朝ペルシアやゲルマン・スラヴ諸部族などに侵食されていたビザンツ帝国は、皇帝ヘラクレイオス1世の反撃により、失地を回復する。628年ササン朝は首都クテシフォンにおけるビザンツ帝国との戦いに敗れ、凋落が決定的となる。ササン朝の衰退により、その領内でイスラム教創始者ムハンマド率いる軍隊が台頭し始める。この勢力がやがて、ヨーロッパを圧迫する強い潮流となる。


ビザンツ帝国の反撃とササン朝ペルシアの衰退
620年  ヴァイキング、アイルランドを略奪。
622年  ビザンツ、皇帝ヘラクレイオス、ササン朝ペルシア領内に侵入、各地でペルシア軍を撃破(〜630)。
 キリスト教、単位論論争始まる(〜680)。
 ムハンマド、イスラム教徒とメッカからメディアに移住;イスラム暦の紀元。
623年  フランク王国、第三次分割、アウストラシア王ダゴベルト1世即位(〜638)。
 大ピピン(カロリング家の祖)宮宰となる。
 ボヘミア・モラヴィアなどのスラブ諸族、フランク商人サモを招き、最初のスラヴ国家サモ王国を建設(〜638)。
624年  ムハンマド、バドルでメッカ軍を破る。メディナのユダヤ教徒追放される。
625年  フランク王ダゴベルト1世、パリのサン=ドニ修道院を創建。
 教皇ホノリウス1世即位(〜638)、治世中多数の新教会をローマ市に建設。
 ムハンマド、ウフドでメッカ軍に敗北。
626年  ノーサンブリア王エドウィン、スコットランドに侵入、エディンバラ市を建設。
 アヴァール人・スラブ人、コンスタンティノープルを攻撃。ヘラクレイオス、これを撃退。
627年  ブリタニアで、アウグスティヌスの弟子パウリヌスの布教により、エドウィンを改宗させ、ノーサンブリアにカトリック定着。
 ペルシアの弱体化により、イスラム軍が勢力を拡張。*
 ムハンマド、反ムハンマド連合軍のメディナ侵攻を破る。メディナのユダヤ教徒クライザ族、滅ぼされる。
628年  マーシア王ペンダ、ウェセックスを撃破。
 クテシフォン城下の戦い;ビザンツ帝国軍、ササン朝の首都クテシフォンで、ペルシア軍に大勝。ササン朝は事実上の全面降伏。
 ササン朝ホスロー2世、獄死;皇位を巡る内紛起こる(〜632)。
629年  フランク王ダゴベルト1世、ザクセン人やブルトン人を討ち、フランクの統一王権を主張(〜638)。
 西ゴートのスウィンティラ王、ビザンツ勢力を撃退。
 ビザンツ皇帝ヘラクレイオス1世、イェルサレム・エジプトを回復。

資料 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリスト教の勝利』
石橋秀雄他 『世界史大年表』
サイモン・ジェンキンス 『ヨーロッパ全史』