Title9-3.GIF (2758 バイト) Italia1500             

1494年gya_l_bg.gif (1060 バイト) gya_r_bg.gif (1063 バイト)1504年

概説

 1499年から教皇アレクサンドロス六世の長男チェーザレ・ボルジアはフランス国王を後ろ盾とした力と、教皇領軍司令官という大義名分を以って、諸侯が割拠している教皇領内の征服を開始した。フランス国王ルイ12世は、娘婿のチェーザレ・ボルジアに力を貸しながら、イタリアに干渉しよ うとしていたが、1500年には、ミラノ公国を武力占領し、スペインとナポリ王国分割協定を結んだ。(これが後にフランスとスペインの戦争となり、結果としてフランスがナポリから手を引くこととなる)

 

1500年 4月 仏軍ミラノ占領。ロドヴィコ=スフォルツァを捕虜とする。
  6月 教皇アレクサンドロス6世、対トルコ十字軍を提唱し、特別課税を設定。
  11月 仏ルイ12世、アラゴンのフェルナンドとナポリ分割協定。
1501年 アゼルバイジャンでサファヴィー朝成立(〜1722)
  ルイ12世、スペインと同盟してナポリ王国を攻略。
1502年 ナポリ王国分割をめぐって、フランスとスペインが対立し、戦争。
  キプチャク=ハン国滅亡(1243〜)
  12月 チェーザレ=ボルジア、ウルビーノを攻略。(ここを根拠に教皇領拡大を図る)
1503年 8月 教皇アレクサンドロス6世、マラリアで没(1492〜)。チェーザレも同じくマラリアで倒れる。
  フランス派、スペイン派、ヴェネツィア派などがそれぞれの軍、枢機卿により、教会軍総司令官でもあるチェーザレに対抗し、権力を掌握しようとする。周辺においては、ロマーニャ公国領の各都市が対抗する諸派により占領されつつあった。
  10月 教皇には中立的なピオ3世が即位。チェーザレはピオ3世に助けられるが、教皇が即位後26日で死去。
  10月 チェーザレはロマーニャ公国領と教会軍司令官の地位保証を条件に、スペイン人枢機卿の票をローヴェレ枢機卿に入れることを約束し、教皇ジュリオ2世即位。
  12月 チェーザレの腹心ドン=ミケロットがフィレンツェ軍に破れ、捕虜となる。チェーザレの劣勢決定的となり、ローマで監禁される。
1504年 1月 スペイン、ナポリでフランス軍を破り、ナポリ領有を決定づける。条約締結し、フランスはナポリ王国を放棄。
  4月 ロマーニャ諸都市が教皇へ開城することを条件にチェーザレは自由の身となり、ナポリへ向かう。チェーザレは、スペイン王に仕えようとするが、一度チェーザレを自由の身とした教皇ジュリオ2世が、後悔し、スペイン王と結んで再度チェーザレを拘束した。
  8月 フォルリはチェーザレ釈放がなければ、開城を拒否していた。チェーザレはフォルリの城代に開城の書簡を送った。その後、教皇ジュリオ2世の意を受けたスペイン王によってガンディア候ホアン暗殺の容疑でスペイン本国に送還される。

 

資料 塩野七生 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』