ルネサンス期のヨーロッパ情勢 |
1492年 |
1月 グラナダ開城。スペインのアラブ人最後の根拠地が陥落(ナスル朝滅亡 1230〜)。キリスト教国土回復運動終結。 |
4月 フィレンツェのロレンツォ=デ=メディチ(イル=マニーフィコ)没。ピエロが継ぐ。 |
7月 ロドリーゴ=ボルジア、ローヴェレを破り、教皇となる。 |
10月 クリストファー=コロンブス、バハマ諸島(後の新大陸)に上陸。 |
1494年 |
1月 ナポリ王フェルナンド1世没(1458〜)。アルフォンソ2世即位(〜95)。教皇アレクサンドロス6世がこれを承認。 |
4月 フランス派のローヴェレ枢機卿、ローマから逃亡。仏シャルル8世、ミラノ公国ルドヴィーゴ・スフォルツァ(イイル=モーロ)、ローヴェレ枢機卿の対アレッサンドロ6世の作戦始動。 |
9月 仏シャルル8世、ナポリ王国の継承権を主張しイタリアに侵入;イタリア戦争(〜95)始まる。 |
11月 仏軍、フィレンツェに侵入。他のイタリア諸国も9万の仏軍の前に次々に開城。 |
11月 フィレンツェの共和派、ピエロ=メディチを追放。修道士ジローラモ=サヴォナローラ、フィレンツェに共和政樹立。 |
12月 シャルル8世、ローマ占領。教皇アレクサンドロス6世はカステロ・サンタンジェロ(教皇の要塞)に逃げ込み、ローマを開城。 |
1495年 |
2月 仏シャルル8世、ナポリ王国を征服。 |
3月 教皇アレクサンドロス6世、仏シャルル8世がナポリ遠征中に、スペイン、ヴェネツィア、ミラノと対仏神聖同盟を結成。
仏王シャルル8世は同盟軍に破れ、仏へ逃げ帰る。 |
レオナルド=ダ=ヴィンチ『最後の晩餐』に着手(〜1498) |
1497年 |
教皇アレクサンドロス6世、サヴォナローラを破門。 |
アメリゴ=ヴェスプッチ、南米到達。 11月 バスコ=ダ=ガマ、喜望峰を回航。
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1498年 |
4月 仏シャルル8世没(1483〜)。ルイ12世即位(〜1515)。 |
5月 フィレンツェでサヴォナローラ、異端者として処刑される。 |
1499年 |
チェーザレ=ボルジア(教皇アレクサンドロス6世の長男)、ロマーニャ地方の征服開始。(〜1502) |
トルコ、ヴェネツィア領アルバニア、ダルマツィアを占領。8月 ヴェネツィア、ギリシア沖のサピエンザ海戦でトルコに破れ、レパントを占領される。 |
1500年 |
4月 仏軍ミラノ占領。ロドヴィコ=スフォルツァを捕虜とする。 |
6月 教皇アレクサンドロス6世、対トルコ十字軍を提唱し、特別課税を設定。 |
11月 仏ルイ12世、アラゴンのフェルナンドとナポリ分割協定。 |
1501年 |
アゼルバイジャンでサファヴィー朝成立(〜1722) |
ルイ12世、スペインと同盟してナポリ王国を攻略。 |
1502年 |
ナポリ王国分割をめぐって、フランスとスペインが対立し、戦争。 |
キプチャク=ハン国滅亡(1243〜) |
12月 チェーザレ=ボルジア、ウルビーノを攻略。(ここを根拠に教皇領拡大を図る) |
1503年 |
8月 教皇アレクサンドロス6世、マラリアで没(1492〜)。チェーザレも同じくマラリアで倒れる。 |
フランス派、スペイン派、ヴェネツィア派などがそれぞれの軍、枢機卿により、教会軍総司令官でもあるチェーザレに対抗し、権力を掌握しようとする。周辺においては
反チェーザレ派により、ロマーニャ公国領の各都市が占領されつつあった。 |
10月 中立的なピオ3世が教皇即位。チェーザレはピオ3世に助けられるが、教皇が即位後26日で死去。 |
10月 チェーザレはロマーニャ公国領と教会軍司令官の地位保証を条件に、スペイン人枢機卿の票をローヴェレ枢機卿に入れることを約束し、教皇ジュリオ2世即位。 |
12月 チェーザレの腹心ドン=ミケロットがフィレンツェ軍に破れ捕虜となる。チェーザレの劣勢決定的となり、ローマで監禁される。 |
1504年 |
1月 スペイン、ナポリでフランス軍を破り、ナポリ領有を決定づける。条約締結し、フランスはナポリ王国を放棄。 |
4月 ロマーニャ諸都市が教皇へ開城することを条件にチェーザレは自由の身となり、ナポリへ向かう。チェーザレは、スペイン王に仕えようとするが、一度チェーザレを自由の身とした教皇ジュリオ2世が、後悔し、スペイン王と結んで再度チェーザレを拘束した。 |
8月 フォルリはチェーザレ釈放がなければ、開城を拒否していた。チェーザレはフォルリの城代に開城の書簡を送った。その後、教皇ジュリオ2世の意を受けたスペイン王によってガンディア候ホアン暗殺の容疑でスペイン本国に送還される。 |
1507年 |
仏ルイ12世、ジェノバを併合。 |
1508年 |
教皇ジュリオ2世、対ヴェネツィアのカンブレー同盟提唱。神聖ローマ皇帝、フランス王、スペイン王が参加。ジュリオ2世
の政略は、大国に対してイタリアの盾となっていたヴェネツィアをイタリア人自らが弱めることとなる。 |
1509年 |
カンブレー同盟、ヴェネツィアに宣戦。仏軍、ヴェネツィアを破り、北イタリアを制圧。 |
ディウの海戦:ポルトガル艦隊、インドとエジプトマムルーク朝の海軍を破る。アルブケルケ、インド総督となる。 |
スペイン、アルジェリアのオランを占領。 |
1510年 |
教皇ジュリオ2世、仏のイタリア進出を警戒し、ヴェネツィアと講和。教皇軍、仏軍のボローニヤ攻撃を阻止。 |
仏王ルイ12世、教皇と開戦することを承認。 |
1511年 |
教皇ジュリオ2世、アラゴン王フェルナンド2世、ヴェネツィア、英王と対仏神聖同盟を結成。 |
ポルトガルのアルブケルケ、マラッカを占領。 |
スペイン、キューバ、プエルト=リコ等の植民地に司教区成立。キューバ征服を開始。 |
1512年 |
マクシミリアン1世とスイス同盟、対仏神聖同盟に参加。 |
4月ラヴェンナの戦い;仏軍、教皇とスペイン連合軍を破る。 9月仏軍、神聖同盟に圧迫され、イタリアから撤退 |
8月ブレスト沖会戦;英仏間で勝敗つかず |
8月スイス軍、ミラノを回復。マッシミリアーノ=スフォルツァ、ミラノ公となる。 |
8月フィレンツェにメディチ家の支配復活 |
7月スペイン、ナヴァラ公国を征服 |
1513年 |
2月教皇ジュリオ2世没(1503〜)。 3月レオ10世即位(〜1521)。贖宥状の販売を開始。 |
6月神聖同盟のスイス軍、ノヴァラの戦いで仏軍を撃破 |
8月英軍と皇帝軍、キヌガートの戦いで仏軍を大破し、北仏ソンム川流域に侵入。 |
9月英軍、仏軍と同盟したスコットランド軍をフロッドンの戦いで破る。ジェームズ4世戦死。 |
9月スイス軍、フランスに侵入し、ディジョンを包囲。 |
10月マクシミリアン1世とヘンリー8世、対仏防衛同盟を再締結。 |
この頃、マキャベッリ『君主論』なる。 |
1514年 |
4月ルイ12世、マクシミリアン1世およびフェルナンド1世と和を結ぶ。 |
7月ルイ12世、ヘンリー8世と和を結ぶ |
1515年 |
1月ルイ12世没(1498〜)。フランソワ1世即位(〜1547)。ヴァロア=アングレーム朝創設(〜1589)。 |
9月フランソワ1世、マリニャーノの戦いでスイス・ヴェネツィア軍に大勝。ミラノを再占領。 |
1516年 |
1月スペイン王フェルナンド2世没(1506〜)。カルロス1世即位(〜1556)。ハプスブルク家のスペイン支配始まる(〜1700) |
8月ノワイヨン条約;スペイン、フランスのミラノ領有を保障。 |
11月フリブールの和約;フランソワ1世、スイスと永久平和条約を締結。 |
1517年 |
3月第五次ラテラン公会議;キリスト教国間の平和と対トルコ十字軍を宣言。 |
10月マルティン・ルター、贖宥状の販売を攻撃;ドイツ宗教改革の発端。 |
1519年 |
1月マクシミリアン1世没(1493〜)。6月スペイン王カルロス1世、神聖ローマ皇帝に選出される。 |
7月ライプツィヒ討論;ルター、教皇の至上性と公会議の不可謬性を否定。 |
9月ポルトガルのマゼラン、カルロス1世の援助を受け、世界周航に出発(〜1522) |
11月スペイン人エルナン・コルテス、アステカ帝国の首都テノチティトランに入城し、アステカ王を人質とする。 |
1520年 |
6月英ヘンリー8世と仏フランソワ1世、和約 |
7月カレー協約;ヘンリー8世とカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)和約。 |
6月ルター、教皇により異端と宣言される。 |