いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
異性とのあれこれ編 (135)
男性/女性/...
仕事編 (229)
男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
精神的な症状編 (137)
男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
 and or  

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 [480] 友達との差
   

友達


ソリューション データ:
私には小学校低学年からの付き合いの親友(Aちゃん)がいる。周りからも「二人はいつも一緒だね」といわれるほど仲がいい。彼女はかわいくて頭も性格もよくて、素敵な子で大好きだ。だがその反面、
そんな親友と一緒にいるといつも比べられてる気がして、正反対の自分がコンプレックスで仕方がなかった。そしてそんな親友を僻んでいる気がずっとしていて、自分が本当に嫌いになりそうだった。いつも一緒にいた私たちだったが学年が上がったり進学していくうちに一緒にいる時間は少なくなった。その中で私も違う友人ができた。その友人と話していると、ふいにAちゃんの話題になり、私が「Aは本当に完璧だから自分が嫌になっちゃうよ〜」と話すと友人は「確かにAちゃんはすごいけど、○○(私)にだっていいところあるよ」と言ってくれた。その言葉で自分の失いかけた自信を取り戻すことができた。また、Aちゃんを自分との比較対象ではなく、尊敬の対象としてみることができるようになった。自分には自分のいいところがあるし、足りないところをコンプレックスに感じるではなく、いいところを見習って自分も近づけるようにすればいいのだと思えるようになった。

 [479] 自分と向き合い乗り越えた経験3
 この大学に入ってからのこと  


ソリューション データ:
この大学に入ってからのことである。高校2年生の出来事
がきっかけで、養護教諭を目指していたが、大学受験に失敗し、その夢は叶わ
なくなってしまった。受験直前はそれまでにも増して燃えていただけに、すっ
かり燃え尽きてしまい、大学に入ってからも目標がない日々が続いた。また、
大学の空気にも馴染めず、引きこもりがちになっていた。たまに姉と電話して
は、泣いてひたすら話を聞いてもらってた。今までと環境が違い過ぎて、ど
うしていいのかわからなかった。どうして自分が地元を離れて来たのか、その
意味すら分からなかった。
 しかしこのままではいけない、せっかく入った大学をやめるわけにはいかな
いと思った。そのために、まず今履修している科目とテスト・レポートの有無
をリストにして、絶対に単位を取ると決めた。また、自分で本を読んだり調べ
たりして、福祉系の職業についても調べた。いきなり変わることは難しいけれ
ど、小さなことから確実にやっていこうと決めた。辛いときは、家族に電話し
て笑うことで、気分を晴らすこともできた。どうしていいかわからないくらい
思い詰めていたけれど、いつも一緒にいてくれる友人や家族の力も借り、小さ
なことから頑張ることであの頃より前に進めていると思う。

 [478] 子供との接し方
   

バイト先の子供


ソリューション データ:
私は小学校の学童保育のスタッフのアルバイトをしている。学童に来る子供たちは低学年の子が多く、ルールを破ったり騒いだり、走り回ったり、ついさっきまで仲良く遊んでいたのにいつの間にか喧嘩して泣いていたり、とにかく忙しい。私はあまり大声をあげて注意できるタイプではないし、注意したところで反発してくる子はいるし、だからと言って子供の喧嘩一つ解決できないし…と正直アルバイトに行くと何もできない自分を痛感し、子供にどう接していいのか悩んだ時期があった。そんな中、私は学校のテスト期間が始まり、勉強のためにバイトを2週間ほど休んだ。そしてテストが終わり、久々のアルバイト。怖いな…と思いつつ子供たちのところへ行くと「○○さん久しぶり!なんで最近来てくれなかったの?」「私の名前覚えてる?」と、子供たちはとてもあたたかく接してくれた。そのおかげで、緊張感や恐怖感はなくなっていた。今でもまだまだ私は何もできないけど、前より子供たちに対する距離感のとりかたや接し方がわかってきた気がする。子供とはいえ、相手はやはり人間だ。すぐに理解できるものではない。ゆっくり理解できていけばいいなと思う。

 [477] 部活を通しての成長
 中学生  

部活


ソリューション データ:
私は中学生の時バドミントン部に入っていた。人数が25人以上いてとても部員数が多かった。部員数が多いことで1人が使える体育館の面積も小さかった。先輩には場所を譲る必要があった。しかしレギュラーになって試合に出るためには練習が必要で常にみんなの心の中に競争心があった。そのせいで次第に譲り合うということがみんなできなくなってしまっていた。部活の雰囲気もあまり良くなくなっていた。隣で楽しそうに練習しているバスケ部が羨ましく思ったこともある。私たちの学校は市内では優勝を常にしていたが、どんどんチームの成績は落ちていった。そうなるとさらにチームの雰囲気は悪くなるという悪循環があった。私は何度か部活を辞めようと思った。楽しくなくてキツイ部活から逃げたくてしょうがなかった。辞めようと思ったのは私だけではなかった。実際に半分以上が辞めていった。最初の体育館の場所の争奪戦から始まった私たちの仲の悪さは、部員が減ったことで思う存分体育館を使えるようになってからも修復できなくなってしまっていた。中学3年間の部活をこのまま終わらせたくなかったし、このままではいけないと思っていた。それはみんなも思っていたことだったらしく、自然とちゃんと話し合おうということになった。全員が思っていることをすべて話した。多分そこで初めてバドミントン部として1つにまとまった気がした。それからはみんなが笑顔で部活をするようになったし私も部活に行くのが毎日の楽しみになっていた。改めて話し合いはとても大切だと思った。

 [476] 自分のレベルアップ
 小学生  

自分


ソリューション データ:
私は小学1年生のころとても緊張しやすく、人前で話したり、自分から人に話したりするのが本当に苦手でした。そんな私があこがれていたものがありました。それは運動会の応援団です。粘性の運動会で応援団のパフォーマンスを見ていて自分もやってみたいと思うようになりました。しかいs、応援団になるためには人前で大きな声を出せることが条件だったので、人前で話すのが苦手な自分には絶対できないと思っていました。だから、2年生のときは応援団になることをあきらめていました。けれども、どうしても応援団をやってみたい気持ちがあり、あきらめきれませんでした。だから3年生までの1年間で人前で大きな声が出せるように努力しようと思いました。自分を変えようと思ったが何をしたらいいか全くわからなかったので私は両親に相談しました。挨拶するだけでも最初の頃は緊張してなかなか声を出せませんでした。しかし、毎日挨拶を続けているうちにだんだん自分から声を出せるようになりました。不思議なことに挨拶で声を出せるようになるとほかの場面でも自然と声を出せるようになっていました。私はその1年間の努力で人前で話すことが苦手ではなくなりました。
結局わたしが応援団になることはありませんでしたが、応援団になるために行った努力のおかげで自分をLvUpさせることができました。そして今、私は部長や委員長など人前で話す役職までできるようになりました。ちょっとした努力がきっかけで自分はいくらでも変えられることを実感しました。

 [475] 自分と向き合い乗り越えた経験2
 高校2年生の冬から高校3年生の春先の出来事  


ソリューション データ:
高校2年生の冬から高校3年生の春先の出来事だ。私の通っていた
高校では、進学指導に力を入れていたこともあり、模試も多く、高校2年生の
冬には多くの人が志望校を決めていた。私もぼんやりと志望校を決めていたも
のの、自分がどうしてなりたいかも説明できず、ただ理系だからと決めてしま
っていた。そのため高校3年生になる前に考え直そうと決め、改めて自分の進
路について考えていた。私は当初心について興味があったが、ならば心理を学
んで自分はどういう職につきたいのかと考えるとそこで詰まり、他の分野を考
えていても、理系科目が苦手なのにできるのかとそこでも詰まり、完全に行き
詰まっていた。そうこうするうちに周りはどんどん進み、自分が取り残されて
いるように感じていた。
 また、ちょうどその頃、他に2つ悩みの種があった。まず、2年生で知り合い
仲良くしていた子と、1年生のころから仲良くしていた子が知り合い、その2
人が急速に仲良くなってしまい、1人になりがちになってしまったこと。2つ目
に、当時のクラスの雰囲気が良くなかったこと。この2つと、自分の進路のこ
とで行き詰まり、保健室にこもりがちになっていた。
 そんな時、当時の保険室の先生は、好きなだけいていいよと言ってくださり、
すぐに気付いてくれて、とにかく話を聞いてくださった。何回泣いたか数えら
れないし、高校3年生になっても先生には迷惑をかけてしまったが、高校2年
生のあの時期を乗り越えて卒業できたのは、先生のおかげである。あの保健室
の温かい空気は、優しく時に厳しい先生の素敵な人柄が作り出していたのだと
思う。

 [474] がむしゃらに乗り越える
   

ソリューション データ:
高3の夏に、受験と学校行事による忙しさが一気に来た。高校は進学校で、周囲はレベルの高い大学を目指す同級生ばかり。予備校に通わず、高校入学から勉強をろくにしてこなかった私は焦っていた。夏は勉強時間に充てたかったが、夏休み明けに控える学校行事で衣装担当を引き受けていた。一緒に作業を行う予定だった同級生は部活動が忙しいため、実質私だけでやるようなものだった。100人近くが躍るダンス種目の衣装。デザインを考えるところから材料の手配まで行わらなければならない。当日に間に合うか、皆に完成品を受け入れてもらえるか・・・・・・プレッシャーが重たくのしかかる。衣装による徹夜続きで勉強に集中できなくなった。私は大学で何をしたいか、なぜ大学を目指しているのか分からなくなっていた。目指す大学のレベルが周囲と比べて低いうえに、模試の結果が振るわず苦しかった。勉強も衣装も頼れる人がいなかったので、精神的にも肉体的にも辛かった。とにかく与えられたことをやり遂げようと思い、最終的に友人に手を貸してもらって無事に衣装担当の責任を果たすことができた。また、行事の達成感を味わったことが糧となり、前向きに勉強に取り組んで無事進学することができた。

 [473] 少しの勇気
   

ソリューション データ:
私は1学年60人、2クラスの小さな小学校に通っていた。小学校5、6年の頃、私のクラスは学級崩壊していた。数人の男子を中心に日々荒れていった。若い女性の先生が担任で、教室には常に担任プラスもう一人の先生が付いている状態だった。授業中に立ち回り、しゃべり、ゲームをし、ついには消失から出ていく人までいた。授業はそのたびに中断し、先生VS生徒の戦いが始まっていた。それを止められない先生と崩壊ばかりする学校が私は嫌いだった。そのころから先生という存在に信頼感をもてず。先生と深いかかわりを持たずに、小中を卒業した。ちなみに小学校から中学校に上がるときはメンバーの入れ替わりもなく、クラス替えだけだったため、中一では担任いじめ、中二では隣のクラスが学級崩壊をしていた。先生や大人を信頼できないまま高校生になった。周りの友達が先生のことを好きと言っていることに違和感があったのと同時に少し羨ましくもあった。そのころから何も悪くない先生を好きになれない、信じられない自分が嫌いになりつつあった。悩み始めたがどうすることもできなかった。だがそんな時一人の先生に出会った。その先生は高校二、三年の時の担任であった。最初はもちろん先生という先入観からできるだけ関わらないようにしていた。だが、いつも生徒を気にかけ、一生懸命な先生に少しだけ好感を持つようになっていた。ある日先生に「最近お前と全然話してない気がしてな、元気か?」と声をかけられた。驚きと同時に、少し嬉しかった。17歳にもなって先生に抵抗している自分が恥ずかしくなった。そのころ進路に悩み始めていた私は、少しだけ先生を信用し、相談をしてみることにした。先生は調べたり、資料を持って来てくれたり、真剣に相談に乗ってくれた。もしかしたら、先生としては仕事の一部であったかもしれないが、嬉しかった。その後、先生に私が今までしてきた経験についても話を聞いてもらった。先生である人に、過去の状況と先生のことを相談し、思いをぶつけることで、より信用して担任と向き合えると考えた。その結果高校を卒業する時には、先生との信頼も以前より築くことが出来た。そのことはさらに私の高校生活を豊かにし、学校へ行くことが初めて楽しいと感じた。自分の中にある先生という存在はなんて小さい世界のものだったのだろうと気づいた。私のこの経験から、少しの勇気は自分の世界を大きく変え、広げるということが分かった。過去のトラウマを乗り越えていくことは大変なことだが、乗り越えてみれば価値観もまた大きく変わっていくことが分かった。

 [472] 友達についての悩み
 小学校高学年  

友達


ソリューション データ:
小学校高学年になると、クラスの中の女子がだんだんとグループ化し始めるものだ。また、グループに入れば、その他のことはあまり遊べないし、グループのメンバーに合わせて他の子の悪口を言わなければならない。というような「暗黙の了解」が女子の間に合った。私が小学4年生頃まで仲良くしていた4人の友達は、5年生になってAちゃんとBちゃん、CちゃんとDちゃんで分裂し対立してしまった。どちらのグループも遊び方や話題になることも全く違ったけれど、私はどちらのグループにいても楽しかったし、どちらとも遊びたいと思っていた。そして何より、今まで仲良くしてきて大好きだった友達に嫌われるのが怖かった。なので私はどちらのグループにも属さず、両方と遊んでいた。両親や先生は私を「友達が多い、誰とでも仲良く」と思っていたかもしれないが、悪く言えば「八方美人」だったと思うし実際のクラスの他の子からはそう思われていたと思う。嫌われたくない一心でAちゃんとBちゃん、CちゃんとDちゃんに自分の本音を隠してみんなに話を合わせるというのはとてもストレスがたまったし心苦しくもあった。でも、はっきりしない自分が悪いし、一人になるのが怖くて、相談も出来なかった。そんな自分が変わったのはある本を読んだことがきっかけである。「温室デイズ」という作品だ。ある中学のクラスのいじめがテーマになっている小説で、私自身はいじめを受けたわけではなかったが、その小説の中でとても心に響いた言葉に救われた。「そんなに必死にならなくても、学校がすべてじゃないじゃんって。」というとてもシンプルな言葉である。今までずっと他人(学校の友達)の目ばかりを気にしていた自分がとてもちっぽけに感じた。学校の友達はもちろん大事だけど、でもそれがすべてでないし、みんなと仲良くしたいと思う自分の気持ちを大事にして自分の思うようにやろうと思うことができた。それからは、いい意味で「適当に」友達づきあいができるようになった。わざわざ無理をして相手に合わせなくても、素でいれば気の合う人は現れるし友人関係や学校がすべてではないと気楽に考えることって大事だなと思った。

 [471] 自分と向き合い乗り越えた経験
 中学3年生の時  


ソリューション データ:
中学3年生の時の出来事だ。合唱コンクールの本番で、恥ず
かしい失敗をしてしまった。その後、そのことが原因で男子に心無い言葉でか
らかわれたり、からかわれた瞬間急に冷たくなる人がいたり、そのような状況
と、高校受験のストレスが重なり、ある時保健室に逃げ込んでしまった。その
時に駆けつけてくれたのは当時の担任の先生だった。はじめは、とにかく泣き
に泣いて話すことができなかったが、しばらく経って、先生に何があったかを
伝えた。その時も先生は真剣に、じっと私の話を聞いてくださった。そして私
に言葉を浴びせた男子にはきちんと指導する、私はこれから卒業までちゃんと
私さんが通えるように支えます、だから頑張って来てね、と言われた。そし
て、これまでそういうことがあったのに気付けなくてごめんなさい、でもよく
頑張って来てくれましたね、とも言われた。そのあと、その男子に指導したこ
とを伝えてくださり、からかわれることは減った。失敗が失敗なだけに親にも
言えず、まして友人にも言えなかったため、先生のその言葉が当時の自分には
何より助けだった。その失敗がきっかけでいつからかわれるかという緊張から
人の目を必要以上に気にするようになってしまったし、他にも変わってしまっ
たことはあって、中学生の頃は今思い出しても辛い。しかし私が逃げずに中学
卒業を乗り越えられたのは、その先生に打ち明けられたことで先生に助けられ
たからだと私は思う。


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