いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
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男性/女性/...
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男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
精神的な症状編 (137)
男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
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 [404] 大学受験!
 大学受験  

自分


ソリューション データ:
わたしがいままで生きてきた中で、一番の困難な壁にぶつかったのが、大学受験であったと思うくらい、わたしにとって大学受験は忘れることのない経験である。本学を入試には志望理由書については、なぜ看護学科を目指したのか、どのような看護師になろうと思っているのか、そしてなぜ本校を志望校にしたのかを考えることが自分が考えていた以上に大変であった。また、面接練習では、自分の思っていることと全く異なることを言ってしまったり、緊張して普段とは違う自分になってしまったりと、なかなかうまくいかず、悩み、苦しんだ。自分は看護師に向いていないのではないか、どうして自分だけこんなに将来について考えなくてはならないのか、うまくいかない自分に苛立ちを覚えた。そんなときわたしが悩んでいるのがわかったのか、家族が面接の練習をしてくれて、そんなに固く考えないで、普段の自分を出せばいいんだよ、もっと笑って!などと家族全員がわたしを励ましてくれた。このときから、私の気持ちは徐々に和らぎ、面接の練習でも普段通りの自分が出せるようになり、今まで考えすぎて答えに詰まっていた質問にもすらすら答えられるようになった。最終的に入試にも合格でき、受験期中の悩み、苦しんだ時間は決して無駄ではなかったのだと思えた。そしてこの大学受験を通して、自分自身をみつめたことによって受験前の自分より、大きく成長できたと思う。この大きな壁を乗り越えることのできた経験を、今後の将来にもいかしていきたいと思う。

 [403] 大学入試対策の塾
 高校  

自分


ソリューション データ:
私は、あまり勉強が得意ではなく学校での成績はあまりいいものではありませんでした。
しかし、どうしても高1から3年間私には行きたい大学がありました。
高2の冬、ある看護の大学を受験する人専用の塾を訪れた際、そこの大学は推薦が半分だし、一般は難しいから推薦受けた方が受かりやすいと言われ、絶望に陥りました。
これからどうもがいてもほとんどの教科で満点近くの点数を取らなければ推薦での受験は、不可能でした。
しかしどうしてもその大学に行きたく、一般で絶対に合格すると心に決めて、高3の春からK塾に通い始め、一生懸命必死に頑張りました。
無事、高3の模試から成長がみられるようになりこの塾なら頑張れると思い、ここで塾を信じて頑張ろうと決めました。
塾は高校から離れた場所にあり、友達は一人もいませんでした。
夜ごはんを家で食べるため、19時には塾を出るようにしていました。
他の塾の人たちは、友達と塾でご飯を食べて残ることが多くなりました。
そのうち、私も残らなくて大丈夫なのかな?みんなの成績が上がって、私の成績が下がっていったらどうしよう?と不安に思うことが多くなりました。
お母さんには、順調に成績が上がっているのだから、そんな無理をする必要はないと何度も言われました。
しかしある日、大学生の塾の先生に「そんなに早く帰って何やっているの?みんなやっているのだから、塾に残って勉強しなくちゃ」と言われました。
不安に思っていたことを言われてしまい、それから塾に残る事にしました。
しかし私は、精神的に不安定になりやすいためか、体を壊すことが多くなり、寝坊するようにもなり学校に行くのに遅刻ぎりぎりに登校するようになってしまいました。
そんな私を見かねた母は、私に「やっぱりそのやり方はあなたには、合わないからやめなさい。そのまま続けても成績は絶対によくならないから。あなたはあなたのペースでいいから。」ととめてくれました。
ある日、塾で4者面談がありました。
担当の先生は「成績は上がっているけれど、もう少し授業を増やした方がいいと思うからこの授業取ってもらえる?」と言いました。
今まで計画を立ててしっかりやってきて成果も出てきたのに何でふやさなくちゃいけないの?これ以上増やしたら家に帰れない。でも増やさなくちゃ成績が落ちるのかな?まだ頑張りが足りなかったんだ。
でも…もう無理…と心の中で思っていただけなのに、涙があふれ、塾で大泣きしてしまいました。
自分では、勉強量が足りなくてまだまだ頑張っていないと感じていたけれど、やっぱり辛かったんだ。頑張っていたんだ…と自分の思いに気づきました。
それから両親は、先生にこれまであったことを伝えてくれて、「これ以上無理を言わないでほしい」とはっきり伝えてくれました。
先生は増やすことをやめ、家に早めに帰ることにも納得してくれました。
自分のペースで、周りの人に惑わされないようにやっていく自分に自信を持つ大切さをこの大学受験で学んだと思いました。
今では、推薦ではなく一般でここまでこれたことが自信につながり自分の精神力の一部となっていると思います。

 [402] 大学受験の話
 高校生  

ソリューション データ:
私は高校1年生の時から本学に通いたいと思っていた。高校2年生の夏から塾に通い始め、本格的に受験に対する勉強を始めた。部活をやっているときは、部活が終わってから塾に行き、塾から帰ってから少し勉強するという生活を送っていた。部活を引退してからは、ずっと塾にこもっていた。私は塾が大好きだった。先生、大学生のチューターさん、同級生、とても面白い人ばっかりで塾に行くことが楽しみであり、勉強が苦でなかった。もともと一般入試で考えていた私は、勉強をしていくにつれて段々と合格へ近づいて行っていたと思う。それが嬉しくて勉強が楽しかった。そんな時ある人に「公募入試を受けてみたら?」と勧められ、校内専攻にダメもとで応募してみた。すると、私以外にいなかったらしく、通ってしまった。落ちる気満々だった私は試験の1ヵ月前対策をスタートさせた。もともと文章を書くのが苦手な私にとって、小論文を書くことはとても難しかった。そこから辛い日々を送った。書き方が分からず泣いたことも多かった。食事さえ時間がもったいないと感じ、ご飯を食べない日もあった。毎日ピリピリしていて、家族に当たってしまったりとたくさん迷惑をかけた。小論文を国語の先生に毎日提出し、直してもらってまた書く、これを試験まで続けた。やっと書き方が分かるようになり、一発でOKをもらえたのは試験の二日前だった。英語はまぁまぁ自信があったのであまり対策をせず、前日に英文を読んでみたらひどい点数を取ってしまい、泣いた。もうだめだと思った。試験当日、みんなから多くのメールが届いた。お母さんからも応援メッセージが届いた。とても緊張していたが、たくさんの応援のおかげで一日を乗り切ることができた。結果は「合格」。信じられず、何回も確認してしまった。今では公募のあの短い1ヵ月でさえ苦しかったが一般入試まで乗り切れたとは思わない。あの時公募を勧めてくれた人には本当に感謝している。そして、自分も受験生で辛かった時期に私を応援してくれた友達にも感謝でいっぱいである。多くのひとの支えのおかげで今、本学にいる。そのことをいつまでも忘れずに夢に向かって頑張っていきたいと思う。

 [401] 日々勉強
 大学生  

自分


ソリューション データ:
大学進学に伴って上京し、バイトを始めました。初バイトで個人経営のお店なので、はじめは不安でしたが、雰囲気に慣れるのにそう時間はかかりませんでした。ですがやはりマナーや礼儀をまったく知らずに始めたので、女将さんや常連のお客さんに注意されることもたくさんあります。そういうときはとても落ち込んでしまうし、そのあとの仕事も怖くなってしまって、自分には接客業が向いていないのかな、やめた方がいいかなと考えたこてゃ一度や二度ではありません。でも女将さんは「誰だって最初は間違うのだから、すこしずつここで覚えていけばいい」と言ってくださいました。「ここで働けば、接客の一通りのことはできるようにしてあげる!」とも言っていただきました。女将さんのやさしさも甘えることなく、まだまだ勉強不足な自分を奮い立たせて、しっかりと仕事をこなせるようになりたいです

 [400] 日本に来たときの文化の違いで乗り越えたこと
   

ソリューション データ:
私は3才のときにはじめて日本に来ました。日本に来た理由はお父さんはとても日本が好きでした。日本の文化やしきたり、また食べ物も好きでした。日本に来る前ガーナに住んでいて、当時日本の有名なドラマおしんが大ブレイクしていたそうです。それを見たお父さんは日本に惚れ込んだそうです。最初に日本に来て、びっくりしたことは”天気”です。私の国には夏と霧の時期があるぐらいで日本みたいに春、夏、秋、冬という四季がなかったのでとてもびっくりしました。特に冬のときに雪が降ったときの驚きは今でも忘れません。時には、雪は甘いのかと思い、食べようとしたときもあります。また、とても寒くどうやって生きていくので必死でした。すべてが初めての経験だったので凄く大変な思いをしました。

 [399] 何度も頑張ることの大切さ
 大学  


ソリューション データ:
大学に入って、英語の発音訓練の授業を取ったのだが、授業ではいつも発音が違うと指摘され、どうして自分は出来ないないのだろうともどかしい気持ちになっていた。
私は特にlとrの発音、sheとseaの言い訳が苦手で、いつも違うと指摘されていた。
ある日、あまりにも違うせいで、授業中にトイレの鏡で先生の口の動きを見ながら発音することになり、じぶんがいかに我流で発音していたのか、いつも、やっているつもりで発音していたが、実際出来てないことを痛感させられた。その後、お昼休みや放課後、先生の授業の空き時間に特訓をお願いして、何度も何度も間違いを直してもらっているうちに、自分が今までどう間違った発音をしていたのか、どのような口の動かし方をしていたのかがわかるようになり、自分で気をつけることが出来るようになっていった。
その授業では最後に発音のテストがあるのだが、テスト前日に先生に再び確認をしてもらいにいったところ、「ネイティブみたいに上手になったわね!」という言葉をかけていただき、今まで先生の所に行き、自分自身も家でDVDを見続けた甲斐があったと感じた。
テスト当日も、単語の発音は満点をつけていただき、「よく頑張りました!」という言葉と握手を求めてくださり、先生をがっかりさせることがなくてよかったという思いでいっぱいになり、無事終わることが出来て安心することが出来た。

 [398] 祖母とのいざこざ
 先日  

祖母


ソリューション データ:
先日、わたしの両親と父方の祖父母と食事に行った。その時にわたしは体調もあまり良くなかったこともあり、父の問いかけに対してそっけない態度をとってしまった。そのわたしの態度が気に入らなかった祖母は、わたしに「ねえ、今の態度はどうかと思う。わたしの知っているあなたはそんなんじゃないわ。少し会わないうちに変わったね。」とわたしに目の前で言った。わたしは、ただ返答をすることがめんどくさかっただけで、悪意があってそんな態度をとったわけではなく、いつも父に対して冷たい態度をとっているわけでもないため、普段のことも知らない祖母にそんなことを言われる筋合いはないと思った。さらに、そんなことを祖母に言われたことに対するショックもあったため、わたしは黙り込み、食事中ほとんど誰とも口を利かなかった。もやもやした気分のまま食事の時が終わり、その後もそのことをあえて考えないようにしている自分がいた。自分に100%罪がないとは言い切れなかったので、祖母に対してだけでなく、自分自身にも苛立ちを感じていた。数週間後、たまたま祖母と電話をする機会があった。わたしからはあえてこの間の件には触れずに会話を交わしたが、電話を切る寸前に、祖母がこの間の件について話し始めた。あの時はかっとなってしまってあなたのことを傷つけてしまった。あの日からずっと謝りたかったのだ、ただあんな態度をとるあなたも見たくなかったし、自分の息子が娘にそんな態度をとられている姿も見たくなかったのだということも言ってきた。わたしは心のしこりのようなものが取れる気がした。ただ、私自身も祖母を傷つけてしまったのだということも実感した。ストレートにわたしのことを言ってくれる存在は貴重な存在であるし、その存在がいるからこそ成長できるのであるとわたしは思う。自分のことをはっきり言ってくれる人のことを大事にしていきたいと考える。

 [396] 霊感の対処法
 小さい頃から  


ソリューション データ:
私は小さい頃からオカルトが大好きで、自分でホラー映画をビデオ屋さんで借
りて見ることが趣味でした。最初は映画を見ていて問題がなかったのですが、
そのうちの一つをノンフィクション映画だと信じこんでしまって、その映画が
トラウマになったのをきっかけに私の周りでたくさんの怪奇現象が起こり、ま
た霊感を持ち始め、日々、悩まされました。その内容は、例えば消したはずの
電気がついたり、ストーブが勝手についたり、10年間、壊れていた時計がいき
なり動きはじめたり、どれも不気味な出来事ばかりで毎日何かしらの怪奇現象が
身の周りで起こる程でした。また、幽霊が見えるといったことはありませんで
したが寝ている間に幽霊に触ってしまったり金縛りが起きたり、見たことも会
ったこともない同じ人が毎回夢に出てきたり、幽体離脱をしたりと、自分の気
がおかしくなったのではないかと思うほど一気に色々なことが起こり、毎日恐
怖感で気持ちがいっぱいでした。そこで母親と一緒に霊媒師さんのところへ行
き、見てもらったところ、悪い霊ではないけど確実に私のそばに霊はいたよう
でした。そこで霊をとっぱらうためにいくつかの対処法を教えてもらいました。
それは玄関に塩を置くこと、寝る部屋には鏡を置かないことなど実践できるこ
とばかりでした。また、気持ちの面でもアドバイスをいただきました。それは
私は、見た映画に対して深く信じこんでしまったことが原因で思い込みの部分
も多いとのことだったのでホラー映画など、しばらく見ないほうがいいとのこ
とを言われました。また、気持ちを強く持てば霊は寄ってこないとも言われま
した。私は霊媒師さんの言われた通りのことを全てやることにしました。する
と、それまであった霊感がなくなり、怪奇現象もぴたりととまりました。私は
このような経験から、私の霊感は気持ちの持ちようから来るということを知り
ました。今でもたまに金縛りにあったり、幽体離脱で身体がどこかへ持ってい
かれそうな感覚になることがあるけれど、そのようなことが起こった時は気持
ちを強く持って、霊を追っ払うような気持ちでいれば金縛りからすぐに解ける
ようになるし、幽体離脱もすぐに終わります。私が霊感があるという悩みは、
周りの人にとっては理解のしにくいことで相談相手すら限られてしまいますが、
その霊媒師さんに教えてもらったことは今でも生きていて、私一人で霊感を克
服ができるようになり、悩みをなくすことができました。

 [395] 次の一歩を踏み出すには
 高校三年生  

自分


ソリューション データ:
わたしは高校三年間放送部に所属していました。すごく強い学校なわけではありませんでしたが、毎年数人、数作品が県で上位入賞していました。わたしは朗読部門で一年生のときから大会で入賞し、二年の秋大会では優秀賞をいただき、東北大会と次年度の夏にある総合文化祭に出場することができました。とてもうれしく、誇らしい経験でしたが、わたしはどうしても達成できなかった目標がありました。それは年度初めにあるNHK主催の放送コンクール県大会で上位入賞し、全国大会にいくことでした。小学校、中学校で合唱部に入っていたので「Nコン」の存在を知っていたわたしは、高校で朗読を始めた時からこの全国大会にでることを目標としていました。一年で初めて出場したNコン県大会で入賞し、頑張ればきっと夢ではないと信じて練習しました。そして迎えたNコン県大会、初日の予選を無事通過し、今年こそは!と意気込んで決勝の朗読を終えました結果発表、入賞者の時にわたしの名前が挙げられました。全国大会に行けるのは、最優秀賞一名と優秀賞五名のみです。その時何が起こったのかはよく覚えていません。ただ周りの部員たちが反応してくれなかったのはなんとなくわかりました。多分、私に気を遣ってくれたのだと思います。自分がもう憧れた全国大会に行けないんだなと実感したのはアナウンス部門の後輩が優秀賞をもらった瞬間でした。悔しくて悔しくて、でもなぜか涙はなかなか出なくて、ただひたすら苦しかったです。閉会式が終わった後、顧問の先生がわたしを呼びました。先生は県内の学校からその年に赴任されたばかりでしたが、放送部の先生で県大会の審査員も務めていらっしゃる方でしたので、技術面ではかなり助けていただきました。先生に「お疲れ様」と声をかけていただいた瞬間、涙がとまらなくなりました。「ごめんなさい、ごめんなさい……」と繰り返しながら泣きました。近くに全国出場を決めた後輩もいたので無理やり泣き止みました。そのあと先生は審査委員長さんのところへ連れて行ってくれました。この時聞いたお話によると、私は優秀賞のラインである六位と同店で、審査委員長さんのつけた点数が高かったもう一人が選ばれたのだそうです。先生はなぜ私が落されたのか、気にかけてくれているのでした。審査委員長さんにお話しを聞いている時も、全国にみんなを連れて行けなかったこと、目標を果たせなかったこと、教わった先生方や期待してくれていた先輩方に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。私がここから立ち直れたのは、このときに全国出場を決めた後輩の存在があったからだと思います。元々仲の良い後輩だったのですが、この時は何も話せませんでした。一番気まずい思いをしていたのは彼女だと思ったからです。帰ってから応援メールを送ると、「自分が全国大会行くことをどう思われているか不安だった」と返してくれました。そのほかにも、私が正直な気持ち(とても悔しいこと、まだ気持ちの整理がついてないこと、それでも素直に応援していることなど)を伝えた分、彼女もまっすぐに返してくれました。お互いすっきりした気持ちで話すことができました。わたしもくよくよ落ち込まず、次の日から別の大会に向けてのモチベーションに切り替えることができました。今年、同じ大会で、この後輩は全国大会を逃しました。わたしよりもずっとつらい経験だと思います。その日の夜に電話をかけたら、やっぱりたくさん話してくれました。わたしもたくさん話しました。三時間弱の長電話で、最後には
大学生活のことについても聞いてくれたので、少しは立ち直るための手助けができたのかなと思います。もやもやとした気持ちは溜め込まない方が絶対にいいし、つらい経験は、誰か、特に同じ経験をした人と共有することで乗り越えられる。苦しみを乗り越えて進んでいくことは、1人ではできない。改めてそれを実感した経験でした。

 [394] 大好きな妹
 大学  

自分


ソリューション データ:
私は妹が大好きです。
なので、ずっと一緒にいたいと思っていたし、いられると思っていました。
しかし、妹は高校受験先を母の実家の方に決めてしまい、しかも、5年制の高校だったため、しばらく一緒にいられない状態になってしまいました。
最初は、寂しくて、辛くて仕方がなかったです。
人生を共に過ごしてきたのに一緒にいられないことに、絶望さえしていました。
でも、夏休みなどの長期休みには、こっちに帰ってきて会えるので、次第に辛さを忘れ、帰ってきたときに会えることを特別に感じることができるようになりました。
今思えば、一緒にいられなくなり、距離があいてしまったとしても、お互いに元気に健康で笑顔でいられれば、それでいいのだと気づきました。
これから、大人になって自立していかなければいけないので、ここで離れることは成長の一歩だと感じ、長女としてしっかりと家族を支えていかねばと思いました。


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