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 [578] 高校の部活
 高校  

部活


ソリューション データ:
私は高校生の頃、家庭部という部活に所属していた。私は、中学生の時に行ったオープンスクールで、家庭部の先輩方が、楽しそうに料理をしている姿を見て、家庭部に入りたいと思い入部した。しかし、私の出身高校の家庭部は、キルトという部員全員で小さな布を合わせていき、最終的に約2メートル四方の大きな1つの作品にするものが、大会でも何度も優勝しており、キルトの活動が主で、思っていたよりもとても大変な部活だった。1年生の頃は、仲の良い友達もたくさんでき、作品を作っていくとも楽しかった。しかし、2年生になると、私は理数科だったという事もあり、勉強や課題研究などが忙しくなり、クラスの友達も受験を意識し始めて、部活を辞めていく子も多く、早朝や夜遅くまで部室に残り、作業をしていた私は、徐々に焦りを感じ始めていった。また、家庭部にいた同じクラスの中の良い友達2人もやめてしまい、とても部活が辛くなってしまった。だから私も、部活を辞めようかと悩み、顧問の先生に相談したり、家庭部の先輩や、友達に相談したりした。特に、顧問の先生は親身に話を聞いてくれて、1か月休部して、もう一度よく考えてと言ってくれた。だから、休部してみたが、部活に行かないからといって勉強がはかどる訳でもなく、勉強ばかりの日々も、とても憂鬱だった。さらに、休部している間も、廊下で家庭部の部員に会うと、戻ってきてと言ってくれて、とてもうれしかった。もう一度よく考えた結果、家庭部は大変な部活だが、辛いことばかりではなく、楽しいこともたくさんあって、家庭部は私にとって、とても大切な存在と気づくことができ、3年生で引退するまで部活を続けることが出来た。

 [577] 自分に足りないもの
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私は中高一貫校だったので、六年間同じ部活で活動していた。練習そのものは「辛い」の一言に尽きる。それでも高校三年生の夏まで続けたのは必ず最後までやり遂げたいという意地と努力した分報われると思っていたからだと私は思う。
 私は特に期待されている選手ではなかった。先輩や指導者の目にかかるのは常に同期の友人だった。高校二年生で私は部長になった。それは指導者が私を抜擢したものだったので私はとても嬉しかったが、それでも私が目にかかることは無かった。メニューを考え、後輩の面倒を見たりするのは私なのに日の目を浴びるのは友人ということに我慢ならない反面、それが厳しい勝負の世界ということも分かっていたのでこのジレンマに苦しんだ。このまま部活を辞めて受験勉強に専念することも考えたが、今まで努力してきたものを投げ出す気にもなれず続けた。日の目を浴びずに終わるのは絶対に後悔すると思ったからだ。そこから気持ちを入れ替え自分がチームの戦力になるにはどうしたらいいのかを考え、より積極的に指導者に教えを乞うた。それまではがむしゃらに練習するだけだったが足りないものは何かを分析して練習に打ち込むとみるみる内に成長していった。そして試合で活躍できるまでとなった。
 努力は人を裏切るがそれは正しい場所で、正しいタイミングでなされていない場合だと思う。自分の内面と向き合えば他人のことを気にしなくなり自分の事だけに集中できる。そうすれば的確に何をすべきかが分かる。私は辛いことにぶち当たったときはいつも中高時代の部活を思い出し、まだまだ私にも出来ることがあると自分自身を鼓舞している。

 [576] 他人に助けを求める大切さ
 受験の時  

自分


ソリューション データ:
受験生の問い、自分の中のもやもやがすごく大きくなって、毎日泣いていた時期があった。今考えるとそれは受験への不安なのだが、当時は言葉にできない何かでしかなかった。言葉にはできないから周りの人に相談することもできず、夜になるたびに辛く苦しい思いが迫ってきた。そんなとき、いつも聞くラジオの掲示板にその苦しさを書き込んだら、たまたまそれを見た女友達がすぐにメールをくれた。私も彼女もお互いの事をそんなに知っている中ではなかったが、そんな「他人」に近い存在だからこそ、身近な人には言えなかったもやもやを彼女にぶつけることができた。彼女は私の思いをしっかりと受け止め、勇気づけてくれた。それをきっかけに、私たちは親しい中になった。
 苦しいことは自分の中で抱え、解決できると思っていたのだが、他人に助けを求めることの大切さを学んだ、大きな出来事である。

 [575] クラスでの自分
 高校2年の時  

自分クラスの友達


ソリューション データ:
高校2年生の時、クラスに馴染めず悩んだことがあった。あからさまにグループから外されているわけではなかったのだが、府に気に馴染めなかったのだ。当時の私は、みんなと一緒にいるだけ、といった感じであった。
 そのことのクラスの人たちは、みんなノリが良く、お互いをいじって盛り上がる府に気があった。私はおとなしいほうで、少し無理をしてみんなに会わせようとしていた。自分クラスの人たちの事は好きだったけれど、次第に私の居場所がないような気がしてきた。
 しかし、部活帰りに同じクラスで吹奏楽部の友人に相談してみると気が楽になった。友人は、「00の性格は大事にしていいと思う、無理に変えることはないし、そのままのほうがいいよ。」といってくれた。
 それからは、無理して周りに合わせることはやめた。その代り、自然体でクラスの人達といて、楽しいときは笑うような生活を送った。そうすると、自然と力が武家手楽になった。それまでは、浮くのが嫌で無理をして周りに合わせようとしていたっけれど、そうしないほうが自分にとってはいいのだと分かった。
 私には部活には信頼できる友人がいたし、小学校からの親友もいる。無理して信頼できる人をその場で見つけるより、自分が大切だと思う人を大切にすればいいのだ、と思うようになった。 
 その経験を通じて、自分とすべての人が合うわけではないのだから、そのことを気にやむことはないこと、そして、自分を大切にすれば、なんだかんだ楽しく過ごせることが分かった。

 [574] 私の進路を決めた友人の一言
   

ソリューション データ:
中学校3年生の頃、2つの高校で悩んでいた。1つは地元の高校で、同じ中学のこが多くいくような普通レベルのM高校。もうひとつは地元から電車で1時間ぐらい離れたところにある文武両道をモットーにした進学校であるY高校。やっぱり知っている子が多い地元の高校に行くのが無難だし、安心だしと思っていた。でも高校では勉強を頑張りたいという気持ちもあった。そのことを友達のTに話したら「お前はM高校だと周りに流れて絶対遊んでばっかになると思うよ。勉強する環境にあるY高校に行ったほうが良いんじゃない?」と言ってくれた。その言葉を聞いて私はY高校に行くことに決めた。その時の私の学力じゃ全然受かるようなところではなかったので、先生に毎朝勉強を見てもらったり、家でもそれまで以上に勉強して、合格することができた。今ではY高校に行けて本当に良かったと思っている。その友達には本当に感謝している。

 [573] アルバイトでの人間関係
 アルバイトを始めた時  

アルバイトの先輩


ソリューション データ:
私は5月からアルバイトを始めた。崔紗世はなれない仕事ばかりで、店長や一緒に働いている人に迷惑をかけてしまった。バイト先の人と仲良くなりたい、という願望が強かったのだが、自分が迷惑をかけている手前はなしかけられず、悩んでいた。
 しかし、ある日お店が開いたときに、「どこに住んでいるんですか?」と話しかけると、話が弾み、今では仲良く話せるようになっていた。バイトで悩んでいることも話せるようになり、以前よりも働きやすくなった。私は今まで、きっかけを待ってばかりだと思う。勇気を出してきっかけを自分で作るkとおで現状は変えられるのだと思った。

 [572] 信じる者は本当に報われる
 高校三年生  

自分


ソリューション データ:
高3になった春休み、塾に入った私は苦手な英語で200点満点中30点しか取れない有様だった。その日から勉強の日々がはじまり、学校の後は毎日真っ直ぐ塾へ行き、閉館時間の22時までひたすら勉強した。土日は9時から22時まで塾にこもった。周りよりも遥かにレベルの劣る私だったが、だれよりも1番早く塾へ行き、1番最後までいようと決めていた。中学レベルの英単語から勉強し直し、わからないことは積極的に聞いて解決した。学校へも7時半に着くようにし、朝のHRで1時間の勉強時間を確保した。だがそう簡単に成果は出ず、毎月模試を受けるごとに点数は確かに上がっていったが、志望校には程遠いE判定が続いた。そんな調子で急激な伸びの無いまま、センター試験直前の冬休みを迎えた。冬休み直前に受けた最後の模試でも、私はE判定だった。それでも不思議と自信のようなものがあって、本番でA判定を取るにはこの冬休みでどこまで上げればいいのかだけを考えていた。周囲から見れば到底無謀なものだが、なぜか諦めは微塵もよぎらなかったのだ。そしてセンター試験まで10日というところにきて、今までの中で学力が1番伸びた。全く聞こえなかったリスニングが聞こえなかったリスニングが急に聞こえるようになり、英語の長文を読むスピードもぐんと速くなった。センター当日は英語で過去最高の140点を取り、初めてA判定がついた。塾の先生にも「こんなに伸びた生徒は見たことがない」と驚かれた。私の勝因は、最期の最後の最後まで自分を信じたことに尽きると思う。そして行きたい大学、取りたい点数が明確にあった。信じていれば本当に報われる、そう痛感した。

 [571] 自分と向かい合った受験期
   

ソリューション データ:
大学受験は今までで一番苦しかったかもしれない。私が受験で特に辛かったのは、センター試験が終わってから大学の二次試験までの期間だ。センター試験が終わってからはやる気がなく、眠気のひどい日々が続いた。県立大学には過去の問題集である赤本がなく、何をすべきなのかわからず困惑していた。小論文のために図書館から本を借りて読み、使えそうな文があればメモする、という勉強をしていた。しかし、塾にいる周りの人は過去問を解き、机にかじりついていた。私はこんな勉強しかしていない自分が情けなく思っていた。夜は気分が悪くなって寝つきが悪くなっていた。塾には同じ高校の人はいなかったし、親しい人もほとんどいなかったため、相談できる人はいなかった。それでも私は大学に行きたかったので自分の信じる勉強をやり通した。自分を試したのである。合格通知を見たときは本当にうれしかったし、家族はみんな喜んでくれた。受験は辛いが、受験勉強をやり通した、という経験は自分にとって良いものになったと思う。何かをやり通したという、経験は、自分に自信をもち、さらなる挑戦をしていくきっかけになる。努力を続けることの大切さ、努力が認められることのうれしさを再確認できた一年間であった。

 [570] 悩みからの成長 2
 パートリーダー  

自分と後輩


ソリューション データ:
私は中学・高校時代、吹奏楽部に所属していた。そして高校2年の夏、先輩が引退し私はパートリーダーを務めることになった。
 その頃は2年生の自分が一人、1年生が1人で、常に2人で練習する状況であった。私はパートリーダーになったのだから練習メニューを変え、実力を上げようと考え、教則本などを抜粋し厳しい練習メニューを立て、実践した。ネットで調べたり、講師の先生に聞いて立てた練習メニューだったあめ、効果はあるのだと信じていたが、後輩がこの練習をどう思っているのかがとても不安になってしまった。 後輩は、中学のことは吹奏楽部の強豪校でトランペットを吹ていた意経験があったため、私は後輩がどう思っているのかいつも不安に駆られていた。後輩は明るく優しい性格のため、練習メニューのことを聞いても、実力がつくので良いと思います、先輩はすごいです、などと言ってくれた。しかし、私位は自身がなかった。
 パートの練習の際も、不安を感じていた。今までの経験や調べた内容から、パート練習の内容を考え、進めていたが、この進め方で良いのか不安になり、後輩の顔色を窺うようになってしまった。そのような日々を過ごすうちに、辛くても大好きだった部活の時間が次第にストレスになっていった。
 しかし、私が後輩だったころを振り返って考えてみると不安は解消された。私が後輩だったことは、よく先輩の練習の進め方に疑問を持ち、心のなかで反発していたことも多かった。しかし、先輩の指導のした 練習を積み重ねたことで実力は確かに上がった。そして何より先輩は練習量が部員の誰よりも多く、私も負けないように練習をたくさんsたいものだった。 そのことから、大切なことは自分がどれだけ努力するか、パートの実力をあげるかなのだと考えるようになった。自分が後輩にどう思われているのか、という自分が今まで悩んできたことは、パートリーダーにとって全く大切なことではなかったのだと分かった。
 悩んだ時期は辛かったが、悩んだことで先輩はとして成長することができたと思う。悩みを抱えた時は、相談することも大切であるが、納得のいくまでじっくり悩む事も大切であると思う。

 [569] 悩みからの成長
 パートリーダー  

自分と後輩


ソリューション データ:
私は中学・高校時代、吹奏楽部に所属していた。そして高校2年の夏、先輩が引退し私はパートリーダーを務めることになった。
 その頃は2年生の自分が一人、1年生が1人で、常に2人で練習する状況であった。私はパートリーダーになったのだから練習メニューを変え、実力を上げようと考え、教則本などを抜粋し厳しい練習メニューを立て、実践した。ネットで調べたり、講師の先生に聞いて立てた練習メニューだったあめ、効果はあるのだと信じていたが、後輩がこの練習をどう思っているのかがとても不安になってしまった。 後輩は、中学のことは吹奏楽部の強豪校でトランペットを吹ていた意経験があったため、私は後輩がどう思っているのかいつも不安に駆られていた。後輩は明るく優しい性格のため、練習メニューのことを聞いても、実力がつくので良いと思います、先輩はすごいです、などと言ってくれた。しかし、私位は自身がなかった。
 パートの練習の際も、不安を感じていた。今までの経験や調べた内容から、パート練習の内容を考え、進めていたが、この進め方で良いのか不安になり、後輩の顔色を窺うようになってしまった。そのような日々を過ごすうちに、辛くても大好きだった部活の時間が次第にストレスになっていった。
 しかし、私が後輩だったころを振り返って考えてみると不安は解消された。私が後輩だったことは、よく先輩の練習の進め方に疑問を持ち、心のなかで反発していたことも多かった。しかし、先輩の指導のした 練習を積み重ねたことで実力は確かに上がった。そして何より先輩は練習量が部員の誰よりも多く、私も負けないように練習をたくさんsたいものだった。 そのことから、大切なことは自分がどれだけ努力するか、パートの実力をあげるかなのだと考えるようになった。自分が後輩にどう思われているのか、という自分が今まで悩んできたことは、パートリーダーにとって全く大切なことではなかったのだと分かった。
 悩んだ時期は辛かったが、悩んだことで先輩はとして成長することができたと思う。悩みを抱えた時は、相談することも大切であるが、納得のいくまでじっくり悩む事も大切であると思う。


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