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当事者//...
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 [433] 部活動での葛藤
   

ソリューション データ:
私は、中学校1年生のときからソフトテニス部に入っていました。中学生のときは人数がとても多かったので、Aチーム、Bチーム…のように強い順でグループわけがされていました。主にAチーム、Bチームに選ばれた選手が団体戦に出場できました。その時はみんなより少しだけ上手だったのでいつもAチームかBチームに選ばれていました。引退試合も団体ベスト4、個人戦ベスト8という成績で、顧問からも勧められたので、高校でもテニスを続けることにしました。高校では、中学のときに地区でいい成績を残していた子達がほとんどでした。中学のころとてもあこがれていた子達ばかりだったので、仲良くなれて、一緒にテニスできることがすごく楽しかったです。そして、私たちが高校2年になって、新入部員が入ってきました。1年生たちも、中学のときにいい成績を残していて、すごく強く、そのおかげで、県団体ベスト8という成績も残すことができました。でも私たちの代になり、部長との対立が多くなりました。私自身、ミスが怖くなり、思うように打てなくなり、試合にも負けてばかりで悔しい気持ちであまりまわりが見えていませんでした。引退試合の間際になって、団体戦の予選が行われましたが、私達3年のペアは負けてしまい、2年生のおかげで勝ち進めたのですが、コーチにもしかられ、悔しいきもちがどんどんたまっていき、うまくやろうと努力しているのにミスばかりで足が動きませんでした。結局すべてに自信がなくなってしまい、勝つことができなくなってしまいました。そしてレギュラーメンバーからはずされてしまいました。引退試合本番は後輩の応援でした。本当に悔しかったです。でも、そんな気持ちをわかってくれる顧問の先生や、もう一人いるコーチがたくさん相談に乗ってくれました。私を必要としてくれる人もいるんだなと思って、最後までがんばりました。

 [431] 受験勉強
 大学受験  

ソリューション データ:
私の高校自体、進学校とかではなくあまり頭のいい学校ではなかった。大学も一般受験を受ける人が少なかった。勉強をしないような環境だったが私はここの大学に入学したいと思い、勉強を始めた。部活が忙しく、ほとんど勉強をしていなかったのでとてもきつく感じた。勉強をすることが全然できずにいたまた模試試験の結果も当然悪く、進路指導の先生からは志望校を変更すべきだといわれた。変更しようか悩んでいた時、諦めずにやろうと励みになったのが部活の顧問の言葉だった。勉強も部活も本質的なものは一緒、小さい目標を少しずつクリアして最終的に大きな目標にたどり着く、ということだ。そのほかにもいろいろな言葉をもらって、励まされた。きつくなったときは言葉を思い出し、自分を奮いたたせていた。また、目標を達成できたときは自分自身に褒美をあげるなどしてリラックスやモチベーション維持を心掛けた。結果的に合格することができたので良かった。

 [430] プライドと妥協
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私には元々行きたい高校があった、けれど前期の推薦では成績が少し足りなかった。後期の一般受験で目指していたが、12月ごろの模試ではその高校の合格ラインに足りず、志望校を下げるか、もう少し頑張るか。けれど持ってきた成績で、他の高校に行けるという先生から言われた。確かに受験勉強は大変だし早く終わってしまえ、と思っていたがどうしてもその高校に行きたかった。夏休みも涙を流しながら、塾で授業を受けたし、何より親からの期待もあった。成績を無駄にしてしまうのは勿体ないという気持ちもあり、1月の模試で合格ラインに達しなかったら、妥協することにした。結果は不合格ライン。自分の中で凄く逃げてる気がしたし、親に何か言われれるのも怖かったけど、先生に決めるのは私だからと言われた。逃げではなく、自分の今までの頑張りで別の高校を受けることにした。結局、自分が志望していた高校と別の高校に行ったが、あのときに自分を責めたりせずに決められて良かったと思う。その高校に行って、凄くいい友達にも先生にも会えたし、行事もたくさんあって楽しかった。時には自分で何かを妥協することも大切だなと感じられ出来事だった。

 [428] 遅刻
 高校2年生  

ソリューション データ:
私は高校の時陸上部に所属していた。中学から陸上をしていた私は高校でも長距離を専門にしてやろうとしていた。だが、度重なる怪我で中々練習をすることができず試合にも当然出られずにいた。そして2年生の終わりの3月に競歩という種目に転向しようと決意した。本当はずっと全国高校駅伝を走ることを目標にしていたが、競歩は歩く種目で比較的体に負担がないのですることに決めた。顧問の先生にも5月のインターハイ予選までの間しっかり指導してもらい、インターハイを目標にして本格的に取り組んでいた。なにより競歩が好きになって、タイムもどんどん縮まっていた。そして、部内の選考でも選んでもらい、代表としてインターハイ予選に出してもらえることになった。最後の大会になるので、3年分の思いをぶつけようと気持ちはかなり高まっていた。だが当日、大きなミスをしてしまった。陸上には「召集」というのがあり、そこで最終的な出場意思を伝える行為がある。それは試合の前に時間が決まっていて、召集を行わないと試合に出られない。私はその召集に遅れてしまった。せっかくいただいたチャンスだったが試合は出場することができず、そのまま終わってしまった。際余はその時の現状を理解できず放心状態がつづいたが、少し時間がたつと自分がどれだけのことをしたのかわかり、泣いても泣ききれなかった。3年間支えてくれた両親や、人間的にも成長させてくれた顧問の先生、そして応援してくれていた仲間やその他大勢の人へ恩返しをしようと思っていたのがそれどころかまた迷惑をかけてしまい本当に悔しさや情けなさが残った。怪我をしていてなかなか練習することができなかった分、この大会で奮起しようという競技に対する気持ち、周りへの感謝、部長としての責任、これらのすべてがたった2分の遅刻で表すことができなくなってしまった。その後は数日間食欲がでず、何も食べずにいた。本当に死んでしまおうかとも思った。胃潰痕にもなり大好きな部活に行くのが辛かった。だが、この辛い状況から救ってくれたのはやはり仲間や先生といった周りの存在だった。支えてもらい、少しずつ前に進むことができた。時間がたったというのもあるが、本当に周囲の人の支えの力は大きいということを実感した。それからは、私がしたこのつらい経験を2度と他の仲間にしてほしくないと思い、時間に対する意識が高くなった。

 [426] ♪小さい頃から内向的で〜
 不明  


ソリューション データ:
 小さいころから内向的で自分を出せずに、友達を作るのが苦手だったが、無理に自分をよく見せずに素の自分を出すことを心がけるようにしたら、少し、人見知りな性格を直すことができた。

 [424] 負けず嫌い
 中学校・受験期  

自分・同じ塾の子


ソリューション データ:
 私の高校受験は、「挑戦」の一言だった。
 結果的には合格し卒業して今に至るが、もし受験期に諦めていたら、今の私はなかったと言っても過言でない。
 私はギリギリまで志望校を決めることが出来なかった。絶対に公立がいいと思い込んでもいた。だが、そんな中で通っていた塾に自分よりも頭がいいのに、自分の目指す高校よりも偏差値の低い高校を目指している子がいた。自分は負けず嫌いなので、この事実がとても悔しかった。また、ある日また違う子と下校したときに、少し高めの高校を目指していることを言ったら、
「難しいんじゃない?」
 と言われて悔しい思いをした。これらの事をきっかけに、負けず嫌いな私は、本当に頑張って勉強をした。何度も志望校を下げようとしたし、心が折れて泣いた日もあった。だが、みんなを見返したい、無理だと決めつけられたままは悔しい、という思いだけで結局挑戦した。結果は合格した。本当に嬉しかった。
 きっかけは、単純なほど負けず嫌いだったことだが、負けず嫌いのおかげで挑戦を成功させることができた。
何事も負けず嫌いになって諦めずに取り組みたいと思えた高校受験だった。

 [423] 我慢も大事
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私は高校1年の夏ごろから陸上の成績が全く伸びず、悩んでいた。毎日毎日走り込み、自主練もしたり、つらい練習を乗り越えても記録が伸びないのである。周りは徐々に記録が伸びているのに、自分だけ伸びず、悔しい気持ちと「どうして伸びないの!?」といういらつきや焦りが生じていた。親には「最近どう?」とか「練習どうだった?」と聞かれることが嫌だったし、何より毎回大会に身に来てくれるのに不甲斐ない姿ばかりを見せてしまい、恥ずかしかった。なぜ伸びないのか訳が分からずやけくそに走っていた。しかし、最終的にはこんなに頑張っているのだから絶対結果に表れるはずだと開き直って練習に臨むようになった。スランプは長く、3ヶ月ほど続き、とても苦しい日々であったが、スランプを抜け出した後からは面白いように記録が伸び、新たな目標が持てたし、目標のレベルも上がっていった。自然と走ることが楽しく感じるようになった。あの時、諦めて練習をさぼったり、やけくそに練習し続けていたら記録は伸びなかっただろうし、もしくは怪我をしていたかもしれない。私はこのスランプを経験して、諦めずに自分と向き合うこと、つまり我慢することも必要なことなのだと学んだ。何事も諦めてしまったら、辛いままで終わってしまうのだと思った。

 [422] 自分に適した方法
 高校3年生  

ソリューション データ:
私は高校三年生の夏休みに受験勉強がはかどらず悩んでいた。夏休みは学校の授業がないため、自分の好きなように時間を割くことが出来る。だkら、自分が苦手な教科を克服することや、得意な教科をさらにの伸ばすことが出来るのだ。そのため、受験生において夏休みをどう過ごすかということは、とても重要なことだとと言われている。学校の先生や友人から、夏休み中は一日最低でも十時間勉強しなければ周りから遅れをとると聞いたので、私も一日十時間以上勉強することにした。しかし、口で言うのは簡単だが、実際に毎日十時間以上勉強するというのは容易なことではない。私は塾に通っていなかったため、毎日学校の自習室や図書室で勉強をしていたのだが、一人で黙々と勉強し続けるのは、とてもつらい事だった。また、勉強時間が十時間に達しなかった日は、激しい自己嫌悪に襲われた。そのため、次第に勉強机に向かうことが億劫になり、丸一日勉強せずに過ごしてしまうことが多くなっていた。そして、また自己嫌悪に襲われるという悪循環に陥っていた。ある日、テレビで東大に合格した人の勉強法を紹介するという趣旨の番組を見た。そこで、ある東大生が、「勉強は量より質だ」と言ってたのを聞いた。その人は受験のときでも学校の授業を除けば一日に二、三時間しか勉強していなかったという。その代り、勉強時間中は一切余計なことを考えず、ひたすら問題を解くというのだ。私はその人の話を聞いて、今までの自分の勉強法を振り返ってみた。私は時間にこだわり過ぎていて、その内容にはあまり関心がなかったように思う。しかし、大事なのは何時間勉強したかということではなく、何をどれだけ学ぶことが出来たのかということである。そのことに気づいてからは、時間に執着することを辞め、短時間集中して勉強に取り組むことにした。すると、生活にメリハリがつき、効果的に勉強することが出来るようになった。また、時間にとらわれなくなったため、心に余裕が生じ、楽しんで勉強することが出来る様になった。何事においてもいえることだと思うが、他人の言うことを鵜呑みにするのではなく、自分に適した方法を選択し、実行することが重要なのだと学んだ。

 [421] 大学受験を目指していた頃
 高校  

自分


ソリューション データ:
私が大学受験に向けて本格的に勉強し始めたのは3年の6月頃でした。部活動を引退して受験モードに切り替えようとそれまでしていたアルバイトをやめるつもりでした。しかし、家庭の事情によりアルバイトを続けざるを得ませんでした。この両立を始めた頃は勤務日数を減らせばやっていけると思っていました。ですが、夏休みに入り周りの受験生の勉強への取り組みを見ていると、自分の勉強時間が少ないと感じて劣等感にかられる日々の連続でした。模試の結果もよくなく焦る思いは増すばかりでした。そんな中で入試の日は刻一刻と近づいてきており精神的に疲れていました。アルバイトをしなければいけないというのは金銭的理由であったので、誰にも相談してもどうにかなることではなく意味がないと思い自分の中に留めておいたことも加担していました。自分の将来の夢に向けて目指してきたはずの大学進学であったのに、「こんなに辛いなら夢なんてどうでも良い。」と躍起になって全部投げ出して止めたいと思うこともありました。私以外にも様々な状況の中で努力していた人も多くいたと思いますが、当時は自分だけが辛いかのように「この状況は全て家庭環境が悪い。」と家庭のせいにしていました。意味がないと思い込んでいたので相談するつもりはなかったのですが、その時親しかったT君に愚痴をこぼすような気持ちで不満を打ち明けました。T君に話したことでT君が何とかしてくれるわけでもないし私の状況が変わるわけでもなかったのですが、話したことで気持ちが少しスッキリしました。それからは息が詰まりそうになるとよく話を聞いてもらい、その度に励まして応援してくれました。状況は変わらずともその言葉が大きな力となっていました。無事に受験を終えて現在に至ることが出来ているのは、この励ましがあったからこそだと思いとても感謝しています。人に頼るばかりではなく自分で解決しようと努力することも必要ですが、時には人の力を借りることも大切だと学びました。私も周りの人の変化に敏感になり少しでも力になれる人間になりたいと思いました。
『人は一人では生きていけない、時には頼る勇気も必要』

 [420] 負け犬が尻尾を巻かずに立ち向かった結果
 高校  

自分


ソリューション データ:
 「這い上がれ!」「見返してやる!」「選抜クラスの人たちには絶対負けない!」
 高校3年生の時の日記を読み返すと、このような内容のことばかりが書いてあった。1年生、2年生と選抜クラスに在籍し、楽しい学校生活を送っていたが、3年生になったときに一般クラスに落ち、一般クラスから選抜クラスにあがる人もいる中で私は一般クラスの一員になった。部活動もやっておらず、少数派の通学ルートを使っていたこともあり友人関係はあまり広くなく、孤独を感じるようになった。そんな私のすべての原動力が「見返してやる」という強い思いだった。選抜クラスから落とした先生を見返してやる!選抜クラスの人たちを見返してやる!他のクラスメイトを見返してやる!とにかくその気持ちだけで勉強した。テストや模試があるたびにチャンスだ、と思いさらに勉強した。しかし模試の点数は伸び悩み、順位もいつもと同じぐらいでとどまっていた。そんな中で訪れたのが神奈川県立保健福祉大学入学試験。正直不安もあったが、自信もあった。そして試験が終わり、数日経って結果を見ると合格していた。合格したと確認できた私の第一声は「勝った!!」というものだった。私は一時負け犬となったが、じっくり機会を伺って見えない敵に噛みつき、勝ったのだ。あの時の達成感は今でも忘れられない。


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