[234] 同好会⇒部活
高校
先輩
ソリューション データ: 私の学校は中高一貫校で、部活も中高合同でやっているようなところがあった。私は中 学1年生から高校2年生まで同じ部活に所属していたが、もともと同好会であり、私が 高校1年生になるまでは同好会の状態であった。同好会ならではのゆるい雰囲気があっ たりして、先輩後輩ともにフレンドリーでアットホームというのがうちの部の売りでも あり、私もとても大好きだった。しかし部活に昇格するという流れもできていて、何年 かの先輩方の働きに重ねて、私たちが高校2年になりトップになった年からとうとう部 活に昇格することができた。問題はここからだった。私たちの学年はもともと優しさの 塊のようなメンバーで出来上がっていたので、突然、部活らしい凛とした雰囲気を作る のが難しかったのだ。私はそのメンバーの中でも雰囲気が違う人物で、ムードメーカー 的な存在だった。私は、こんな笑いをとるような人物はもう部活には必要ないだとか、 自分よりも技術が上の後輩がたくさんいる中でこんな役割の先輩では格好がつかない などともんもんと悩んでいた。これも、高校2年の冬まで悩んでいた。しかし、きっか けもこうもなかったが、私は、「自分よりすごい後輩がいても、先輩は先輩。ムードメ ーカーならムードメーカーらしく、普段はその個性を活かせばいいし、先輩らしさを見 せる場ではきちんとした態度で臨めばいいんだ。」と考えた。 このことは部長や顧問にも話したので、その後の部活は快い気持ちで臨むことができた。 今でこそ立派な先輩になれたかは不明だが、自分の個性を無駄にしなかったことには悔い はない。
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[233] 自分自信を持つには
高校生
自分自身
ソリューション データ: 私は本当に自分に自信がありませんでした。高校一年生のとき、先輩には注意されて、怒られてばかりで、部活の同じ楽器を吹いている同学年の男子と比べられ続け、相手はほめられるのに、自分はほめられない、そしてその男子にまで見下され、どんどんどんどん人前で楽器を吹くのが怖くなりました。そしてそのときの私は、楽器を吹くのが怖くて練習ができないから練習したいのにできない、楽器を吹くのが怖くなったのは、周りの人たちがいけないのだって全部周囲のせいにしていました。そんな気持ちを抱えたまま二年生になり、まだまだへたくそなのに後輩に教えなければいけなくて、忙しい中自分の時間割いてまで後輩に教えて、また練習することが全然できなくてもちろん私は成長しない、そして今度は後輩と比べられて、後輩よりへたくそだって言われて、そのことだって周りのせいにしました。私は三年生になったときは、もう誰かに認めてもらいたくて、ほめてもらいたくて、そのためにトロンボーンを吹いてしまうようになっていました。だけど誰かがたとえほめてくれても、それは全てお世辞だと思ってしまうようになり、周りの言葉さえも信じることができなくなりました。結局最後まで自分と向き合わず、誰かのせいにして、一度も納得のできる演奏をすることもなく私の高校生活は終わりをむかえるところでした。後輩のメッセージはいつも、先輩の笑顔が好きです、先輩の考える曲のイメージが好きです、先輩にいっぱい励まされました、そういうものばかりで、私の演奏面について言ってくれる人はいませんでした。わたしは本当に先輩の演奏にあこがれていたので、後輩にとってそういう先輩になれなかったということが辛かったです。今まで私は何をやっていたのだろうって思いました。でも高校卒業間近になり冷静に考えてみると、やっぱり自分の練習不足、それは自分のせいなのだということがよくわかりました。それが分かったときは後悔の気持ちが溢れてきて、高校生活やり直したいって本気で思っていました。ですが、時間の経過のおかげで分かってよかったと思えることもありました。それが、自分はほかの誰でもない自分で、私には他の人にはないよさと、私の役割をもっているということです。周囲と比較するのではなく、私は私でいいのだと思えるようになりましたし、たくさんの後悔も含めて自分はよくやったって自分のことを自分で認めてあげることができました。そう思えたら、素直にみんなの言葉を受け取れるようになったのです。みんなが本心で私が居てくれてよかったって言ってくれていると思うと、自然と自信も湧いてきました。後輩のことを心の面で支えることができる、そんな先輩になれたのだなと思うと、それだけで十分でした。自分の考え方が変わったことと、周囲の心からの言葉が、私に自信を取り戻させてくれたと思います。
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[232] 頼られることのプレッシャー
学生のとき
自分
ソリューション データ: 学生のころ、私は部活動の部長になりました。その時は絶対に私はならないと思っていたし、他の適役の子がるなと思っていた。でも先輩や先生から部長に選ばれた時、ものすごいプレッシャーと責任が一気に乗っかってきた気がしてとても怖くなった。 全国レベルの強いチームだったし、強い先輩たちの背中を見てきたから到底私には務まらないと思っていた。 でもせっかくのチャンスだし選んでもらったからには頑張らなきゃと意気込んでいたが、 実際は予想以上に大変だった。何十人もいる部員をまとめるだけでも簡単ではないし、 けが人が出たり部活内でももめごとが起きたり。そんなときに頼られるのはうれしいが、私自身は誰にも弱音を吐けないし、全て私が解決しなきゃいけないのかと疲れてしまった。 そしたら、一緒に辛い思いをしていた副部長の子に一緒にがんばろうと言ってもらえて、 決して私はひとりではないんだなと感じることができた。 すべてを自分一人で抱え込むのではなく、誰かに頼ることの大切さを知ることができた。 それからはみんなと練習することも頼られる音も全く苦ではなくなったし、むしろ嬉しいと感じるようになった。もっと頼られるような強い人になろうと思えたので、その時の気持ちを忘れずにいたいと思っている。
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[230] 楽観的
小学校中学校時代
自分
ソリューション データ: 勉強をすることが当たり前。そんな小学校中学校時代を送っていた。しかし、自分とは 性格の違う友人との喧嘩の繰り返しから、勉強をする意味ってなんだろうと考えるよう になっていた。勉強ばかりしている自分、まじめな自分を窮屈に感じていた時でもあっ た。すると途端に他のことに興味をもつようになって、音楽や映画、夜まで友達と遊ぶ こと、そんなことをするようになっていった。同時に性格も変わった。ただの真面目な 性格が、楽観的な性格に変わっていったのだ。両親はこの変化を良く思ってはいなかっ たかもしれないが、私はこの変化に大変満足している。もちろんもともとの真面目さが 完全になくなったわけではなく、その上に重ねて楽観的な自分ができていった形だ。こ うした結果、単純に趣味ができ、勉強以外の楽しみをみつけるようになった。そうした らいろんだ考え方を知るようになり、何より好奇心が高まったことで、どんな人と話し ていても楽しいと思えるようになった。 思い切って今自分がしていることについて改めてその意義を考え直すこと、それにはと ても大きな意味があるのではないかと思う。
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[229] 自分に対しての不満
学生時代
自分
ソリューション データ: 今まで、嫌なことがあると逃げる癖があった。私はそんな自分が嫌いだと思っていた。 だが周りの目を気にしたり自分を変える勇気がなかったりして 逃げ続けていたこともあった。 失敗したときは必死で言い訳をしたりごまかしたりして自分を偽って、 それすもどんどんたまっていってものすごくつらくなった。 後悔もたくさんした。そんなときに、唯一の何でも話せる友達に 「どんな○○でも私は嫌いになったりしないよ」という言葉をかけてもらった。 その言葉で何かがすっきりして、今まで他人にいい顔を見せていた自分を馬鹿らしく感じるようになった。私のことをすべての人が受け入れてくれるわけではないのですから、 私のことを受け入れてくれる人の存在をこれからは大切にしていこうと思うようになった。 それからは失敗も恐れずに様々な事に挑戦したいと精神的にポジティブになり、 資格の取得に挑戦するなど前向きになったと思う。
これからも前向きな気持ちを忘れずに何事にも取り組んでいきたい。
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[227] 自分の考えを変える
本人
ソリューション データ: テスト期間中とかは、テストが終わった後の楽しみを考えて頑張れるようなところがあるが悪い点を取って、後味が悪いまま楽しみを迎えるのではなく、テストで良い点を取って気持ちよく迎えるほうが絶対に楽しい!と合理的に考える。 また、自分が悩んでる時には、人の意見を聞くことを大事にしている。人が違えば考え方も違うけど、大勢に聞くと同じ人の考えが出てくる。叱咤激励してくれる人もいれば自分の考えが大事だからいいと分かっているようで気付いていなかった自分の本心を気づかせてくれたりもする。自分の出来事をさらけだして人に聞くことで、客観的な側面から自分を見てもらえて、本当の自分に気づくことで解決の糸口が見えてくる。
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[224] 友人の存在の大切さ
中学生
ソリューション データ: 中学3年生のころ、中高一貫の厳しい学校に嫌気が差していた私は、高校からは外部の 高校へ行きたいと考えるようになった。しかし、明確な理由があるわけでもなく、今の状 況への反抗意識とただの憧れだったのだ。もちろん親には猛反対を受け、そのころから遅 刻が続き、授業に集中することもなくなった。友人には隠していたため、心配されて いたが、私自身あまり気にすることはなかった。 その後、いつものように遅刻して、授業中に教室に入っていくと仲の良かった友人が「も う、お前がいないと学校つまんないんだよ。」と声をかけてくれた。 きっとその友人にとっては何気ない一言だったと思うが、このときの私にとってはこの上 なく嬉しい一言だった。そして、彼女に相談しておけばよかったと思いました。このとき から私は遅刻することなく学校へ通い、附属高校へ進学した。 このことから友人の存在の大切さを感じました。
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[221] 選ばれなかった自分
高校の時
ソリューション データ: 私は高校の3年間創作ダンス部に所属していた。県大会に出場すれば毎回上位3位には入賞するほどの実力を持ったチームであった。部員数は90名を超え、休みは週に1度あるかないかの本格的な部活であった。高校2年ともなると、チームの中でも大きな役割を持たされるようになった。夏季高等学校創作ダンス県大会に持って行く作品づくりを4月から部員全員で始め、6月にはほぼ作品を完成させあと一ヶ月は大会に向け踊りこみ期間に入る。その前に、学年問わず選抜が行われる。約3名ずつ、コーチ・顧問の前で自分の踊りを披露し、実力をもったものから選ばれていく。私は特に踊りたいパートがあり、朝昼の自主練習に励んだ。しかし、結果は落選。自分の踊りたいパートに参加することは出来なかった。同級生であるチームメイトが選ばれたことを、心の底から祝福することができずにいた。 落選したメンバーを集めて先生は「落ちた人と選ばれた人の違いは、技術の差は多少あるかもしれないが、相手に見てもらいたいというアピール力の差だよ。選ばれなかった人は次の選抜の曲を選ばれた人よりも多く練習できるのだからもちろん受かりに来い」といってくれました。私は、こんなにへこんでいる時間があるのなら次に向けて頑張ろうと前向きな気持ちになれた。悔しさをばねに練習からより一層集中して踊れるようになった。また、自分の中から劣等感が消えたことにより、もちろん悔しい気持ちはあるが、同級生から選ばれた子たちを心から祝福できた。
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[219] ポジティブ受験生
自分
ソリューション データ: 秋には推薦組、センター試験が終わると私立組、周りの友達はぞくぞくと受験を終える中、公立大学を目指していた私はいつまでも勉強に追われていました。 やはり周りの友達が遊んでいるのを感じた時や、 旅行土産を学校に持ってきたときにはイライラしまし た。(笑) そんな状況の中を「あと○日だけ勉強すれば!」とか 看護の学校を志望していたので「大学受かれば将来安定だ!」とか自分に言い聞かして乗り切りました。
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[216] 必要以上に他人の目を気にしない
中学生のとき
自分
ソリューション データ: 普段人の目を気にすることが多くて、それは学校の先生に対しても同じだった。特に中学の時は内申が一番だったので先生に嫌われないようにしていた。だがある時、部活のミーティングで顧問の先生が私に対して理由も分からずにきれた。その時は、内心の心配よりも腹が立って仕方無かった。そんな人に好かれる必要もないと思ったし、そっちがその気ならこっちも反抗してやろうと思った。見事に成績は5だった。それ以降納得がいかないときは反論できるようになったし、嫌いな人からどう思われようと好きな人に嫌われなければいいと思えるようになった。
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