いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
友だちとの
すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
異性とのあれこれ編 (135)
男性/女性/...
仕事編 (229)
男性/女性/...
子どものしつけ編 (60)
男性/女性/...
家族問題編 (381)
男性/女性/...
精神的な症状編 (137)
男性/女性/...
発達障害 (27)
当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
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 [492] 大学
 大学  

自分


ソリューション データ:
高校で自分の殻を破ることが出来たので、大学でもすぐに大学の雰囲気に馴染めて入学した日からとても楽しく過ごしていました。しかし、入学してから1か月、テンションが高すぎたせいか、色々考えすぎて大学生活にモヤモヤを感じるようになってしまいました。大学は中学、高校と違ってクラスがなく、学科のみんなと関わることが少ないのです。なので自分の学科より、サークルなどで一緒の他学科の人達との関わりが多い事に気が付いたのです。私はもっと自分の学科の子達と仲良くなりたいと感じながらも、何となく空回りした気持ちになっていました。ときには自分が性格悪いのかもしれないなどと自己嫌悪に陥ることもありました。そんなことを1か月感じながらまた気が付いたことがありました。それは仲のいい人とそこまででない人とでの自分の心の状態です。仲のいい人といるときは自分が出ていて、心地よく感じます。そうでない人といるときはどこか落ち着かなく負担を感じます。ならば、広く浅くの友人関係よりは狭く深くの友人関係でもいいのではないかと思いました。それいらい一時的なモヤモヤもなくなり、楽しく学校生活を送っています。狭く深くの友人関係を考えつつ大学の人達との関わりも大切にしていきたいと考えています。誰だって苦手な人がいるとは思いますが社会に出てそんなことは言っていられません。言い方は悪いですが苦手な人たちとも仕事をすることだってあるのです。大学で様々な人とかかわって様々な個性を観察しておくのも大切だと思います。新しい大学生活にはりきりすぎて心のどこかで焦っていたのかもしれません。その疲れが出たような出来事でした。

 [491] 就職
 大学時代  

自分


ソリューション データ:
仕事
・明らかに自分に向いていない仕事を選んでしまった。PCもあまり好きではないし、人との関わりが好きだったため。
解決策
・仕事の中で自分の好きなこと(PCと向き合って仕事するよりも、顧客折衝やプロジェクト内の作業管理等)を生かせるようなものを見つけだし、そこに注力した。

 [490] 1人暮らし
 大学時代  

自分


ソリューション データ:
私は新潟にいる親元をはなれ、いまは大学の近くで一人暮らしをしている。一人暮らしは想像以上に簡単ではなかった。大学からつかれて帰ってきたら自分で夕飯を作らなくてはならないし、掃除や洗濯などもしなくてはならない。一人暮らしを始めてから母がいつもしてくれていたことがどれだけ大変だったかということに気付いた。そして母がいる有難さに気付いたと同時に、自分が今までどれだけ甘えていたかということがわかった。いまは一人暮らしにも慣れたが、時々実家のにぎやかさが恋しくなってしまうときがある。夏休みには新潟に帰省する予定なので帰った時には親孝行として実家の手伝いをたくさんしたいと考えている。

 [489] 苦難を乗り越えて学んだこと
 大学受験  

友人


ソリューション データ:
大学受験のことです。私は私立大学を3校受けていて、でも実際受けてみたら、第3志望のところしか受からず、もう本当に絶望的で、とくにセンター利用で第一志望の大学はA判定が出ていたので、落ちたとわかった時は、号泣しました。その発表を見たとき隣にいてくれた友達が二人いました。その二人も受験で絶対大変だったのに、本当に親身になってくれて、泣いている私のそばにずっといてくれて、言葉はなくてもいてくれるだけで、本当に嬉しかったし、自分はなんて素敵な友達を持ったのだろうと思いました。あの時ほど友達って素敵だと思ったことはありません。もともとその二人のことは大好きでしたが、さらにさらに好きになりました。そして県大に受かったとき、誰よりも二人が喜んでくれました。一人の子は、第一志望に落ちてしまって、きっと落ち込んでいたはずなのに、その状況でも祝ってくれて、自分もそんな人になりたいと本当に思いました。友達って、ただ仲いいだけになりがちですが、この二人とはそんな関係ではなく、ダメなとこはダメだといい合うし、何より二人が落ち込んでいるときは本当に力になってあげたいと思います。18年間生きてきて、嫌なことはたくさんあったけど、これからは今まで以上に苦難が待っていると思います。でも、苦難を乗り越えた先にはいいことがあると信じて頑張り続けたいと思っています。

 [488] 大学入試
 高校時代  

受験勉強


ソリューション データ:
私がつらいと感じたのは、大学入試のための受験勉強です。もちろん逃げ出すことは出来ず、周りの友人たちも一生懸命頑張っているため、自分も頑張らなければならないという、焦りと不安の気持ちを常に抱えていました。模試などもおこない、思ったよりも成績が良くなくて、心が折れそうになったことも何度かありました。入試が近づいてくるにつれて「このままで志望校に行くことができるのだろうか」という気持ちが日に日に高まり、ストレスも大きくなっていきました。これを乗り越えるために、私はまず、志望校のパンフレットを読んだり、ホームページを開いたりして、目標を見失わないようにしました。次に、塾に通うようにして、塾長とよくコミュニケーションをとるようにしました。塾長は受験についてよく知っているため、たくさんの情報を提供してくださいました。また、塾に行くことで、同じように入試に向けて努力している友人の姿も見られるため、自分を奮い立たせることができました。このようにして、私は大学入試を乗り越えることができました。

 [487] 高校
 高校3年間  

自分


ソリューション データ:
先ほど述べたような中学の出来事もあったせいか、高校1年の時もクラスでなかなか心を開くことが出来ませんでした。はじめの1週間は「入る高校を間違えた。」と強く感じていました。クラスの雰囲気に馴染めず1人で昼食を食べていました。何か月かして友人は数人出来ましたが
、高校生活が充実しているという実感もなく心のどこかでモヤモヤしたまま1年を過ごしました。自分の殻を破ることが出来なかったのです。2年では、仲の良かった友人と離れてしまい知らない人たちばかりでまた心を閉じていました。皆がメアド交換をしてる中私は輪に入っていく勇気がでず椅子におとなしく座っていました。クラスで席にいることさえとてもつらく感じていました。その後も、なんとなく学校生活を送っていましたが年に3回ある球技大会のバスケをきっかけに変化がありました。1回目の球技大会で割と活躍でき、それを境にクラスの人に話しかけてもらうことが増えました。私もだんだんと心を開くことが出来る様になっていました。2回目の球技大会ではバスケ部員がいないなかで準優勝をとることができました。チーム5人だけでなく、応援してくれたクラスの子達とも1つになれた日でした。私も、それで何か自信を持てたのか積極的にクラスの輪に溶け込んでいけるようになりました。1年の時にほとんど話さなかったことも仲良くなり、「1年の時と雰囲気が変わったね」と驚かれるほど自分が変わりました。自分が変わったというより自分の殻を破ることができて本当の自分をだせるようになったのだとおもいます。3年からは、クラス替えになってもはじめから「自分」をだしていけるようになっていて、早くクラスに馴染むことが出来ました。最初の1年は辛かったり、モヤモヤしたりしていましたが卒業した今でもまた高校に遊びに行きたい、高校のみんなにあいたいと思えるほど楽しい高校生活です多。高校の時も大好きなバスケにすくわれました。「本当の自分」をだすというのが、とても大切なのだと思った高校生活でした。

 [486] 私が過去に乗り越えた3つの事
 学生  

自分・顧問の先生


ソリューション データ:
私が過去に問題があったが乗り越えたことを.3つ挙げたい。
 一つは小学6年生の時である。私は小学6年生の時、病気で1か月入院したことがある。1か月小学校に行けなかったことは私に自分が思っている以上に精神的な負担であり、学校に行く勇気を奪っていった。学校に行く日を心待ちにしていた私は、いよいよ学校にいっていたところと同じように玄関から出ようとしたとき、どうしても一歩が踏み出せなかった。自分がどのように友達を話していたか、笑っていたか、1か月もいなかった私の居場所は学校にあるのか、不安がいきなりこみあげ、学校へと向かう勇気が学校に行きたいという気持ちが一瞬で消えてしまった。学校に行けないまま2,3日過ぎた時、弟が私のクラスの子、ひとりひとりが描いてくれた手紙を持ってきてくれた。わたしのことを心配してくdさった担任の先生が、道徳の時間を使って私に手紙を書くことをみんなに提案してくれたのだ。みんなは私のことを心配してくれる言葉や励ましてくれる言葉を書いてくれた。その言葉も嬉しかったが、最もうれしかったのは、一人の子が書いてくれた雷のなった日の出来事を書いてくれた手紙だった。その中には「さやがいたらきっと一緒に怖がっていたよ。」というものだった。私は、その何でもないような一言にどれだけ救われたかわからない。その言葉で、私がいなくても私のことをおもつてくれる子がいる、私の居場所はちゃんとあるのだと、思えたのだ。再び学校に行きたいという思いがこみ上げてきた。今度は大丈夫、学校に行こう、そう強く思えた。次の日に、学校へ 行くことができた。私が思っていた不安は全く必要なく、多くの子が温かく迎えてくれ、中には涙を流してくれる子もいた。クラスメイトと担任の先生、学校に行く勇気を持てなかった私を温かく見守り、支えてくれた家族には深く感謝している。
 2つ目は高校の部活でのことである。私は中高一貫で運動部に入っていた。高校一年生の時は全く試合のメンバーに選ばれることはなかった私に、試合に出る絶好のチャンスが巡ってきた。同期で一番上手なことペアを組みメンバーを選ぶ試合を勝ち抜ける直前私はけがをし、ペアの子とは試合にでることができなくなった。ペア子は私を心配してくれて、不満ひとつ言わずに私を気遣ってくれた。申し訳なさと感謝でいっぱいだった。それと同時に私は大切なチャンスを逃し、再びメンバーに選ばれることのなかった自分にいらだっていた。しかし、ペアの子に恩返しするためにさらに頑張ろうと心に決め、努力をした。しばらくして、私とその子のペアは解消され、悔しい思いもたくさんした。でもペアの子がペアを解消した後も、やっぱりまた組みたいな、と言ってくれることに救われた。その子が試合に出られなかったのは6年間の中でたった一回、しかも彼女のせいではなかったのに、私は彼女と「また組むために頑張り続けることができた。その後も怪我が多く、心が折れそうになったこともある。しかし目標をもって頑張ることができたのは、また組みたいと思わせてくれた彼女のおかげだった。とうとう再びペアを組むことはできなかったが、私はそのあと、レギュラーメンバーとして多くの師兄でることができた。彼女には本当に感謝している。
 3つ目は高校の部活での顧問の先生とのことだ。私はその先生とはそりが合わず、関係はよくなかった。顧問の先生も先生で私には人一倍、強く当たっていた。その頃の私はレギュラーでもなく、顧問も嫌いで、競技にも楽しさを見いだせず、やる気も少しもなく、退部を考えていた。そんな時顧問の先生にそんなにやる気がないなら退部するかといわれた。実際に、退部というものを目の前に提示されることは、私にとって予想以上につらい事でもあり、傷ついた。この先生は私にやめてほしいのだと4時間にも及ぶ説教ともとれる反試合を行い感じた。しかし4年間付き合った家族のような部員たちと別れるにはつらく、すぐに決断はできず、その日は答えをだせなかった。そして私はその日、大嫌いな顧問にやる気がないと怒られたのがしゃくで、見返すためにがむしゃらに部活をやってやろうと心に決めた。その決意が私の残りの部活生活を変えた。がむしゃらにやってみると私は面白いぐらいにこれまで勝つことができなかった同期や先輩にも勝つことができた。私はけがで最初のチャンスは逃したが、メンバーとなることができ、勝つことの喜びを経験することができ、部活を子ことから楽しめた。あとで分かったことだが、顧問の先生は私に退部という究極の選択を迫り、やる気の全くなかった私のやる気をなんとか引き出そうとしたのだった。私はまんまと乗せられていたのだ。そこに至るまで、先生はたくさん声をかけてくれていたが、全く耳を貸さない私に最後の賭けにでたのだった。顧問の先生は今でも好きではないが、生徒をよく見て、生徒のことを真剣に考えてくれる、恩師であるとおもっている。
 私は本当に周りの人に恵まれていると思う。困難に出会ったとき、多くの人が力を貸してくれる。感謝を忘れずに、また私も誰かの力になれるように生活していきたい。

 [483] 話しかける勇気
   

ソリューション データ:
私は、極度な人見知りで、あがり症で、さらに会話が下手である。高校の入学式のとき、私のクラスには同じ中学校出身の子はいなかった。だから、近くの子に簡単な挨拶程度しかできなかった。しかし、その日は入学式のみですぐに帰宅できたので特に問題はなかった。問題は2日目であった。その日は午前中から学校案内があった。周りを見ると、皆すでにある程度のグループが出来ており、一緒に回ろうとしていた。しかし、私には一緒に回る友人がいなかった。私はすごく焦った。こそこで、もう一度ゆっくり周りを見渡してみた。すると、ラッキー(?)なことに、同じく一人の子がいた。(あれ?あの子も一人でいる・・・これは4話しかけるチャンスだ。)そして、かなりの勇気を振り絞って話しかけてみた。その子は優しそうな子だった。さらに、私と同じように彼も人見知りだといった。人見知り同士で、あまり会話は弾まなかった。それでもとりあえず一緒に回ることにした。それから月日は経ち、現在彼と私はお互い違う大学に進学したが、今でも連絡を取り合う親友である。新しい環境に慣れるのに苦労する人もいるだろう。でも、やはり大事なのは一歩踏み出そうとする勇気だろう。

 [482] とことん話す
   

ソリューション データ:
私は双子だ。ケンカは絶えないが、結局は仲がいいと思う。お互いに影響しあって育っているので、片方が頑張れば頑張るし、片方がやる気をなくせば共倒れする。良いライバルであり、同志である。
 あるとき、片割れが私に隠しごとをしていることが分かった。私たち2人の間に秘密はないと思っていたので、ショックだった。友達つたいに話を聞いたとき、途端に置いていかれた気がした。いつまでも何をするにも一緒だと思っていた。急に片割れが成長してしまったようで距離を遠くに感じ、焦りが生まれた。同時に、双子という枠にとらわれている自分に気づいた。いままで比べられてきたときに感じた嫌な思いや優越感が思い出されてきた。隠し事が分かったその日が決定的なきっかけとなり、私は2人で行動することを避けるようになった。相手も気づいていたのか、距離を置くようになった。話さない日がしばらく続いたある日の放課後、片割れから呼び出されたので一緒に帰ることにした。家に着くまでのあいだ、溜めていた思いをお互いにぶつけ合った。嫌いなところから好きなところ、人間関係など、今まで見て見ぬふりをしていたことを、話がかみ合わなくてもすっかり話した。家族としての関係で新しい局面を迎えた気がした。私は双子の片方ではなく、1人の自分でいようと考えるようになり、気持ちに変化が生まれた。この一連の出来事が終わってから、双子であることを客観的に受け入れられるようになった。

 [481] 当たり前を手に入れるための努力
   

ソリューション データ:
高校時代で、チアダンス部に所属していた。チア部は創立5年目でまだまだ学校側にも部活としてでは無く、クラブ活動として扱われていた。そのため、練習場は体育館などは使えず、渡り廊下やホールといった狭い場所で行われていた。私たちが正式に部活として認められるためには、大会で結果を残すことが唯一の方法であった。しかし、そのためにはきつい練習を行わなければならないことは目に見えていた。私たちは狭い渡り廊下をフル活用し、励ましあいながら日々練習に取り組んだ。正直心が折れそうなこともあったが、チアガールとして、常に笑顔であることは忘れてはならず、辛い時に辛い顔をできないことに慣れることは簡単ではなかった。泣きながら、でも笑顔で全員の心をひとつに踊った。結果、私たちは全国大会に出場することが出来た。目標を達成した時は、言葉にできないほどうれしかった。その後私たちは、部活に承認され、翌年も苦労の末全国大会に出場することが出来た。部活に入部すれば、当たり前のようにある、練習場所と地位。それが当たり前で無かった私たちだったからこそ、目標が明確であり、それを達成するために努力し乗り越えられたと思う


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