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(581)
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男性/女性/...
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男性/女性/...
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当事者//...
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男性/女性/...
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 [381] 将来への一歩
 大学生  

自分


ソリューション データ:
私は今年の4月に第一志望であった、神奈川県立保健福祉大学に入学しました。ここでは、入学するまでの受験期に体験したことを記していきたい。私は部活動をやっていて受験生という自覚をするのが遅かったが、この大学に行くことを決めていた。また、塾に通っていたため気付いたときにはほかの同期の人はせっせと勉強をすすめていて勉強をすすめていたため焦りを感じていた。
ある日、問題が生じた。私は苦手な科目があり、それは国語であった。昔から国語が苦手でずっと努力もしてこなかったので克服はもちろんできずに、今になってそのことを後悔していた。熟成で国語を履修している人は、とても頭がよくついていけないことが多々あった。そのことによりいままでずっと行きたかったその大学に行くのをやめ国語が受験科目ではない学校に行こうとも考え、勉強もおろそかにしていた。その時国語の担当だった先生はそのことを察知して「何か悩みでもあるの?話してごらん。でも、大竹さんは国語が苦手なんじゃなくてちゃんとやってないだけだよ。」と言って、アドバイスをくれた・そのことばに救われ私はやる気を取り戻しそのあとの模試での国語の得点は過去最高得点をとり、先生に褒めてもらった。

 [380] 部活のスランプから学んだこと
 中学校  

後輩


ソリューション データ:
中学生の時私はバスケットボール部に所属していました。ポジションはセンターでした。バスケットボール部の練習雰囲気は先輩も後輩も中がよく、練習内容は辛い時も多かったけれどとても充実していました。さらに二年生の時は、チーム内にセンターポジションの人が少なかったので練習試合でも、公式ゲームでも出させてもらえることが何度もありました。しかし、三年生になって一つ下の後輩が二年生になり選手として成長してきたころセンターポジションに私ではなく二年生の後輩が使われるようになりました。普通なら後輩の成長は先輩として喜ぶべきことなのですが、引退が近づいていた時期の出来事だったので素直に喜べず、一緒に試合に出てもどこか劣等感を感じてしまっていました。このとき、自分の心の狭さに嫌になっていたし、試合に出たいのにどうやったら出してもらえるのか分からずずっと缶gなえるようにいて、練習の時も集中できない時がありました。そのうち考える暇があるなら目の前の練習に集中したほうがいいのではと思うようになり、残り少ない毎日の練習を大切にして行ったら、練習後のゲーム中に前よりもまわりの様子をよく見られるようになり、動きも良くなっていきました。そして、引退試合ではセンターのスタートメンバーとしてフル出場することができました。
この経験から、時として考えて解決しようとするよりも考えすぎずに目の前のことに集中することが大事なこともあると学びました。

 [378] 部長
 中学生  

ソリューション データ:
私は、中学の時に吹奏楽部に所属しており、中学二年生の時の世代交代で部長になりました。部長を含めてすべての役員は、先生と先輩方の多数決で決められていました。コンクールという吹奏楽部にとっての先輩方の最後の大会が終わった次の日に、いきなりみんなの前で発表、という流れでした。発表の時に急に名前を呼ばれ、驚きましたが、同級生、先輩、後輩の祝いの言葉、励ましの言葉で、一年間頑張っていこうと思いました。
ひとつ上の部長だった先輩からは「大変だけど、とてもやりがいがあるし何度もやめたくなるけど、一年たったら部の中で誰よりも成長できていると思えるから、どんなことがあっても乗り越えてね」と言われ、緊張気味のスタートでした。結果、とても大変でした。同級生や後輩は、いつもどんなことでも私に相談してきて、その度に、慰めたり、自分が悪者になってでも仲直りさせたり… と自分自身楽器の練習時間さえとれないことがほとんどでした。また、先輩方には「悠乃の明るさと笑顔、そして気配りから選んだ。部員の前ではどんなことがあっても笑顔」といううれしい言葉もプレッシャーに代わっていきました。部員、顧問、コーチの狭間に立たされる日々は、今考えてもよく乗り切ったなと思います。それでも私は、他の部の部長や、吹奏楽部ではない仲の良い友達に愚痴を言ったりして、大変ながらも、その大変さを楽しめるくらいにはなっていました。
部長になって、3か月ぐらいが経った頃でした、今考えると、気が抜けていたのかもしれません。自分の一言が部にどれだけの影響を与えるのかを忘れていたのだと思います。部をさらに良くしようと、先輩からは、絶対にやらない方がいいと言われていた無記名でのアンケートを行ってしまいました。そこには、私が言った一言が悪意を伴って伝わっていたり、先輩方に言われていた「いつも笑顔」というのがヘラヘラしている、などという風に受け止められていたことが記述されていました。
やっと自分の中でうまく回り始めたと思っていたのに現実は違い、もう続けていくことは無理だと思いました。「何も知らないくせに」「こっちがどれだけ苦労していると思っているんだ」と悔しさと悲しさでいっぱいでした。
部活で辛くなった時にはトイレで泣いていました。「部長は何があっても笑顔」という言葉にも押しつぶされそうでした。アンケート結果は私しか見ない、という約束を部員としていたし、自分の気持ちを、誰かに話してしまったら、もう自分を止められないと思い、今回ばかりは、だれにも相談できませんでした。
そのような時、副部長の子が、なんとなく異変に気付いてくれ、励ましてくれました、その時に、「私は悠乃が部長でよかったし、みんなもそう思ってるよ」と言ってくれた言葉に救われました。その時に私は、こんなことでつまずいてないで、もっと大きい心で、部活を丸ごとつつめるような存在になりたいと思いました。そして、心を入れ替え、とりあえずはやってみるあ2と思い残りの期間部長をやりすぎました

 [377] 努力の継続
   

ソリューション データ:
中学二年生の頃、学校の部活動として所属していた聖歌隊の大切なイベントであるクリスマスタブロの練習に励んでいた。聖歌隊というのは聖歌を歌うだけでなく、十二人チームでハンドベルを演奏する。そのハンドベルチームに私は選抜されていた。それと同時に、何事にも積極的だった私はそのイベントスタッフとしても活動を始めた。しかし聖歌隊とスタッフとして同時に役割を粉な参加するのは不可能であることを後から知った。私は当然練習に力を入れてきた聖歌隊として参加したかった。しかしスタッフは責任のある仕事であり、やめるという選択は自分も周りも許さなかった。その旨を聖歌隊の顧問に先生に伝えたことろ、当然チームから抜けることを強いられた。そのイベントが終わり私はすぐにチームに戻ったが聖歌隊全体からの信用を失ってしまったように感じた。ハンドベル演奏は12人の信頼関係が非常に重要であり、私はみんなの信頼を取り戻すことが不可欠だと思いすぐに行動に移した。毎日の朝練では一番に行き準備をしてみんなが来るのを待っていた。誰もいない昼休みの音楽室で自主練習に励み、常に完璧に演奏をできる体制を整えた。このようなことを続けて一年後には完全に信頼を取り戻していたように感じたが私は継続した。そして高校2年生で引退を迎えるころには、聖歌隊をまとめる役割として欠かせない存在と認められるまでになった。他人に迷惑をかけた時には聖歌隊を辞めようかと迷ったが、諦めてしまえばそれで終わりである。最悪な状況に陥っても努力で這い上がることができると、私はこの経験から学ぶことができた。

 [375] 高校受験から学んだこと
 中学生  

自分


ソリューション データ:
私は受験生の時絶対に行きたいと思っていた県立高校がありました。当時の受験方法は前期、後期の二回チャンスが有りました。私の成績では前期入試の合格基準にギリギリでしたが、落ちる覚悟で少しでも可能性があるならと思い受けることにしました。結果は不合格でした。落ちる覚悟で受けてはイましたが、流石に結果を手渡され、不合格の文字を見た時はすごく悔しくて一緒に受けた友達と泣いてしまいました。試験内容は作文と面接でした。すべて納得のいくようなできで落ちたのなら、そこまで悔しくなかったと思います。しかし実際は、面接は上手く出来ましたが、作文で後少しが書ききれずに終わってしまい不完全燃焼でした。合格発表の日はなんとも無気力感で勉強しなきゃいけないのはわかっていても身になりませんでした、そんな日の夜、母が私に行った「落ちる覚悟だったでしょう?まだ、一番最後の入試じゃないだけよかったじゃない。いい経験だったのよ、前向きに考えなさい」という言葉がきっかけで、次の日には切り替え勉強に集中することができ、後期入試で無事合格し念願だった志望校に入学することができました。
このことから、どんな場面でも前向きに考えることで乗り越えられると考えるようになり、大きなテストも大学入試もうまくいきました。

 [374] 雰囲気
 中学時代  

周囲の人間


ソリューション データ:
 中学時代、部活動の人間関係になじめず苦労しました。具体的には、先輩に気に入られなければならない、そうでない人とは一緒に居てはいけない、といった雰囲気があり、入学前まで仲が良かった人たちも、それに倣うようにして、先輩に気に入られない人を排除するようになり、私もその標的になったことがありました。とにかく部活動の時間が苦痛でしかなかったのですが、「そもそもこの部活動がしたかったから入部したのであって、それ以外の目的ではないのだ」とある日思えるようになりました。それからは、とにかく自分の練習に打ち込み、周囲が何を言っても気にしないようにしました。また、「自分には他にも仲の良い子がいる」という気持ちも支えになりました。日々の練習に打ち込んで、その結果が賞状や賛同として現れるようになると、私のことをとやかく言う人はほとんどいなくなりました。多少ちょっかいをかける人がいても、「こんなに簡単に人の気持ちなんて変わるんだ」という思いから、何も気にならなくなりました。今でも、あの時自分のために努力し、部活を辞めなかった経験が自分にとっての自信になっていると感じています。

 [373] バイトについて
 大学生  

ソリューション データ:
私は、高校の時にバイトをしていなかったので、大学生になって初めてバイトを経験しました。最初のうちはわからないことだらけで、なかなか考えていることと行動が一致しなかったし、注意されてばかりでした。そのたびに、メモをとり、こんな風に言ったらお客様に伝わるだろうなとか、この手順でやったら効率いいなというようにバイトのシュミレーションをしました。そのうちに、先輩の方に仕事が早くなったと言われるようになりました。今はまだまだ新人ですが、同い年の仲間も多く楽しく仕事をしています。これから看護師を目指すにあたっても貴重な経験をしていると思うので、今の経験を大事にしていきたいと思います。

 [372] 高校での部活
 高校に入っての部活  

なし


ソリューション データ:
私は吹奏楽部を中学から続けていて高校でも迷った末、入部した。迷った理由は、家から遠いため登下校に時間がかかること、勉強と両立できるのか心配であったためである。楽器は中学の時のユーフォ二ウムであったがトランペットをなかなか好きになれず、上達するのが遅く感じた。また、部活は土日含め休みがなかった。テスト期間や夏休み一週間以外はほぼ部活に費やしていた。勉強の面でも、最初は心配していた通り、最悪の成績だった。一年制の時は部活に意味を見いだせず、何度もやめようと思ったり、部活を休んだりしていた。そんな風に一年間を過ごし、このまま続けていてもいいのだろうかと感じていた時、私はセクションリーダを任された。実はこれは自ら立候補してなったのである。なぜなら、私は音楽が好きで、吹奏楽がほんとに好きだったので部活の環境のせいで辞めるようなことはしたくなかったのである。
リーダーになりたかったのだ。もう一人立候補していた子が居て、みんなに相談してもらった役職だったので、私はその子の分まで頑張ろうという気もちで一杯だった。
 しかし、二年になって自分がまとめる立場になると一年のときとは異なる困難がたくさんあった。私の部活の顧問がほとんど機能していないため、トレーナーの方を呼ぶのも自分たちで連絡し、練習日程も自分たちで決めていた。また、一年生が次々に辞めていき、私も本当につらかった。
 二年の三月に定義演奏会があり、そこで私たちは引退となった。その年の人数が少なかったので、多くのOB、OGの方にも演奏してもらった。本当に多くのOB、OGの方が参加してくださり、私は正直驚きであった。しかし、トレーナーさんのお話の中で、こんなに多くのOB、OGがきてくれるのは、高校時代の部活のことがみんなに大きく残っているからだよ、と言って来た時私は部活で通じたつながりを感じた。定期演奏会のおかげで、部活をやってきて心からよかったと思えたし、本当に幸せな時間であった。「終わりよければすべてよし」という言葉は大切だなと思う。

 [369] 高校受験
 高校受験の時  

なし


ソリューション データ:
私は、人生で一番勉強を還ばっていたと思うのが不思議なことに中学3年生である。高校受験をする際に遠いから親には反対されていた高校にとても魅力を感じ、また私の学力では少し難しい学校を熾ヴぉ宇高に選んだ。そのような理由から、自分から勉強をしなければならない道突入していった。私の中学校は半数の人が推薦で高校を決めていた。そのため、推薦で合格した子たちとも行動するのがとてもつらい時もあった。また、クラスで中の良い友達はあまり勉強しない子であったので、そこでも自分だけ頑張らなくてはいけないのかと思い、つらかった。しかし、志望校に見事合格。本当にうれしかった。受験期間は孤独を感じていた。しかし今思えば、それで良かった。一度でも一生懸命になって夢をかなえた経験は今でも自分の中で大きな自身につながっている。つらい時間は、幸せの時間のためにある物だと思う。そのように考えれば、かなえたい夢のためにはつらく厳しい道も必要である、このような経験で私は成長できた。

 [368] 地獄の3年間
   

ソリューション データ:
私は中学生のとき、ソフトテニス部に所属していました。そこで過ごした3年間は本当に辛い3年間だったと思います。まず自分が一年の頃は先輩達に理不尽なことをたくさん言われ、大変でした。でも後から思うと、この頃が一番平和でした。先輩が嫌だったので同級生の間で団結していたからです。その後、私は先輩とペアを組むことになり、先輩たちと練習する機会が多くなり、自然と一部の先輩たちと仲良くなるようになりました。だからといって楽しいことばかりではなく、ペアの先輩が気分屋だったため、試合中にキレたりすることがあり、たいへんでした。しかし、そんな苦労も知らずに、同級生からは、「いいよね、かなこは先輩から気に入られてて。」と言われるようになりました。言われる意味がわからなかったですが、ここで言い返して仲を険悪にするのもいやだったのでスルーしていました。そして先輩が引退しここからが本当の地獄でした。ある日の練習試合をきっかけに何故かある一人の子から無視をされ始め、それがたしか9月でそれが終わったのは4月とかだったと思います。なんでそれが始まったのかよくわからないですが、多分私がうまいことペアを組んでいたので、その僻みだったんじゃないかと思います。その間にもともと部活内で回していた交換日記にわざと悪口をかかれたりして、あたしは仲を深めようと始めたはずの交換日記だったのでやっている意味ないなと思い。キレてやめたり、あとは、どちらかというと顧問の先生に私は気に入られていない方だったのに、何を思ってか、先生に気に入られていいよねとかいう変な言いがかりを付けられたし、本当にここに書ききれないことがたくさんありました。同級生の間だけでもこんなに問題があったのに、後輩との関係もわるかったし、コーチとの関係も悪く、私達の代で二人のコーチがやめました。また、親達が子供の関係に入り込み、しかもそれが正しいことならまだいいものの、自分の子供のことしか考えていない行動をしたり、それでも大人なのか?と思うことが多々ありました。
そんなこんなありましたが、4月頃かにもともと中心的にいた子がみんなから無視され始めその子はあまり部活に来なくなりました。私は、そのあたりから元に戻り、まだマシになりました。こんなことを思うのは本当は良くないと思うけど、いじめられてもしょうがないことをそれまでにしてきたのだから、不登校になってもかわいそうとは一ミリもおもわなかったし、それぐらいの仕打ちを受けてもしょうがないとさえ思いました。結局部活が終わってからもその子はクラスでもうまくいかず、卒業式にも来ませんでした。その子の家は私の家の裏にありますが、卒業してから今まで一切喋ってないし、これからも一生しゃべることはないと思います。でもこんな3年間があったからこそ、これより嫌だと思ったことは正直ないし、これお乗り越えられたからこれくらい大丈夫だと思うようにしています。だから、この経験は無駄ではなかったと思います。


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