[150] いい子
現在
自分
ソリューション データ: 私は昔から、いわゆる「良い子」になろうとしていました。わがままもあまり言わず、勉強もそこそこやり、親の言うことに素直に従っていました。親に怒られることが面倒くさく、怒られずにすむ方法を選んでいたのだと思います。 そうしているうちに、反抗期を迎えずに大きくなってしまいました。しかし、本当は心の中で泣き叫んだり、親の悪口や文句を言ったりしていました。思ったことを誰にも言えず、布団やクッションにイライラをぶつけていました。二十歳になる今でも時々やっています。 親も若くはなく、いまさら反抗するのは無理だし、そのつもりもありません。子供のうちに言いたいことをなんでも言う、そういった経験をしておけばよかったと、いまさらながら思います。それはある意味子供の特権だと思うので…
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[149] 引っ込み思案から
ソリューション データ: 今では比較的友達も多く、賑やかに生活をしています。しかし小学校低学年までは周囲の人とうまく付き合えず、引っ込み思案な性格でした。しかし、高学年になった時に親同士が知り合いということがきっかけで、クラスでもリーダー的な存在の子ととても仲良くなり、それがきっかけでほかの子とも徐々に話せるようになり前向きで誰とでも話せるような性格になりました。その友達のおかげで今の自分がいると思うのでとても感謝しています。
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[145] 部活(陸上)
中学校時代
ソリューション データ: 私は副部長に選ばれた。ただでさえ重荷で部活に行くのが嫌になった。それプラス、部長に選ばれた男子が週に一度来るか来ないか程度になり、私が部長のかわりをすることが増えた。部長と話し合ったけれど、結局変わらず、私が部長になることが決定した。部を引っ張っていかなければならないことと、部長は速い、というイメージがあったためにそれに近づかなきゃ、とすごくプレッシャーになった。どうすればいいかわからなかったのに、友達にも言えなくて、辛くて、泣いてしまった。そんな時に友達が”頼ってよ”と声をかけてくれて話した。そのあとみんな協力してくれてなんとかやり遂げることが出来た。一人で抱え込まないで相談することはすごく大切だな、と感じた。
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[144] 気持ちが下がった時の対処方法
気持ちが下がった時
自分
ソリューション データ: 人は誰でもどんな人でも思い込んでしまい気持ちが下がってしまうことがあります。私もクラス替えの際や入学の際などには友達関係に悩まされますし、受験などでは勉強面や親とのぶつかり合いなどに悩まされる時もありました。その時の私のストレス発散方法は1〜2人の友達に相談することでした。全部が全部相談できることというわけでもなかったし相談するまで勇気がいることもありましたが、人と話すことで心がふっと軽くなり、話しているうちに1人で抱えていた時よりも小さなことに感じることがありました。このことから自分が悩んでいる時に同じ時期に悩んでいる友達のほうが1番分かち合えるとわかりました。また、相談を受ける側はそんな時なんてコメントしたら良いのか分からなくなったりしますが、1ばんだいじなことははなしをきいてあげることであり、その子の気持ちの理解を示してあげる事だと思いました
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[143] 自分のいいところ
学生時代
ソリューション データ: 私はどちらかというとはっきりものを言うタイプで体育祭などのまとめ役を任されることが多い立場でした。先生からも信頼してもらえていたので委員長を任されたことがあったのですが、それを良く思わない友達から無視をされるようになりました。初めは無視されることが気になりあまり前に出てなにかをするのを避けていましたが、いつも話を聞いてくれる友達に「そんなことを気にして自分のいいところをつぶすのはもったいない」という言葉をかけてもらったことで、無視されることを気にせず前に立ち委員としての仕事をしっかり果たすことが出来ました。
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[141] クラブからの部活
中学校時代
自分
ソリューション データ: 小学校のクラブという厳しい練習などなくただ楽しむだけの練習しかしたことのなかった私が、初めて厳しく泣きたくなるような練習をしたのが中学1年の夏でした。中学校に入学してバトミントン部に入部し、夏休みまでの練習は部員を増やすためにあまり厳しいものはなく、先輩たちと交流の時間がとても多い楽しいものでした。ですが夏休みに入り、3年の先輩たちが引退すると、シャトルやラケットを使う練習がほとんどなくなり、フットワークや走り込みなど体力を付ける練習ばかりになりました。今まで逃げたくなるような厳しい練習をしたことがなかった私にとって、それは本当につらいものでした。何度もやめたくなりました。ですが一緒の小学校からあがってきた同じ部活の子と悩みを言い合うことでその夏を乗り切ることができ、大学生になった今でもバトミントンを続けることができています。
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[138] 日記を使って自分の気持ちを受け入れる!
自分
ソリューション データ: 自分の気持ちがわからなかったので、日記を書き始め 思ったことをなるべく正直な気持ちで書み続けたところ、 自分の考え方や、気持ちの癖がわかり、 だんだんと受け入れられるようになりました。
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[136] 部長の悩み
中学生
自分
ソリューション データ: 私は中学生のとき運動部に入っていました。2年生の夏に新しく部長を決めるとき、顧問に「キャプテンをやってみないか」と言われて悩んだ末、そのまま部長になりました。しかし責任感を持ってしっかりしようと思えば思うほど空回りしてしまい、部員はちゃんと練習をやってくれないし、2人の副部長が役目を果してくれない、などと考えるようになってしましました。部活動に毎日参加することが苦痛になてしまったので、顧問と話し合って1週間の休みをもらいました。部員たちには、なぜ部活を休むのかと思われていたけれど、私は本気で部長と、部活動自体をやめようかとなやんでいました。ですが、1週間の間に顧問が部員に話をしてくれ、また、私は客観的に部活動と自分の部長としての姿を見直すことができました。そうして、自信の考え方や部長としてのあり方を改めなおし、最後まで部活動をやり遂げることができました。
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[134] 支えてくれる仲間の存在
ソリューション データ: 陸前高田市出身の高校生、実家から離れた青森市内にある高校へ進み野球部だった兄らの影響もあり、彼女は野球部のマネージャーをしている. 3月11日東日本大震災が発生し、東京で働いていた父のもとへ行くことになった. 部員たちからもらった手紙にはこう綴ってあった.「泣きたいときには思いっきり泣いてください.辛い時は辛いって言ってください」「マネージャーは一人はないからね、あなたの痛みはみんなの痛みです.みんながあなたを守ります.僕らはそんな仲間です」 数日後、父共に実家のある陸前高田市に訪れた. 安置所には、母と兄二人、祖母が横たわっていた. 彼女は、青森に戻るべきか、父とともに東京に住むべきか迷った.その時彼女は、部員たちからもらった手紙のことを思い出した. 家族のような仲間の元、大好きな野球の元へ戻れば辛さが忘れられるような気がして、彼女は青森に戻る決心をした. 彼女は「野球部のみんながいなかったら、心が折れていた」と話す
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[133] 今まで気づかなかったこと
ソリューション データ: 被災地・福島に住んでいるため余震や原発の心配が絶えず、普段着を着たまま家族でひとつの部屋に寝る生活が続いていた人がいた.高校生の娘さんは学校や部活がなくなり、放射能の影響で外出することも少なくなったため家にいることが多くなった.すると娘さんは掃除、洗濯、炊事など家事を進んで手伝うようになった. 今まで普段の生活が忙しかったため、台所にたって料理をする娘んさんの姿を見ることはなかったようで新たな一面を発見することとなった. この震災は余震だけでなく原発事故という悲しい事態をもたらしたが、家族の絆の大切さを改めて感じさせる出来事のきっかけとなったようだ.
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