いじめ編 (294)
男性/女性/...
不登校編 (81)
男性/女性/...
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すったもんだ編
(581)
男性/女性/...
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男性/女性/...
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男性/女性/...
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男性/女性/...
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当事者//...
自分の中のもやもや編 (593)
男性/女性/...
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 [543] 子供の対人関係
 小学生  

自分


ソリューション データ:
私は小学生の頃クラス内に女子の友人がいなかった。クラス内とはいえ1学年1クラスだったため、校内に同い年の女子の友人がいないのと同じであった。
理由は分かっていた。6人の中に1人、リーダーの子がいて、入学してから毎日その子に皆が従っていた。私はなぜそうしなければならないのか不思議で、従うのも嫌で、一人別の遊びをしたり、男子と遊んでいた。面と向かって悪口を言われることはほとんどなかったが、陰口を言われたり、仲間外れにされたり、あからさまに嫌そうな顔をされたりするのがしょっちゅうだった。
学校へは毎日行っていたためか親にも先生にも気づかれなかった。また、自分から誰かに言おうとも思わなかった。12人しかいない田舎の学校のクラスで、誰か大人に何か言ったところで解決はしないと思っていた。中学年ぐらいまではつらいと思うことも多かった。しかし、、小学2年生から通い始めた剣道教室には他校の友人がおり、学校にも先輩や後輩には仲の良い女子がいた。クラスの外に友人関係を作ることで楽しいと思うことが増え、また、自分からもクラスの女子と少し距離をとることができるようになって、高学年の頃にはつらいと思うこともかなり減った。
根本的な解決にはならないことであり、このまま小学校を卒業してしまったが、この時外で作った関係のおかげもあって、中学校ではそれなりに友人もでき楽しく過ごすことができたから自分ではこれでよかったと思っている

 [542] 顧問の先生との関係性
 高校3年生のとき  

部活の顧問の先生


ソリューション データ:
私は高校時代、吹奏楽部に所属していた。私が3年生になるときに、顧問の先生が定年退職し、市内の中学校から新しい顧問の先生が赴任してきた。最初は私たち生徒の意見も尊重してくれた練習だった。11年関東大会出場という伝統を崩すことなくやっていけるか不安だったが、この先生なら大丈夫、と思っていた。しかし、コンクールの練習を進めていくうえで、先生と生徒でぶつかり合うことがあった。前の先生は生徒の自主性に任せている部分が多く、あまり細かく介入しなかった。ところが、新しい顧問の先生は、とにかく自分やり方を突き通す人だった。練習内容や練習プランをすべて細かく決めてきた。私たちのやっていることと先生の方針であわないところがあるとすぐに変えてしまうので、わたしたちも嫌になる部分が多かった。そんな時に私たちをかえてくれたのは、前の顧問の先生の言葉だった。「顧問の先生が変わったことで、部員たちにも不満があるだろう。しかし一番不安を抱え、周りからのプレッシャーを受けているのは先生だ。そんな先生を支えることができるのはあなたたちしかいない。」その言葉を聞いて、先生に最後までついていこうと思った。私たちが感じている以上に先生はプレッシャーを感じ、その分努力していたのだった。私たちがコンクールでいい結果をのこすために寝る間も惜しんで必死で考えてくださっていた。そんな先生のこと、わかっていなかった自分に反省した。先生を信頼することで、わたしたちは関東大会金賞という結果を残すことができた。1年間を終えて最後に先生は、「自分を信じ、ついてきてくれた3年のおかげ」といった。人を信じることのつよさを私はこの経験を通して学んだ

 [541] 人生の勉強になった受験期
   

ソリューション データ:
私は今通っている大学を第一志望とし、センター試験を3教科で受験していたので、1教科の失敗も許されなかった。しかし国語で大失態を犯し、合計点はボーダーラインを大きく下回り、判定もE判定だった。滑り止めの私大に行くことも視野に入れていたが、やはりこれまでの頑張りを無駄にしたくないという気持ちから、一般後期受験まで精一杯やろうと気持ちを切り替えて二次試験対策を毎日学校の進路室を借りて勉強していた。

前期試験では面接で言いたいことがはっきり言えず、不本意な終わり方になってしまった。合格者発表を見たが、やはり不合格だった。後期試験は前期よりも倍率が上がるため、合格は絶望的だった。その時、担任かつ進路指導の先生が「終わったことを嘆いても仕方がない。今は後期試験で悔いの残らないように全力でやるだけだよ。」と喝を入れてくれた。その通りだと思い、再びその日から二次対策に取り組んだ。後期試験を受ける生徒は私のみで、私は毎日進路室で先生に小論文の添削や英文の和訳の添削をしてもらっていた。

後期試験当日、全力を出し切ること以外になるべく考え事はせず、筆記試験も前期に比べて落ち着いて取り組むことができた。そして面接試験では、前期ではできなかった1番に挙手することができ、その後ディスカッションも緊張もあったが楽しみながら進めることができた。

そして合格発表の日ダメ元でパソコンを見ると、私の番号が載っていた。私は全く信じられず、事務課に電話をしてしまったが、冷静になって合格した事実を受け止められた。正直、喜びよりも驚きのほうが強く、周りに祝福されて「受かったんだ」という気持ちになった。この受験期を通して、目の前の課題を精一杯こなすことで結果はおのずとついてくることを学んだ。

 [540] 学校での友達作り
 幼稚園から大学  

自分


ソリューション データ:
私にとって入学式の後にやってくる友達を作る期間は、何にもまして疲れる期間だった。幼稚園から小学校に上がるときも、小学校から中学校に上がるときも引っ越しをし、高校は家から遠い学校を選び、大学も地元の岐阜県を離れた学校に進学したので、学校を一つ上がるごとに友達のいない、人間関係が0からのスタートだった。人見知りが激しく中々輪に溶け込めなかったり、素の自分がだせず作り笑いに疲れたり、自分だけ友達がいないのではないかと焦ったり、入学後1か月ほどは本当に神経が磨り減るような毎日を過ごしていた。そんな経験を重ねてきて、今自分が友達づくりについて一番大切にするようにしていることは、「狭く、深く」の友達関係である。もちろん「広く、浅く」の友達もいることはとても楽しいし、何か困ったときに助け合える友達は多いほうがいいかもしれない。しかし、一人一人性格も考え方も違う人間だから、気が合う、合わないも当然でてくるものだ。私は、多くの友達の中でもそういった自分とはあまり合わないかなと感じた友達とは作り笑いでごまかして気を遣って付き合う必要はないと思うようになった。それが逆に相手に伝わってしまったら、相手を傷つけてしまうことがあるかもしれない。友達と出会ったときに挨拶をしたり、会話を楽しんだりすることは私はとても好きなので、そういったつながりはもちろん大切にする。そして、何か悩み事の相談や、深い話がしたいと思ったときには、心をさらけ出して話せる「狭く、深い」関係の少数の友達に話をする。
私はずっと、そしていまでも、多くの友達を作ることは苦手だ。しかし小学校でも中学校でも高校でも、卒業するときには必ず一人かけがえのない親友と呼べる人が出来ていた。大学生になったいまでも、どんなに離れていてもつながりがあって、支えあえる大切な人だ。そういう人が一人でもできればいい。そう考えることで、いまは友達づくりにつかれることが少なくなったと思う。

 [538] 夏の受験勉強
   

ソリューション データ:
受験勉強のことです。
私は、中高両方ともに定期試験は毎回頑張っていたので、その結果はいつもよかったです。
そのため、周りからは勉強が出来るという印象をつけられていました。
ですが、定期試験と受験は出来るに違います。
定期試験は決められた範囲が試験に出るのに対し、受験は出題範囲が広く、その詳細も予想をつけることが難しいです。
また、私は定期試験でやった内容も試験が終わった後に復習しをしていなかったので、まったく身についていませんでした。
そんとあめ、模試の結果は悪く、特に国語と英語が酷い結果でした。
頭の良い人と受験勉強について話していると相手は私が定期試験などで点を取れていることを知っていたので、当然模試もいい点を取っているだろうという体で話して来ますが、実際と齟齬があるその前提は話していて辛くなりました。
ですが、なんとしても第一志望の大学に行きたかったため、毎日必死に勉強しました。
そんな中、一番つらかったのは夏です。
夏の受験生というのは、予備校にもよりますが大体の人が一人で周りと関わらず、黙々とただひたすらに勉強します。
私は夏の模試で自分なりにできたと思った試験が過去最低に酷い点数で、そこからしばらく約1週間スランプに陥りました。
頭の中で「あなたは頭が悪い」「勉強をやっても身につかない」「いつも努力はするけど身につかない」「ダメな子」「生きていても意味がない」
そんな葛藤が、私を次々と襲いました。
この時、部活の時での事も頭を過りました。
この時も周りから「ていこは努力していて偉いね」と言われていました。
ある友達には「目に見えるように頑張っているけど実際全然うまくいっていないよなー」と、まさに図星を突くような事を言われたこともあり、とてもつらかったです。
夏のスランプの時期はパソコンで、どうすれば気持ちが上がるのか調べたり、松岡修造の動画を見たり、親に相談したりしました。
そんな中、私が最も気持ちが上がり前に進もうと思ったきっかけは父の言葉でした。
「浪人してもいいから、今必死になって頑張れ」
私はその言葉を聞いてなぜか気持ちが楽になり、再び勉強に専念することができるようになりました。
また、母からは「人はそれぞれだから」という言葉にも救われました。
世の中には様々な人がいます。
勉強面で言えば、普段勉強していなくても集中力が人よりも優れているため、普通の人の短時間で物事を習得したりする人や、長い時間かけて技術を獲得する人もいます。
私は、ここでいう後者の方だと思います。
そのため、人一倍時間をかけてゆっくりと物事を獲得するのが私にとっては一番合っているのだな、と思いました。

 [537] 受験を乗り越えて
 高校三年  


ソリューション データ:
私の大学受験期は、勉強漬けの毎日であるのはもちろんのこと、自分の人生について深く考え始めた時期でもありました。私はこの大学を高校一年のころからずっと第一志望にしていたので、高校入学してから勉強と部活を両立してきました。一・二年生のころは模試の判定もそう悪くなかったのですが、三年生の受験期に入ってからは思うように伸びず、D判定の連続でした。毎日勉強しているのに成績は伸びない、ども周りの人たちは判定がよくて本当に悔しかったです。実際にセンター試験が終わり、ここの大学はD判定でした。その時点で第一志望の大学の私立大学に落ちてしまったので、本当に浪人を覚悟しましたし、今までの自分の頑張りは何だったのだろうと心底思いました。そんなときに私を救ってくれたのは大好きなアーティストのDVDです。息抜きに見たのですが、涙が止まりませんでした。そのアーティストの解散などの危機を乗り越えてのコンサートDVDだったので、彼らの状況がその時の自分と重なりました。そのDVDの中で一番心に残っている言葉が、「信じれば叶う」という言葉です。目の前が真っ暗で何も見えない状況でも、自分を信じて信念を突き通す。がむしゃらに進んでいけば光がみえてくる。お先真っ暗な私でしたが、一筋の光が見えてきました。「まだ終わっていない」と自分に言い聞かせました。担任には他の大学を薦められたのですが、親は「ずっとこの大学を狙ってやってきたのだから最後まで受けた方がいい」と言われ、この大学を受けました。面接も試験問題も全力を出し切りました。合格発表の日に自分の番号があったときは本当に信じられませんでした。そしてそのアーティストが言っていた「信じれば叶う」という言葉を身にしみて感じた瞬間でもありました。本当に辛いとき、心の拠り所となるような何かがあるだけで救われると思います。たまには肩の力を抜いて、息抜きすることも大切です。そして最後まで突き通せるくらい自分のやりたいことがあるだけで、生き方自体変わってくるとおもいます。

 [536] 心理学を通して(大学入試のこと/拒食症になった時のこと)
 高校生の頃  

自分


ソリューション データ:
私が心理学を学ぶ中で、自分とは違う新たな考えを得たりしたことや、授業を通して、普段の自分の生活とはあまり関わりのない人とコミュニケーションをとったりすることによって今まで以上に自分に色々な気持ちや考えが生まれてきた。いずれの体験も今後、自分が多様性のある人間へと成長するために必要な事だと思うし、心理学が学べてよかったと思う。その中で、今回は特に今までの自分を振り返って、辛かった出来事とそれを乗り越えた時のことを見つめ直して、これからの生活で強く生きていけるようにもう一度自分と向き合っていきたいと考える。
私が辛いと感じた一つ目の出来事は、大学にゅしのことである。私は国公立大学である、この神奈川県立保健福祉大学を第一志望校として目指していたので、センター試験が終わっても勉強の日々が続き、卒業しても気が抜けない日々を送っていた。このような生活を送っていた人はもちろん多くいたと思うし、この大学で出会った仲間のほとんどはそうであると思う。しかし、私の在学していた高校の生徒は約六割の人が私立の大学に流れてしまう傾向があったため、センター試験が終わると受験モードが終わり、勉強をやめ遊ぶ生徒も少なくなかったのである。私の友達もそのように私立大学に進路が決まり、勉強から一歩先に手を引いていく人が多かった。そのなかで私ばかり毎日図書室に向かうことや、勉強の日々を送るのはとてもストレスであった。友達に悪気がないのもわかってはいたのであったが、勉強から解放され、進路が決まった友達と、まだまだ勉強を続けなくてはならないうえに進路も決まっていない自分を比べる日々が辛かった。ぶつけようのない思いを抱え、日々勉強に励むのは、センター試験前のみんなで受験に向かっていくというムードに比べ、非常に精神的に難しいと心底感じていた。そのような思いに潰されそうになる時もあったが、その時に私の気持ちを立て直すことができたのは一緒に国公立試験に挑む友達の存在や、支えてくれる先生方の存在であった。弱音や不安を打ち明け、一緒に悩んでくれたりしたことや、励ましてくれることにどれだけ救われたか、感謝してもしきれないほどである。辛いことに立ち向かうときこそ、信頼できる人が自分には必要だし、大切だということを実感した出来事であった。ストレスも誰かに話したりすることで解消することは可能であるため、個人のことであったとしても周りの人との人間関係は大切であることを学んだ。
二つ目は高校生だった頃に、軽く拒食症になってしまったことである。きっかけは、その時付き合っていた人と別れてしまい精神的ストレスがたまっていたというささいなことであるが、それからダイエットを続けていたら止められなくなってしまったという出来事があった。「やせたね」という言葉がうれしくて、さらにストイックなダイエットを重ね、毎日一食しか食さず、さらに毎日一時間ほどランニングを続けるという生活を半年以上行っていた。そのおかげで生理も半年以上止まり、頭の中がダイエットでいっぱいになり、人付き合いも悪くなり、本で読むような拒食症の症状に当てはある自分がいた。両親も友達も先生も心配するほどになってしまったことにより、周囲の人には迷惑をかけてしまった。その時の解決法はいったん休養をとり、自分と向き合うことであった。自分の気持ちを入れ替えない限り、この生活は変わらないと言われたこともあり、時間をかけ変わるように努力した。両親も食事の面など多くのことで協力してくれたし、友達もあたたかく迎えてくれたこともあり、多少時間はかかってしまったが、元の自分に戻ることができた。おそらく周りの人が見えないところで私のことを支えてくれたり、励ましてくれたり、時には叱ってくれたことが私の気持ちを救ってくれたのだと思っている。そして自分自身がやらなくてはならないことを行動に移す実行力を身に着けたことが乗り越えた大きなきっかけの一つであると考える。
この二つの経験を乗り越えてきたうえで考えたことは、辛い出来事を乗り越えるためには自分自身が成長し、強くなる必要があるということと、周りの人との人間関係が大切であるということである。自分の問題であるため、自分が解決能力を高めていくことが必要なのはもちろんのこと、その時に手を差し伸べてくれて、っさえてくれる人がいることによって自分がもっと強くなれるということを私は実感した。辛いことがあってこそ、私たちは成長していくし、辛い出来事にも立ち向かうことができるようになっていくのだと私は感じる。したがって私たちはどんなときでも、辛いことから逃げてしまうような人間にはなってはいけないと考える。しかし、一人では困難なことも少なくはないため、その時には誰かを頼るということも悪くないと思っている。自分が信頼される、愛される人間であれば、周りの人はきっと支えてくれると私は考えているし、そのような関係を築いていくことが生きていくうえで欠かせないことであると実感した。信頼され、愛される人間であるために、自分もまた誰かのために支え、自分自身が自立し、凛とした人間へと向かって居k手たらよいと考える。心理学を通して、多様な考え方を学ぶことができたので、この経験を大切にして、今後の生活に生かしていきたい。そしてこれからも多くの人とのかかわりを大切にして、人間関係も生活も充実することができることを願う。その中で何度でも辛いことや困難に立ち向かい、乗り越えていくことができる人間へと成長していきたい。

 [535] 高校の女子バレーボール部
 高校  

自分


ソリューション データ:
私の代の女子バレーボール部には部員が私一人しかいなかった。最初から一人だったわけではない。一年生で入部したての頃は私ともう一人いた。しかし、三年生の先輩が6月に引退してすぐにその子が辞めてしまった。私が引退した後に本人から聞いたことなのだが、その子は私たちの一つ上の先輩が嫌で辞めたそうだ。ちなみに一つ上の先輩も一人しかいなかった。その先輩はとても気が強く、思い道理にならないとすぐ人に当たる性格をしていた。その先輩が引退するまでの一年間、私はその性格にずっと悩まされていた。先輩が引退してしまって人数が2人しかいなかったので、ほかの学校と合同チームを組んでいた。しかし、毎日一緒に練習するわけではなく、平日はそれぞれの学校で練習をし、土日は合同先の学校で一緒に練習する方式だった。従って、平日は二人っきりで練習をしなくてはならない。その毎日は本当に苦痛だった。先輩の機嫌を取らなければならない、しかし、うまくなるためには意見も言わなければならない、意見を言うと不機嫌になるの繰り返しだった。なぜ私は部にいるのだろうかと考えることが何度もあった。同じ学年のほかの子が楽しそうにどこかに外出しているのを見るとなぜ私は一人なのだろうと思うこともあった。本気で部をやめるか迷っているとき、私のせっぱつまった顔を見て男子バレー部の子が心配をしてくれた。やめようか考えているという話をすると、その子は私が辞めのるはもったいないと言ってくれた。プレーが好きだからやめないでほしいとも言ってくれた。上手くもなく、派手でもない私のプレーを好きだと言ってくれる人がいることは私をとてもやる気にさせ、バレーが好きだからここにいるんだと再認識させてくれた。その日から自分が引退するまで、辛いこともたくさんあったがその言葉がいつも私の心を支えてくれた。

 [534] バレーボール部での葛藤
   

ソリューション データ:
部活のことです。
私は中高ともに6年間、女子バレーボール部に所属していました。
中高一貫校だったため、女子バレーボール部も中学生と高校生で一緒に行って0いました。
しかし、限られた時間の中で練習するのには制限があります。
そのため、私の部活では高校生が主に練習をしていて、中学生はあまり練習させて貰えませんでした。
また、小さい頃に何かスポーツをしていたわけではなく、人より運動神経が良くない私が部活に入り、周りとの技術の差は開いていくばかりで、気づいたときには学年で一番バレーが下手な人物になっていました。
中学生の頃はただ何にも考えずプレーをして、それが楽しかったから良かったのですが、高校に上がり他の中学からら来た外進生が来てから状況が変わり、バレーに対しての気持ちが変わり、上手くなろうという決意が出来ました。
今までなんとなく顧問や同学年の子、そして先輩から教わった事を頭で理解していたのに、中々プレーに表わすことができず、顧問に「頭で意識しろ」と何度も言われたのを今でも覚えています。
それから何度も何度も同じミスをしてしまい、中々自分が思うように上達することができなく、自分の中で葛藤がありました。
私の部活では3年生が5月に引退するので、部活では2年生が中心となっていくなかで、技術がない自分に自信を無くしました。
チーム編成の時も、同学年の人数は6人で、私は正直チームに入れてもらえれうか不安でした。
私よりも上手い後輩がいる中、果たして私がレギュラーになれるのか、と。
部長と話した結果、どうにかリベロという形でチームに参加することが出来ました。
リベロとは、主にカット専門のポジションです。
それから何度か試合に出ましたが、敵チームのボールを取れなかった時「自分が下手だからだ」「周りに迷惑をかけてしまっている」と自己嫌悪に陥りました。
そんなとき私を勇気付けてくれたのは、チームの仲間でした。
「ていこが一番頑張っている」「緊張しないで、ボールを上に上げてくれれば大丈夫だから」など、チームのみんなが励ましてくれたおかげで気持ちが楽になりました。
また、プレーの時もミスをしたときに何故そうなったのか毎回しっかりと考えて、チームのみんなも、お互いのアドバイスによって頑張れた気がします。
6年間、女子バレーボール部に所属し自分の技術が上達せずに日々悩み改善できるように頑張ったけど、部活の先輩、同学年、後輩、顧問の先生など多くの人と関わっていく中でその辛さは緩和され、一歩一歩前に踏み出せるようになりました。

 [532] もやもやしたこと
 高校3年生  

ソリューション データ:
高校3年生の夏に、音楽のコンテストに出場する同級生を見に行ったことがあった。元々はその人を応援しに行った。だが、他のアーティストも本当に良くて、私なんかと世界が全然違って、とても心に響いた。そのコンテストは重大の人しか出場できないため、親近感を持って見ることができた。私もそんな風になりたいと感じたが、勇気やきっかけがなかった。最近、音楽に興味を持ち始めたからか、受検からの逃れなのか、彼らの演奏を聞いたからなのか、何がしたいのかわからなくなった。それまで就きたい職業があって大学を見に行ったりしていたが、私にはその仕事をできる能力なんてないなと感じた。それなら私はどうしたらいいのだろう、と考えた。その時は音楽が好きで好きで、バンドを組みたいと思った。だが、小さい頃にピアノを習っていたくらいしか楽器の経験がないし、きっかけもない。音楽関係の仕事に就くなんて、才能だと思った。自分の才能は何なのか、本当にわからなくなった。同世代の子のライブを聴いて、受験勉強を頑張らなきゃと思ったが、何か違う気がした。でもそれはやはり、受検からの逃げなのだろうか。コンテストに出場したその子と同じ学校にいて、本当に刺激を受けた。ステージは近いのに、遠い存在だった。私の高校には、スポーツで全国一の人や、誰よりも早く大学に合格した人、高校を卒業したら海外に行く人もいた。自分のやりたいこと、才能が分かっていることを羨ましく感じ、やりたいことが見えなくなってぶれてしまった。その話を周りにしたら、先生から「今はやりたいことを煮詰める時期でもいいんじゃないかた」という言葉や、先輩からの熱い励ましをもらった。誰かのお陰で、自分の足でしっかりと立っていられるのだと感じ、前向きに悩めるようになった。


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