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 [447] 受かった方が運命
 高校3年生  

自分


ソリューション データ:
私は元々人から頼られることが多く、自分自身も誰かの役に立ちたいと考えていた。高3で進路を決めるときに、最初から医療の分野に進もうと考えていたのだが、たくさんある医療従事者の中で、臨床検査技師と理学療法士で迷っていた。臨床検査技師になれば医者よりも先に患者さんの病気も見つけてあげられるし、実験などが好きだったので自分に向いてると思った。でも理学療法士になれば自らが患者さんの身体を支え、より人の役に立てるのではないかと思った夏休みを迎えても自分の進路は決まらず。勉強が間に合わないんじゃないかという焦りも感じて、どうしていいか分からなくなった。どうしようもなくなって進路担当の先生に相談しに行った。するとビックリするくらい簡単に答えられた。どっちも受けてみて、受かったほうに縁があるし、それもまた運命だと思って受け止めたら?と。何を悩んでいるんだろうと思った。言われるがまま、私はここ神奈川県保健福祉大学の理学療法専攻の推薦を受けた。倍率もほかの学科に比べて遥かに高かったし、本当に受かったら運命だなと思った。結果は合格だった。素直に嬉しかったし、この進路が私の運命だったのだと思った。自分ひとりで悩んで辛かったけど、先生から軽いようで思う助言が私の悩みを消してくれたのだと思う。今では、心からこの道を選んで良かったと思う。

 [444] 努力した自分
 小学生  

自分自身


ソリューション データ:
私は小学生の時に特設水泳部に所属していました。しかし、私は小学4年生まで25m泳ぐこともできないカナズチでした。プールの授業も嫌いで、泳げないことに対して情けない気持ちでいっぱいでした。そこで、少しでも泳げるようになりたいと思い、特設水泳部に入部してからは、放課後になるとすぐにプールに向かい、雨の日も風の日もひたすら泳ぎ続けました。その結果、25mを泳ぐことはもちろん、50mを泳ぐことや、平泳ぎも出来るようになりました。次第にクロールの速さも増していき、25m自由形の選手にも選ばれることができました。努力は裏切らないということを学ぶことができました。

 [443] 挫折を経験して
   

ソリューション データ:
私は中学校のとき、勉強もせずに部活や遊びに没頭していました。学校のテストでも点数は低く、そのとこでよく親にしかられました。それでも反省せずに部活をしては遊んでの繰り返しでした。3年生になり高校受験の時期になると親は塾に行くように私に勧めてきました。私は塾に友達もたくさんいたので拒否することもなく通うことに承諾しました。
けれども、実際には勉強した内容を復習することもなく、ただ通っているだけという感じでした。試験の結果に一喜一憂して、内容の伴わない勉強をしているだけだったので、本番の試験ではなにもできなく受験は失敗ししました。不合格と知ったとき自然と涙がでてきました。悔しさで涙が出たというより、なんでもっとマジメの勉強しなかったのかと自分に対する怒りと後悔の涙でした。それまでに挫折というものを味わったことがなかった私にとって、本当につらいものでした。
しかしこの挫折を経験したおかげで高校では真面目に勉強するようになりました。これからもこの経験が役に立つことがあると思います。挫折を一度経験することで人は成長するものだと身をもって感じました

 [442] 新人戦
 高校の頃  

自分


ソリューション データ:
高校の時、私はバドミントン同好会に入っていた。バド部は部活ではなく、同好会だ
ったので、学校一の部員数にもかかわらず体育館が空いていないという理由で学校で練
習させてもらえなかった。近隣の体育館を使用していたので週3しか練習できない環境
だったが、部員みんな向上心にあふれていて、仲もよく一丸となって頑張っていた。先
輩が引退してしまって最初の大きな大会となった高2の新人戦では、先輩が果たせなか
った県大会出場を目標にしていた。大会では県大会をかけた試合まで順調に勝ち進んだ。
県大会をかけた試合の相手は、インターハイで先輩が最後に負けた相手だった。先輩の
ためにも勝とう!という気持ちでいっぱいだった。試合は勝ったり負けたりで最終
戦までもつれ込んだ。試合に出られない1・2年が一体となって応援してくれた。結果
は勝つことができて、県大会に5位で出場することができた。また県大会でも勝ち進ん
で、ベスト8に入ることができた。週3の練習でベスト8に入れたということが私たち
にとっては大きな自信につながったし、誇りになった。

 [441] 学校のナイトウォーク
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私の高校の伝統行事で「ナイトウォーク」というものがある。高校からバスで山を登
り、その道のり40kmを深夜歩いて下っていくというものだ。私は高校3年生のときに
参加した。部活も引退してしまい、受験勉強に追われている中で、友達と楽しめる高校
生活最後の行事だったのでとても楽しみにしていた。出発場所に着き、友達と仲良く出
発した。ずっとくだりなので、歩いているうちにひざが痛くなってきた。最初は話しな
がら楽しく歩いていたのだが、中間地点につくころには全身ぼろぼろになってしまって
いた。中間地点で休憩した後に歩き始めたが、途中の街灯が無い道で足をひねってしま
った。結構派手にひねってしまい、それまでのスピードで歩けなくなってしまった。遅
くなってしまうので友達に迷惑も掛かるし、リタイアも考えたが、友達が「ここまで頑
張ってきたから、一緒に頑張ろう」と言ってくれたのでゴールすることだけを考えて頑
張ることにした。ゆっくりだが、確実に歩いて行った。そして、無事ゴールすることが
できた。リタイアせずに、頑張ろうと言ってくれた友達にとても感謝している。

 [440] 重要な決断
   

ソリューション データ:
私は高校時代バレーボール部に所属していました。部員の数は10名ほどで出来る練習も限られていました。さらには3年生の先輩が引退すると同時に2年生の先輩が辞め、1年生だけのチームになってしまいました。しかし同学年だけということで練習にはやりやすさがありました。2年生には後輩も入ってきて活気も生まれてきました。
しかし、2年生の3月頃から私は受験を意識するようになりました。初めのころは両立できると思いました。実際に練習後にも勉強はできていたし、サボることもほとんどなかったです。ただ、自分のクラスはほとんどが一般試験を受ける人ばかりで、自分が部活をしているときにも勉強を頑張っている人ばかりでした。そして徐々に不安になっていき、3年になると同時に部活を引退しようと決めました。顧問の先生に反対されましたが、絶対に合格するからと説得をすると先生も理解してくれました。
そして、受験は希望していた大学に無事合格することができました。今でもあの時部活を続けながら勉強していたらどうなっていたかと考えることがあります。でも、あのときの決断が間違えていなかったと自信をもって言うことができます。そして理解してくれた顧問の先生には本当に感謝しています

 [438] 学校のマラソン大会
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私の高校では1・2年生は2月にマラソン大会を行う。女子は8km、男子は10kmを
走る。体育では、マラソン大会に向けた持久走の授業が12月ごろからスタートする。
練習内容は30分間走や5km走、インターバル走など種類はさまざまだ。私は運動は好
きなほうだったが、昔から走ること、主に長距離走は本当に嫌いだった。中学校でも持
久走の授業があったが本当にいやだったので、少し力を抜いてやってしまっていた。高
校でも適当に走っていようと思っていたが、先生がとても厳しく、また生徒もみんなや
る気に満ち溢れていて誰も力を抜いていないようだったの。力を抜くことが恥ずかしか
ったのでまじめにやることにした。何回も練習を重ね、長距離を走っているうちにだん
だん慣れてきて、どんどん早く走れるようになっていった。人生で初めてといっていい
ぐらい、走ることが楽しいとさえ思えるようになった。そんなとき、ある朝目覚めると、
右足に激痛が走った。足の筋が切れているような痛みで、地面に足をつけることすらで
きず、歩けなかった。すぐ病院へ行くとシンスプリントと診断された。それは1月の半
ばで、2月の頭にあるマラソン大会まであと少しのときだった。病院に何度も通い一生
懸命治療した結果、マラソン大会は走れることになった。途中でやめてもいいからと先
生に言われながら走り始めた。最初は痛みもなく快調に走っていたが、あと一周のとこ
ろで足が痛くなってきた。しかしここでやめたくないと思い、ほぼ歩きながらだったが、
ゴールすることができた。300人中265番目ぐらいのゴールだったが、私は完走するこ
とができて本当によかったと思っている。

 [437] 自分らしく
   

ソリューション データ:
私は小学校の頃から人の先頭に立つような学級委員や副部長、実行委員会などの仕事を多くこなしてきました。まとめたりすることは特に胃が手というわけではなく、どちらかというと得意なほうだったので、自ら率先してやってきました。そのおかげで、先生や友達から信頼されることが多くなってきました。
しかし、常に人の前に立つようになると、どうしても他人の評価を気にするようになっていきました。それが影響して、高校時代に自分の意見が言えず、評価されるために他人の意見に任せることが多くなった時期がありました。このこの期間、本当にこれでいいのかとずっと悩むようになりました。その時に担任の先生が相談にのってくれて、自分らしくいることの重要性を教えてくれ、そういうところを評価してくれる人は絶対にいると言ってくれました。
この言葉のおかげで、以前よりも他人の評価を気にしないようになりました。そして自分の意見に自然と自信がつくようになりました。それは必ず自分のことを評価してくれる人がいると考えるようになったからです。

 [436] バイト
 高校3年  

自分


ソリューション データ:
私は、高校3年生の冬からパン屋さんでバイトを始めた。パートさんもアルバイトさんもいい人だし、仕事内容も楽しかった。もちろん少しきつい仕事もあったが、部活で鍛えた体力で乗り越えてきた。しかし、大学生になり慣れてきたときに新しい仕事を教えてもらった。店の売り上げの報告書を書いたり入金するといった責任ある仕事を習得しなければいけなかった。店長がそばにいたりするとうまくいってたが、店長がいなくて初めて一人でやるときにミスを犯してしまった。緊張しすぎて何をしていいのか分からなくなってしまったのだ。結局、ベテランのバイトに助けてもらっが、悔しくてないて泣いてしまった。しかし、泣いてばかりじゃ何も変わらないと思い、ミスの原因を考え復習しシュミレーションして次のバイトに備えた。大げさだが心配性で緊張しやすい自分は頑張った。いよいよ次のバイトの日がやってきた。前回の失敗を忘れずに失敗せずに終えることができた。復習の大切さが身に染みた出来事であった。

 [435] 自分な中のもやもや
   

ソリューション データ:
中学と高校 6年間バトン部に所属していた。
まわりは、経験者 ばかりで 私は素人で
下手だったが、 苦手な技を100回連続で
とれるようにしようなど目標を定めて練習
したことで大会メンバーのオーディションにも
合格した。


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