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 [503] お姉ちゃんは頑張る
 中学生  

自分


ソリューション データ:
中学3年生の冬、初めての受検にたちむかっていて 、私は中2の時に文化祭に言ってからずっと憧れていた高校を志望校にしていた。私の地域では一番の進学校だったたえ、人気もあたつぃ自分より頭のいい友だちもその高校を目指していた。私が高校受験をするときは出願した後に倍率を見て受験校を変更できるシステムで、私の志望校の倍率は想像以上に高く、担任からは志望校を下げるように言われた。それでも諦めきれない気持ちがあったのと、不合格を味わう怖さで、家に帰ってまだ受検もしていないのに鳴き出すということが数日続いた。そんな時に母が「自分と相談して後悔しない選択をすればいい。落ちてもちゃんと私立で頑張ればいい」というようなことを言われて、私はそのまま受験することを決めた。試験日は雪が降っていて寒い日だった。志望校の高校についた時に、家を出る前に母からもらったぽち袋を開いたら、両親と弟からのメッセージカードが入っていた。弟からのメッセージの「お姉ちゃん」の字が「お女市ちゃん」に見えるくらいバランスの悪い字で笑ってしまったが、三人からの一言が泣きそうになるほど嬉しかった。そのお陰か、試験を落ち着いて受けることができた。そして無事合格をつかみとることができた。今ではそこが母校となり、たくさんの思い出と友人ができた幸せな三年間だった。私の高校受験は家族の支えによって成功することができたのだろうと今でも想い出すととても満たされた気持ちになれる。

 [502] バスケットボール部
 高校  

自分


ソリューション データ:
私は高校でバスケットボール部に所属していた。高校に入学したてのころは中学とのレベルの違いに戸惑っていた。そこで背が低い私は自分の武器を手に入れるために毎日居残りでロングシュートの練習を続けた。試合には1年生の中ごろから出場するようになった。自分のシュートで試合に勝つことも何度かあり自信をつけていった。2年生になり、先生との最後の大会である総体予選に挑み、そこで先発として出場できるようになった。あと1勝で県大会出場が決まる試合の相手は1度も勝てたことのないチームだった。試合は接戦で延長戦まで進んだが、結果的に負けてしまった。原因は私だった。決めてきたはずのシュートを外し、焦ってパスミスもしてしまった。有名漫画のスラムダンクと同じような状況だったが、私の場合はそれで大会が終了したという点で違っていた。悔しさというよりも悲しさがあった。新チームになってからしばらくシュートが思うように決まらなくなった。チームメートたちが上達していくのを見ると焦った。それでも居残り練習を続けていくと、練習試合で1本、満足のいくシュートを決めることができた。それまでが嘘のようにその後はシュートが決まった。イップスのようなものだったが、これを克服し自分の力とすることができたと思う。

 [500] 反抗
 中学校時代  


ソリューション データ:
私は中高一貫校であっ
たため、高校生の先輩方と共に部活動を励んでいた。部活動は吹奏楽部に所属
していたために、中学高校全体のまとまりが必要であった。なので、高校生の
先輩方とお話をする機会がたくさんあって良い経験や思い出がたくさんできた
中、衝突もあった。私たちの学年は、とても仲が良くまとまりのある学年であ
ったため、学年内の問題は全くというほどなかった。まとまりがありすぎたた
めか、先輩への反抗心や先生への反抗心がとても強かった。その反抗心は中学
生という特定のものであったのかなと思う。先輩方から、スカートが短い、リ
ボンが緩い、遅刻気味など、とてもたくさん注意を受けなければならないのか、と反抗し
ていた。注意を多く受けている学年が特に私たちであると思えてしまって、そ
の分多く反抗してしまっていた。そのため部活が始まる時間ぎりぎりに行っ
ていた。その分部活の準備が遅れて、さらに先輩方から注意を受けてしまう、
という悪循環がうまれてしまっていた。反抗すればするほど、部活に行きたく
なくなり、さらにスキルも落ちてしまった。スキルの伸び悩みが続いたとき
に、どうして伸びないのかを考えていく中で、モチベーションの低下がそのま
まスキルダウンにつながることにある時気づいた。その時点から、スキルをあ
げたいがために、反抗することをやめたのである。これが私の改善策であった
のかなと思う。

 [499] 苦手意識
 小学校  

チームメート


ソリューション データ:
私は小学3年生からバスケットボールを始めた。6年生のころには地元のバスケットボールで有名な中学の先生から誘われ、中学生と一緒の練習をしていた。より多くのことを学びたいと思い、中学は少し離れたその先生がいる学校に入学した。先輩は小学校からバスケットを続けている経験者ばかりだったが同級生は私を除いて全員初心者だった。チームが自分たちの代になったら大丈夫だろうかと、不安に思うこともあったが、厳しい練習を一緒にこなしてきた仲間たちはとても頼もしかった。1年半がたち、私はチームのキャプテンになった。新しいチームスタイルを取り入れることにより練習は一層大変になった。しかし3年生に進級するときに先生が他の学校に異動することとなった。バスケットだけでなく生活態度や礼儀などにもとても礼儀などにもとても厳しい先生を、私たちは尊敬していた。スタイルも完全にモノとなっていない段階で、大きな存在を失うという困難が現れた。新しく顧問になる先生は初心者で技術面での支援は求められなかったため、私はその状況をどうにかしようと練習で無理をするようになっていた。そんな時にチームメートたちが各々で考え、私のサポートをしてくれた。時間は限られていたが皆と協力し最後の大会では先生の異動先の中学にも勝利を収めることができた。私はとても努力してきた仲間の大切さと力の大きさを強く感じた。

 [498] 仲間の気遣い。
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私は高校でダンス部に入りました。ダンス部は女子しかおらず、中学の時のように女子特有のごたごたがどうせあるのだろうと思いながらも、楽しそうだったので入りました。同級生は七人はいり、普通に仲良く部活をしていました。ですが、私がバレエとバイトで忙しくなり、あまりダンス部に出られなくなってしまった時期がありました。私も内心このまま部活を休み続けることは行けないと思いつつも休んでしまっていました。そして、ダンス部の同級生に呼び出されて、休み過ぎだとはっきりと言われてしまいました。私も自分で理解していたので、言われた後はきちんと部活に出来るだけ出るようにしました。よく考えると、部活の仲間たちは、私と気まずくならないように、あえてはっきりと私に言うようにしてくれていたみたいでした。女子間のゴタゴタが怖かった私にとって、はっきりといってくれて、きちんとした意見も聞いてくれる仲間のことを大切にしようと思いました。高校を卒業した今でも、定期的に合うほど仲が良くなりました。

 [497] 考えて行動する力
   

ソリューション データ:
私は5歳の頃から中学校を卒業するまで新体操をやっていた。初めは幼稚園の小さなドームでやるスポーツクラブでただ楽しくお遊び感覚でやっていたが、「今よりもっと上達したい」という気持ちが芽生え、小学校2年生のときクラブチームに所属し本格的に新体操を"選手"として始めた。本格的に始めてから、技術の上達は自分でも驚くほど著しかった。大会でもだんだん成績を残せるようになり、選手としてやる新体操に大きな充実感を感じ、いつしか新体操が大好きになっていた。

しかし、小学校5年生のときに小学生ながらもスランプに陥った。練習は何をやっても上手くいかず、コーチとの関係も悪くなり、「それ以上練習しても上達しない」この言葉を言われたとき、心に穴が開いたかのような気持ちになり、私は練習に行かなくなった。練習に行かない日々が続けば続くほど、新体操を楽しいと思える気持ちは薄れていった。さらに、精神的にもかなり落ち込み、軽いうつ状態にまでなった。新体操が大好きで続けてきたはずなのに、このままでは新体操を嫌いになってしまう上に、新体操を辞めてしまうかもしれないと考えたとき、それだけは嫌だと強く思った。それほど新体操は私にとって大切な存在であり、私の一部となっていた。

この状況をどう打開するか考えた結果、所属クラブチームの変更という答えがでた。この答えはある意味"逃げ"のように思われるかもしれないが、新体操を純粋に楽しいと思えるようになるには環境を変えるしかないと思った。実際、クラブチームを変えたことで私は劇的に変わった。新しい環境での練習は引っ込み思案になっていた私の性格を明るく前向きに変え、新体操が大好きだという気持ちを取り戻させてくれた。クラブチームを変更して初めての大会で表彰台に上がれたときは、「自分の判断は間違ってなかった」と素直にそう感じた。

何か乗り越えなくてはいけない壁と直面したとき、「誰かがどうにかしてくれる」や「時間が解決してくれる」といった考えではなく、「自分で解決する」という気持ちを持ち、解決策を考えて実行することがとても重要だとこの経験から得ることができた。

 [496] 幸せの重み
 高校生  

自分


ソリューション データ:
私は四歳の時からクラシックバレエを習っていました。高校に入ってからもバレエを続けながら、高校のダンス部に入り、アルバイトも始めました。私は小さい時から太めの体型で食事も多く食べていました。そのことがバレエを習っていたこともあり、コンプレックスになりました。そのことで中学に入った頃からダイエットを始めました。そして一応普通体型ぐらいにはもどりました。もうこのころから生理はこなくなっていて、産婦人科に通っていました。ダイエットは常にしているようになり、高校に入ってからエスカレートして、昼食を抜き、キャベツと観点しか食べないなど無茶なダイエットを始めてしまいあmした。体重はみるみるうちに減って、周りから心配されるようになってしまいました。でも私は痩せていくことに自信をもっていたので、何故心配されるのかわからなかったのです。そしてどんどん痩せていって、精神が少しうつ状態になりました。わけがわからないのに急に泣き出したり、急に寂しくなったり、バレエを通うことが嫌になって、休もうと思ったり、早退をすることが多くなりました。それでもダイエットはやめたくなくて、どんどん体重は減るばかりでした。また、そのころ友達に私のことを心配してくれる子がいて、私が鬱状態になった時いつもそばにいてくれました。私が食事を取らないこともシンパして、一緒にご飯を少しでいいから食べに行こうとさあ沿ったりもしてくれました。そんなとき、バレエの先生から、精神科を薦められました。そして病院に行ったところ、拒食症と軽いうつの症状があると診断されました。私は病気になるほどひどくなっているとは思いもしなかったので、驚きました。そして、お医者さんは頑張り過ぎだとおっしゃいました。そのころはバレエが発表会前で忙しい中で部活もバイトもしていて、ほとんど分刻みのスケジュールでした。また軽いうつ症状も会って、ほとんど手が回らなくなる寸前のぎりぎりの状態でした。その中で食事もろくに取れずに過ごしていたことは今になって考えてみると不可能なことなのではないかと思うくらいです。そして私はバレエをやめて、病気を治そうと思いました。バレエをやめて余裕ができるようになると、うつの症状も治ってきて、食事も少しずつ食べられるようになりました。そしてだんだん体重も増えていきました。いつのまにか病気は治ってしまいました。途中、拒食症の反動で過食症になりかけもしましたが、今では普通に食事を取れるようになりました。治ってからは周りの人たちが元気になって本当によかったとよく言われるようになりました。。当時自覚症状があまりなかったので、周りにとても心配をかけたのだと思って、私はたくさんの人に支えられていたのだと実感しました。治って本当に良かったと思います。

 [495] 努力
 中学生  

自分


ソリューション データ:
私は国語、特に現代文に苦手意識を持ち小学校、中学校をすこし、実際にテストでは他の教科よりも点数が低かった。他の教科と同様に勉強をし、文章もしっかり読み込んでいるはずなのに、なかでも文章読解が苦手だった。大学受験を経った今考えてみると、解法に関する知識不足はもちろんだが考えすぎや深読みが原因だったのだと思う。突然だが私には5歳上の兄がいる。兄と私は仲よく、私は幼いころから兄の真似をしてきたそうで、人生の手本となっているような存在だった。高校生になって苦手な国語の事を兄に相談したところ、「え、なんで。国語なんて簡単でしょ。」と、軽く馬鹿にしたような返答が返ってきた。解決策を聞くとゆうよりも、理系だった兄もきっと国語が苦手だろう、自分と同じ思いをしてきたのだろうな、と安心感を得ようとして私は相談をしたのかもしれないが、予想外の言葉に驚いてしまった。なぜ兄はできるのだろう、兄にできるのなら自分にもできるかもしれない、と思った。そしてその後国語が得意科目になった。勉強方法は特に変えていないが意識が変わった。私が気づいたことは勉強ができるようになる方法ではなく、苦手意識をなくす大切さだ。人生で本当にできないことはいくつもあるだろうが、できないと思っていることのいくつかは苦手意識がそうさせているのだ。兄のような近い人物でなくとも同じような効果は出た。このことはこれから生きていくうえでまた何度も役に立つと思う

 [494] 自立
 小学校時代  

自分


ソリューション データ:
小学校高学年の頃、ク
ラスの中でグループ化が激しく進み、どこのグループにも所属していない子は
一人になってしまう環境がうまれた。今思い返せば、図書館で読書したり、職
員室へ行って先生方とお話したり、他のクラスへ遊びに行ったりして一人で過
ごすことも大切な時間だったのになあと思う。しかし、小学校高学年という頃
は一人でいると心寂しく、誰か友達といないと落ち着かず、周りからの視線を
強く感じてしまう時期である。なので「一人」の状況がとても辛いのである。
つまり自立できていないのである。改善策としては、一つとして時間の経過だ
ったのではと思う。ああした、こうした、という改善策はなかったなと感じ
る。担任の先生を介して友達と相談しても解決したかと言えばそうではなかっ
た。小学校6年生の卒業式近くになってくると、自立や協調性が少しずつ芽生
えてきて、誰とでも話せて一人でいても平気な状況ができた。小学校の頃は、
成長と共に解決していたかなと私は思った。

 [493] 自分のやりたいこと
   

自分


ソリューション データ:
私も、「自分は何のために生きているんだろう」と悩む時期が以前あったけれど福祉について知って自分のやりたいことを考えて、今は目標があるから悩むことも減った。アイデンティティの確立には自分のやりたいことを見つけることが有効だと思う。やりたいことを見つけるにはいろいろなことに挑戦するしかない。


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