A SPOOKY GHOST

01 アザと共に迎えた朝
目を囲むように、赤や青の混じる黒いアザが、くっきりと円形に広がっていた。

02 アザと共に迎えた朝(2)
「あたしは……やれる」深く体を曲げ、膝の上に顔を伏せたまま、つぶやいた。

03 見出される少女
「世界、目指せますよ」会長の中倉へ向き直り、挑発めいた台詞を吐いた。

04 ハルイチ
考え込む奈緒の前で、ようやく自分の名前が貼られた場所を見つけたのか脱いだ靴をしまい、歩き出した彼と目が合った。

05 ハルイチ(2)
足を踏み入れた先には、見知らぬ教師がもう一人パイプ椅子に腰かけていて、「二人共、座って」と、奈緒とハルイチを促した。

06 ハルイチ(3)
たまらず笑い出す奈緒を見て「オマエでも笑うコトあんだな」と、取り出したスニーカーを履きながらハルイチが笑顔でいい、彼女は思わず口を閉じた。

07 奈緒を語る
「春山君なら、もう来てますよ」と、美由紀が店の奥を指差す。高口は軽く右手を挙げ、一番奥まった場所にあるテーブルへと進んだ。

08 奈緒を語る(2)
「誰だってプロになるヤツは世界を目指すんだろうけど、いきなり世界戦をやるっつう前提でプロになるヤツなんか、フツーいねえよ」

09 奈緒を語る(3)
「本当です。俺とハルイチが惚れるのに、相応しいヤツです」

10 プロへの切符
女というだけで場違いと感じてしまうほどに、ジムは男熱(おとこいき)れ臭かった。

11 プロへの切符(2)
「世界戦のつもりで頑張ります」奈緒を囲む三人が一様に顔を見合わせ、吹き出した。

12 プロへの切符(3)
まるで楽勝だといわんばかりの仕草に、奈緒はそっと下唇を噛んだ。(ランナと戦うための、第一歩。だから……)

13 プロへの切符(4)
彼のことが好きだけど、と奈緒は顔を歪めて笑った。「多分もう二度と……一緒に練習することはないと思う」

14 プロへの切符(5)
奈緒は顎を引き、会長の顔を穴が空くほどに見つめたのち、「お願いします」と、硬い声を出した。

15 プロへの切符(6)
運転席には誰もおらず、助手席のシートにもたれかかったまま、奈緒はぼんやりと窓の外を眺めた。

16 プロへの切符(7)
母親がとんでもないことをいい出し、奈緒は箸を取り落としそうになった。

17 冷たい現実
「それにしても……さすがに、昨夜の試合には驚かされた」そういったきり口をつぐんだ中倉を前にし、高口も返す言葉が見つからなかった。

18 冷たい現実(2)
高口はフロントガラスを見つめ、半ば独り言のように呟いた。「あまりにもひたむきで、のめり込み方が異常だ。半分イカれているといってもいい」

19 モンスターファミリー
「娘の容体は、どうなんでしょう」と、父親は二人の教師を交互に見ながら、落ち着き払った口調で尋ねた。

20 モンスターファミリー(2)
「そんな親を持つから、お前も、遠藤も、ボクシングなんか始めたんだろ」並んで立つ原崎の顔を、ハルイチはまじまじと見つめた。

21 モンスターファミリー(3)
高口や川上と一緒に病室へ向かいながら、「奈緒の父親は」とハルイチは切り出した。

22 ランブルガール
控え室を出て、歓声が聞こえる観客席の裏に来ると、華やかな照明の当たるリングは目の前だ。

23 ランブルガール(2)
奈緒は観客へ視線を向けるでも無しに、その場で頭を下げると、自分のコーナーへ戻った。

24 ランブルガール(3)
「私には霊感が無かったようです」と松永は項垂(うなだ)れていい、「スプーキーゴーストって、不気味な幽霊って意味っすよね」と、タオルで目元を押さえた。

25 老驥(ろうき)千里を思う
念のためにと厚いコートを着てきた老人は、晴れ渡った空の下を、のんびり歩き出す。

26 老驥(ろうき)千里を思う(2)
老人は表情を変えることなく、世間話に興ずる年寄りそのままに、ぼそぼそと唇を動かした。

27 閉ざされた小さな世界
乱れる髪をかき上げ、奈緒は歩き出した。波打ち際から離れ、海岸に沿って走る国道の歩道へと上がり、駅に向かう。

28 閉ざされた小さな世界(2)
(バカみたい……)遠目にも卒業生が集まり、賑わっているのが分かる校門に通じる道を、ほとんど反射的に脇へ逸れ、裏の通用門へと回った。

29 孤高の天才
「思い上がってるんじゃない! ベテランのお前だからこそ、遠藤以上のスパーリングパートナーはいないと、分かっているはずだぞっ」

30 孤高の天才(2)
見透かされたように、安森からいわれた。「そんなことで遠藤のことを見下していたら、手痛い目に遭うぞ」

31 孤高の天才(3)
次々と乱打が飛び交い、吉山は遠藤と打ち合いながら、背筋が寒くなった。

32 ディフェンスライン
「何だか遠藤さんって、ランナ・コムウットみたい」テーブルに頬杖を突いて、天井を見上げながら吉山がいい、横で奈緒は、目を伏せた。

33 ディフェンスライン(2)
ボクサーはたくさんいるという吉山に、ハッキリといってやりたかった――ランナ・コムウット以外で、あたしに勝てる相手がいるの?

34 ディフェンスライン(3)
耳から携帯を離し、呆然としていて、「どうした?」と安森に訊かれた。

35 ランナ
ランナはプロモーターであるシルビアのオフィスに足を踏み入れた。

36 秘め事
一軍で全試合出場を果たしたというプロ野球選手の写真が、大きく掲載されていた。「篤志……なのかな」

37 秘め事(2)
「三日前、あなた外泊したでしょう」姿見の向こう側で、高橋は普段と変わらない笑顔のままだ。

38 東洋太平洋タイトルマッチ
「ふうん。運命は扉を叩く、か……そんなのを入場曲にするなんて奈緒のヤツ、カッコ良すぎるだろ」

39 東洋太平洋タイトルマッチ(2)
ハルイチは人通りの途絶えた階段に両足を投げ出し、天井を見上げながら、「誰も幽霊の正体に気が付いてねえのに」と投げやりな口調でいった。

40 東洋太平洋タイトルマッチ(3)
そうですか、と彼女はため息を吐き、ゆっくりと瞬きをした。「三禁(さんきん)を破るなんて、あたし、ボクサー失格ですよね」

41 つまらない些細なこと
郊外へ向かうバスに乗り込んだが、彼女を含めて三人の乗客しかおらず、誰ひとりとして奈緒に気を留める者もいなかった。

42 つまらない些細なこと(2)
好き勝手なことをいって無責任に笑い合う大人達から逃れるように、奈緒はそっと立ち上がり、廊下に出た。

43 つまらない些細なこと(3)
家族だからこそ、嫌でも毎日顔を合わせ、言葉を交わしてきた。それなのに父も母も妹も、親戚以上に遠く、分かり合えない存在だった。

44 ターンアラウンド
何なんだよ、と溢れ出しそうになる涙を、ハルイチは歯を食い縛って、堪(こら)えた。(ヤセ我慢も、ボクサーの勲章じゃねえか!)

45 ターンアラウンド(2)
「聞こえてる……」と横になったままゆっくり瞬きをし、「病院には行かない」と、いい切った奈緒の頬は赤味が差し、口調もしっかりしたものへと戻りつつあった。

46 ターンアラウンド(3)
ところが、ワンツーと続けて拳が宙を切り、ハルイチは瞳を見開いた。
(クソッ! 止まらねえ!)

47 ターンアラウンド(4)
「奈緒。お前さ、ボクシングが嫌いなのか?」苛立ちも露わに問い返し、隣に立つ彼女の横顔を睨み付けた。

48 明けない夜の迷子
あたしなら全部片付けて、こんな広い部屋、さっさと引き払うのに――同情のかけらも無い、冷めた考えしか浮かばず、足音がしたのを機に、彼女は部屋を後にした。

49 明けない夜の迷子(2)
「忘れてしまえ。忘れてしまえ。忘れてしまえ」と、呪文のように繰り返した。「何もかも忘れて、いつもの自分に戻れ」

50 沈黙
相手を間違わなければ、結婚して平凡な家庭を築く道が、一番合っている。それが、女の幸せというものだ。

51 沈黙(2)
「奈緒が……ウチのジムに所属している春山と、不適切な関係を結びました」高口は膝の上で、固く両手を握り締めた。

52 沈黙(3)
身分、世代、性差という壁を易々と乗り越えて、奈緒は老人へと迫り来る。幽霊に取り憑かれ、呑み込まれつつある今の状態を、老人は誰にも悟られたくなかった。

53 沈黙(4)
彼女は微動だにしなかった。なぜか両手を、胸の前で天に向けている。何か大切なものを包み持っているようだが、夕闇に紛れ、中味はよく見えなかった。

54 運命は扉を叩く
奈緒はかすかな笑みを返し、椅子からゆらりと立ち上がる。「行くか」チーフセコンドを務める男性が、慣れた様子で周囲を見回し、声をかけた。

55 運命は扉を叩く(2)
時が満ちた――『ラウンド・ワン』とアナウンスされ、ゴングが鳴ると同時に、「BOX!」と叫ぶレフェリーの声を聞く。

56 運命は扉を叩く(3)
鮮明なフラッシュバックの中にあって、自分を見下し、悪魔のような笑みを浮かべていたのは、確かにあの教師だ。しかし同時に、あの残像は、ランナの姿でもあった。


57 運命は扉を叩く(4)
真っ白に光輝くリングで、無数のスポットライトを自分は浴びているというのに、彼らは暗闇に覆い隠されたあんな場所で、いったい何をしているのか。


58 スプーキーゴーストの素顔
食べ終えた食器をテーブルの隅へ押しやり、頬杖を突きながら、うるさく独り言をいい続ける彼の声に、ハルイチは聞き覚えがあった。


59 スプーキーゴーストの素顔(2)
ハルイチは車のボンネットを力任せに叩き、怒鳴り散らした。「さっき店で、好き勝手に奈緒をこき下ろしてたけどな、見当違いも甚だしいんだよ!」


60 スプーキーゴーストの素顔(3)
水の匂いのする冷ややかな風が、すうと吹き抜けた。ハルイチは軽く身震いするのに合わせ、「橋野、さん……ボクシング、辞めたんすか」と、ぎこちない声を発した。