A SPOOKY GHOST 第二十話 モンスターファミリー(2)

 やれやれと、原崎が片腕を回しながら、話しかけてきた。
「ようやく、検査の結果が出たか」
「原セン、煙草吸っただろ」
 顔の前で手を扇ぎながらハルイチが口を尖らすと、「担任の前田先生をいったん学校へ帰したんだよ。彼を見送った、そのついでさ」と、原崎は並んで壁に寄りかかり、口の端を上げた。
「それよりか、原セン。すっげえ両親、若くなかったですか? いかにも苦労知らずな、金持ちって感じ」
「ほう。お前は金持ちだと思ったのか?」
「だってさ、あの珍しい制服を着た妹、すっげえ高いブランド物のバッグを肩にひっかけてたよ」
 良く知っているな、とからかうように原崎がいい、ハルイチは肩をすくめた。
「以前付き合ってたコに、あのブランドの財布をねだられたコトあるんだ。誕生日にさ」
「あー、お前は女を見る目が無いな」
 ははは、と乾いた笑い声を上げたのち、原崎は真面目な顔になって、いった。
「上の娘である遠藤を問題児扱いして、通っている高校が気に入らないとまでいい、下の娘は北章学園のようなお嬢様学校に通わせていると自慢する。ずいぶんとまあ、子供っぽい親じゃないか。金なんか無いね、絶対。たかが知れているよ」
「ホクショウって、ドコの学校? オレ、知らねえんだけど」
「ここから電車で二時間もかかる所にある女子校だよ。歴史があって、やたらと金のかかる……まあ世間では名の通った学校だが、大したことないさ。両親の身なりといい、遠藤をけなすような口ぶりといい、見栄っ張りなのが情けないほどに透けて見えるよ」
 よほど気に入らなかったのか、歯に衣着せぬ、辛辣な口調だった。
 ふうん、とハルイチは天井を見上げた。
「妙な親だな。オレんトコもだから、人のコトいえねえけど」
「そんな親を持つから、お前も、遠藤も、ボクシングなんか始めたんだろ」
 並んで立つ原崎の顔を、ハルイチはまじまじと見つめた。
「何だ?」
「やめてくれよ。そういうボクシングに対する、偏見みてえなの。奈緒の親父も、似たようなコトいったんだ」
「偏見か。どんな事をいわれた」
「問題のある家の子で、バカだっていわれたんだ。遠回しにね。片親で、留年なんかしている、腕っ節だけが自慢の……ボクシングをやるのは、そんなヤツだって」
「おい、おい。怒っているのは、お前に限っては図星だからだろう? 春山」と原崎は笑い出し、いきなりハルイチの頭を、ぐいと手のひらで押した。
「あのな、人はサクセスストーリーが好きなんだよ。不幸を背負っていても、なお頑張り、どん底から成功してみせたというのがな。ボクシングは、そういう話が実に良く似合うんだよ。理由なんて、いわなくても分かるだろう? そういうところが時に偏見を生むが、お前がそれを気にする必要なんて、これっぽっちも無いさ」
「サクセスストーリーか……」とハルイチは首を縮こませたまま、口元を緩ませた。
「オレが世界チャンピオンになったら、サクセスストーリーになんのかな」
 頭の上に置いていた手をどけ、壁にもたれた原崎は、「もちろんさ」と肘でハルイチの脇腹を突付き、笑った。
(世界なんて、まだまだ夢の話だよなあ)
 つい出そうになった笑いを、ハルイチは呑み込んだ。練習で、そして試合で、遠くを見据える奈緒の冷たい目を思い出したからだ。
(奈緒にとっては、夢じゃないんだ……)
「どうした?」と怪訝そうな顔をする原崎の前で、救急患者を受け入れる診察室の扉が大きく左右に開いた。ガラガラと音をたててストレッチャーが運び出され、後ろには家族が寄り添っている。
「奈緒だ!」
 身を乗り出すハルイチを原崎が制し、そんな二人のところへ、母親が小走りに近寄って来た。
「ご心配をおかけしました。CTやレントゲンの結果、どこにも異常はなかったそうです。熱が高いのは脱水症状とかで、今から三階の内科病棟へ移り、今夜は入院して様子を見ることになりました」と、原崎に頭を何度も下げ、運ばれるストレッチャーを後ずさるように追い、去って行った。
 無事で何よりだった、と何度もうなずく原崎の横で、ハルイチも胸を撫で下ろした。
「さて。三階の病室へ顔を出して、俺も学校へ戻るとするか」
 お前はどうする? と原崎から訊かれ、「高口トレーナーが来るんで、待ってなきゃいけないし、頼めば学校にも送ってもらえるから」と、返事をした。
「じゃあ、先に行っているよ。中倉ジムのトレーナーに、いっておいてくれ。できれば遠藤の担当医と話をして、本当に問題がないのか、確認するようにな」
 あの家族では今ひとつ不安だ、と原崎が去り際に小声でいい、ハルイチも「はい」と首を縦に振った。
 ひっきりなしにサイレンの音がしたが、待合室には数えるほどの人しかいなかった。ハルイチは足を投げ出して椅子に座っていたが、救急車が横付けされている『救急外来』と表示された大きな自動ドアをくぐり抜けて、高口と川上が近づいて来るのに気付くと、弾かれたように立ち上がった。
「川上さん! 何でココにっ?」
 上擦った声を上げながら川上へ走り寄り、顔を歪ませた。
「すっげえ心配しましたよっ、一ヶ月以上もジムに顔出さねえで!」
 右手はどうなってんです? と、今にも泣きそうになるハルイチの前で、川上は歯を見せて明るい笑顔になった。
「動く。心配すんな。それより、奈緒はどうなった」
「高校の先生方や、奈緒の父親もいないようだな」
 川上の横で、高口が訝しげに待合室を見渡し、ハルイチも息せき切って話し出した。
「スゴかったんです。母親が奈緒の妹を連れてやって来て、ケンカを始めちまって」
「喧嘩?」と、訳が分からないという風に、川上が片眉を上げた。
「親父さんの方が、来るのが遅いとエライ剣幕でさ。そしたら母親が、妹の学校に行ってたとか、金切り声でいい返して……原センが焦って止めに入るくらいだったんだ。そこへ、ちょうど看護婦さんが顔出して……」
「診察の結果が出たんだな?」
 高口から問い質され、ハルイチは大きくうなずいた。
「CTやレントゲンに異常は無いそうです。心配していた頭部へのダメージも無いみたいで、倒れたのは脱水が原因らしいです」
「脱水……試合によるダメージが原因じゃなく、調整の失敗ということか?」
 しばし呆然とする表情となった高口が「それで今、奈緒は?」と気を取り直したように続け、ハルイチは常に冷静で取り乱すことのない彼の、意外な一面に触れた気がした。高口にとって、それだけ奈緒は特別なのだと分かり、張り合うつもりもないのに、どこか気負って話を続けた。
「一晩入院して様子を見るからって、三階の内科病棟に移されました。奈緒の担任は学校へ戻ったんだけど、原センは今、ソッチの方にいます」
「ご両親や妹さんも、三階にいるんだな」
「いるには、いるだろうけど」と、さっきまで待合室にいた奈緒の家族を思い出し、ハルイチは声をくぐもらせた。
「すっげえ、変な家族ですよ……昨日、奈緒が試合だってコト、知らなかったみたいです」
「ひでえ親だな」
 川上が吐き捨て、高口はため息混じりに「とにかく、内科病棟へ行こう」と、ハルイチの背中を軽く叩いた。