A SPOOKY GHOST 第十九話 モンスターファミリー

 奈緒の父親が姿を現したのは、ハルイチが元ボクシング部顧問の原崎と、病院へ駆け付けた直後のことだった。奈緒に付き添って、一足先に病院へと到着していた担任の教師と合流した原崎が、待合室で話し込んでいる最中、「戸波高校の先生ですか?」と不意に話しかけて来たのだ。
 奈緒に似た面持ちの、長身で細身な男性だった。紺色のスーツをセンス良く着こなし、伸ばした前髪を緩く後ろへ流している若々しい、隙のない外見が、逆に神経質な印象をも人に与える。
「娘がいつもお世話になっております。遠藤奈緒の父です。この度はご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません」
 深々と頭を下げ、「妻とも連絡が取れました。間もなく来ると思いますが、娘の容体は、どうなんでしょう」と、父親は二人の教師を交互に見ながら、落ち着き払った口調で尋ねた。
「救急隊員の方が意識や血圧などをチェックして、とりあえず命に別状は無いようだと判断したんですが、倒れた際に頭を打った可能性がありますし、若干熱も高いようなので、こちらに運んでいただきました。今は細かに検査をしているらしく、病院からはここで待つよう、いわれています」
 原崎が学年主任らしく、てきぱきと状況を説明し、「それにしても、昨夜は試合だったそうですね。学校側としては、今日くらいお休みされてもかまわなかったんですよ。奈緒さんはほとんど欠席の無い、成績も優秀なお子さんですから」と、父親の反応を試すかのようにいった。
 優秀ですか、と父親は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「中学入学時は、学内でも一番や二番というような成績でしたからね。それが、学年が上がるにつれてサボり癖は付くし、先生には楯突くし。お陰で内申書に問題があるとかで、戸波高校なんかを受験する羽目となり、親としても恥ずかしい思いをしました」
 原崎と奈緒の担任は、互いに顔を見合わせた。お世辞にも優秀な生徒が集まっているとはいえない戸波高だが、恥ずかしいとまでいわれると、身も蓋もない。遠巻きに話を聞いていたハルイチにしても、あまり良い気分ではなかった。
「おまけに、ようやく真面目に学校へ通うようになったと思ったら、これですからね。どこまで親に迷惑をかければ気が済むのか、腹立たしいですよ」
「ご立腹は尤もです。ただ、今は娘さんの体を気遣って、そう責めないでやってもらえませんか?」
 昨夜の試合は大変なものだったらしいし、と原崎がハルイチを見やり、父親は彼を上から下まで無遠慮に眺めた。
「当校の生徒で、三年生の春山一朗君です。奈緒さんと同じ中倉ジムに所属しているプロ選手で、二年生の時は同じクラスだったんですよ。昨夜も後楽園ホールへ応援に行って、彼女の一生懸命な姿を一部始終、見ていました」
 何の変哲もない詰め襟の学生服姿で、特にだらしなく着ている訳でも無いのに、奈緒の父親はハルイチを見て、わずかに顔をしかめた。「いつも仲良くしてくれて、ありがとう。応援にも感謝しています」と短く礼だけをいい、顔を背けたかと思うと、待合室に並ぶ椅子へ腰掛けてしまった。
 どう返したらいいのか戸惑うハルイチへ「春山も座って待っていなさい。もうすぐ中倉ジムの人も来るだろうから」と原崎はいい、奈緒の担任と連れ立って、待合室を出て行った。
 ハルイチはいわれた通り、奈緒の父親から離れて、椅子に座った。頭をがしがしと掻き、開いた両足の間から、落ち着かない気分で床を見つめる。
「春山君といったね」
 顔を上げると、いつの間にやって来たのか、奈緒の父親が横からハルイチを見下ろしていた。
「奈緒とは仲がいいのかな?」
 突然の質問に驚きながらも、「ええ、まあ」と曖昧にうなずき、「毎日、一緒に練習してますから」と取り繕うに答えた。
「まさか、付き合っているとかじゃないよね」
「えっ?」
「君と二人で、どこかに出かけていたりするの?」
「ありえません。オレ達、ボクシングで手一杯だし」
 ハルイチは迷うことなく、即答した。
 奈緒とは登下校を共にしているし、学校では半ば恋人同士のように見られている節もある。けれども彼女は、高嶺の花というより、触れてはならぬ禁忌の花だ。下手にちょっかいを出して、練習という名の元にボディーブローを何度も打ち込まれたり、クソ重いメディシンボールを吐くほど腹に落とされたりしてはたまらない。
 ハルイチのため息を余所に、「そうか。春山君はボクシングを始めて長いの?」と父親はさらに訊いてきた。
「高一の時からだから……三年半、になります」
「三年半か」
 いったんはうなずいた奈緒の父だったが、やがて眉間にシワを寄せ、「計算が合わないな」と、ひっそり口にした。
「あ……オレ、二年生を二回やってんです」
「二年生を二回? 留年したのか」
 はい、とハルイチは屈託無く返事をした。いちいち外聞を気にして卑屈になるのは、彼の信条に沿わない。 
「理由を聞いてもかまわないかな」
「えーと……出席日数が足りなかったんで」
「どうして? なんで、そんなに休んだりしたの?」
「まあ、家庭の事情です」
「家庭の事情って?」
「母が入院して、家がゴタゴタしたもんで」
「病気かい? まだ、入院しているの?」
 その手の質問をされることには慣れていたが、奈緒の父とはいえ、今日初めて会った人間が相手だ。性急に答えを求められ、ハルイチもさすがに気分を害した。
「死にました。もう一年以上も前に」と、気がつけば、険のある目で父親を見返していた。
「それは気の毒だったね。でも、片親で留年までしている君のような子が、やっぱりボクシングには向いているよ。ハングリー精神が求められるスポーツだろうから」
 同情していながら、どこか的外れで、蔑むような口ぶりだった。
「でも、奈緒は平凡な、普通の家の子で、しかも女の子だ。小さい頃から変わってはいたが、君のような腕っぷしだけが自慢の男達に混じって殴り合いをするなんて、馬鹿げている。今回のことで、十分わかっただろう。あの子には、そもそもスポーツで成功できる素質なんて、ないんだよ」
 耳を疑い、反論しようと口を開きかけたハルイチの、制服のポケットに入れていた携帯が鳴った。
 着信音で高口からだと分かり、慌てて電話に出た。病院に向かっていると聞き、大まかにこれまでの経緯を説明したが、横で奈緒の父親が耳を澄ませているような気がして、落ち着かなかった。
 誰かそばにいるのか? と電話口の向こうから高口に訊かれ、何気ない振りをして席を立ったハルイチは、待合室の隅で壁に寄りかかった。
 奈緒の父親が来ていると小声で打ち明け、「オレ、ちょっとココに居たくないです」とぶちまけた。
 高口が何をどう感じ取ったのか、電話越しでは分からなかったが、何を訊かれても黙っていろというような助言をされてうなずき、電話を切った時だ。
 目立つ容貌の女性が、見慣れない制服を着た女の子を連れて、救急外来の待合室へとやって来た。奈緒の父親は彼女へ詰め寄り、「何をやっていたんだ! 遅いじゃないか!」と、烈火の如く怒り出した。
「こっちは大事な会議の最中だっていうのに、お前と連絡がとれないからと、呼び出されたんだぞ!」
「いったじゃない、今日は千登勢の個人面談だって! 朝から北章に行っていたのよ。ねえ、それよりもお父さん! 今日、千登勢に高等部入学の内定が下りたのよ。褒めてやって頂戴!」
 女性は怒鳴られてもどこ吹く風といった様子で、傍らに立つ女の子の肩を抱き寄せると「良かったわねえ」と、さも嬉しそうに笑顔でいった。
「何を馬鹿な事をいっているんだ。高い授業料を払っているんだぞ! そんなの当たり前だろう!」
「大きな声を出さないでよ! みんな、見てるじゃない……」
 決まり悪そうに周囲を見回す女性が奈緒の母親だと知り、ハルイチは目を見開いた。綺麗に巻かれた長い髪といい、派手な化粧といい、奈緒の妹らしき女の子と並んでいると、まるで年の離れた姉妹のようだ。着ている服が地味な黒のスーツでなければ、とても母親には見えない。
「そんな事よりもな、奈緒が昨日試合だったなんて、俺は一言も知らされていなかったぞ」
「えっ? 何よ、試合って」
「知らなかったのか? どうして学校を休ませなかったんだと、先生から遠回しに非難までされたってのに」
「だってあの子、何にもいわないんだもの!」
「それでも母親か? 少しは心配してやれ」
「心配も何も、昨日の朝から一度も顔なんて合わせていないもの!」
「ふざけるな。奈緒は進路も決まっていないんだろう? どうするんだ、あと三ヶ月もしたら卒業なんだぞ」
「ボクシングを続けるなら、何とかなるでしょ! お金だって、貰えるんだし」
「本当に馬鹿だな、お前は。食っていけるだけの金なんて、稼げる訳ないだろう!」
「稼げるわよ! 現に前の試合の時は、三十万も家に入れてくれたんだから!」
 何の話だと、咄嗟にハルイチが足を踏み出そうとした時、「何をやっているんですか。ここは病院ですよ」と、戻ってきた原崎が二人の間に割って入った。
「お母様もいらっしゃったんですね。こちらはお姉さんですか?」
 たしなめる口調から一転して優しく尋ねる原崎に、奈緒の母親は「いえ、下の娘です」と興奮を静めようとしているのか、勿体ぶった声を出した。
「北章学園の中等部に通っているんです」
「初めまして、先生。遠藤千登勢と申します」
 不気味なほどに沈黙を保っていた娘はぴょこりと頭を下げ、如才なく挨拶をした。チェックのスカートを揺らし、肩の長さで切りそろえた艶やかな黒髪を掻き上げる仕草は大人びていて、原崎が奈緒より年長だと勘違いしたのにも納得がいく。
(変な家族だな)
 呆気にとられるハルイチの前に、看護師が現れた。「遠藤奈緒さんのご家族の方、いらっしゃいますか?」と、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアの内側から、待合室へ向かい、声を張り上げる。
「はい、ここに」
 父親が振り返り、「検査の結果が出ました。先生より詳しいお話がありますから、中へお入り下さい」と、看護師は奈緒の家族を招き入れた。
(何なんだよ。気持ちわりい……)
 扉が閉まるのを見ながら、奈緒の家族が交わした不可解な会話に、ハルイチは半ば訳が分からなくなっていた。