九月半ば、まだ夏の日ざしが残っているこり、私の一通の手紙が届いた。
差出人は知人のO氏からで、中には愛知県韮山(にらやま)友の会会報の創刊号とともに、私への講演(?)の依頼状が入っていた。いぶかしんで、早速O氏のところへ電話すると、「同じ障害を持つものとして、何か話をしてくれれば」と言われる。私も障害者なので、たどたどしい話しかできないが、それでもよかったらと、とにかく約束をして電話を切った。
話したいことはたくさんある。ただ、相手の人々にそれがうまく伝わるかどうか……。大きな責任を感じながら、また一方、私としては、自分の身内に会いに行くような、ある親近感をいだいたことも事実だった。
愛知県韮山の会は、言語障害者で作っているサークルである。リハビリの一環として、病院や地域の先生を招いて会合を開き、日ごろの悩みや不安を話し合い、励まし合っているという。その会長であるO氏は、数年前、仕事中に倒れられた。幸いにも体の方は回復したが、言語に障害が残った。
同じような障害でも、身に振りかかった重みに、心身ともに萎縮してしまう人もあるが、O氏のように障害をバネとして逆に困難に立ち向かってゆく人もいる。会員が七、八十人もいるこの会をまとめて、皆の先頭に立って働いておられる。
人と人とを結ぶ言葉。その言葉がうまく話せない、ということほどつらいことはない。
平静な時にはゆっくりとではあるが話すことのできる人でも、いざというとき全然相手に通じない場合もある。そういう時の健康な相手の持つ不審、侮蔑の表情。そしてこちらのいらだたしさ、情けなさ、深い劣等感。つい我を忘れて拳を振りあげる人もあれば、また反対に悲しみの中にうずくまってしまう人もいる。
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しかし、一番辛いのは「職につけない」ことであろう。O氏の話によれば、会員たちは年金を受けている者、受けることのできない者など、さまざまであるが、親戚の世話や妻の働きで生活してういる人が多く、中には妻に子供に置き去りにされて離婚、というケースもあるという。そんな話を聞いていると、いったいこの無力な私に、どんな「話」ができるだろうと思ってしまう。
逆に障害者になって見いだすのは、人の優しさでもある。健康な人の、心ない一言で傷つく身には、見知らぬ人のちょっとした心遣いにもひかれる。その中に、もまれてゆきながら、障害者は人間としての優しさを自ら見につけてゆく。「ほんとうにいい人ばっかりなんです」。電話の向こうで、O氏はしみじみと話された。
韮山友の会では音楽の先生を囲んで、コーラスの会を作っている。もちろん発声の練習が、治療に役立つために生まれたのだろう。力強く発声し、譜面をたどるうちに、その歌は心の歓びに変わってゆくのだ。
私はもう一歩進めて”もの”を創る歓びを知ってもらえたらと思う。絵を描く人、詩を作る人、陶器をひねる人。熱中すれば心と身体にとって最高のリハビリになることと思える。そしてまた、障害者でなかったら、恐らく味わえなかった深い愉しさ。それを一人ひとりが持つことができたら、どんなにいいだろうか。
カレンダーの、十月の終りに近い日曜日に、私は赤鉛筆で◎をつけた。うまく声が出るかどうか少し不安だけれど、期待にふくらんだ二重丸である。
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