表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
ある風景


 時々、名四国道を行き来する機会がある。ちょうど道路が四日市市の町にはいってゆく地点から臨む夕暮れの風景、これはちょっとしたものだ。薄暗い中空のあちこちに燃えているガスの赤い炎。たくさんのタンクやパイプで作り上げられた、林立する金属の巨大な塔。それらはまるで自ら白銀色の炎を放っているかのように輝きながら、どんよりした空を圧している。一種異様な迫力をもつ、非情な美しさである。一瞬私たちは、それが有名な石油工場群であるのも忘れ、どこか見知らぬ遊星の、未来建築を見ているような錯覚を起してしまう。だがまもなく私たちは、その白銀色の未来建築が低くヤミの中にはいつくばった一面の黒い層の上に築かれているのに気がついて、何か後ろめたい複雑なさびしさに襲われる。その黒いものは人々の住む家並なのだ。
  空の明るさに比べ、家々は暗い。おびただしいススのようなものが、むっと暑い露路のスミにまで入りこみよどんでいる。とざされた窓の中で、人々はこの暑い夜をどのように過ごしているのだろう。今まで気づかなかった悪臭が不意に鼻をつく。そうだ、これがここの本当の風景なのだ。そしてこの風景の主人公はいったい人間なのか、それとも工場なのかと考えてしまう。もはや私にとっては、これは憂うつな風景でしかない。

 

(『朝日新聞』63年9月6日)