表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
花火の思い出


 夏、といえば、この土地ではやはり、花火である。
  夏祭りが近づくと、長雨のあがった川原のまぶしい草の間で、新しいさじき作りの仕事が始まる。電車の駅に張り出してある花火大会のポスターが、急に大きく鮮明に見えてくる。私は小さい姪たちに電話をかける。「今度の花火、来てくれる?」姪たちはこの日の私の大事なお客さんなのだ。
  その日、あらかたの掃除をすませ、ごちそうを用意して客たちを早くから待ちながら、大人はもう遠くなったいくつかの夏の夜をふと走馬燈のように思い出していた。
  私がちいさいころ住んでいた松阪の櫛田川では、川開きに毎年花火祭りが行われていた。
  川開きというから七月の初めことであったろう。その日になると私は祖母やおばたちといっしょに二階の手すりに座ぶとんを持って陣とりにゆく。陣とるといっても、川べりの私の家と花火の上る両群橋とは五キロも離れていたから、打ち上げの小さいのがかすかにポンと、それも忘れたころに上るだけである。
  けれどもそれは、私たちの夏の大きな楽しみであった。スイカやラムネ水などがふんだんに出るのも魅力だった。現場の熱気や祭りのもっているはなやかなふん囲気はなかったけれど、遠い花火にはそれなりに趣があって、私の小さい夏をやさしくいろどっている。
  花火の思い出は岡崎に来てからより豊富になる。運よく抽選で当たった県営住宅は、花火が打ち上げられる菅生川のすぐそばだった。それも四階であったから、遊びにきた友達から「花火のために家を借りたんじゃない?」とからかわれたりした。窓からでも十分に見えたのに、祭りの夕方には私たちはわざわざ屋上にのぼった。七時になると打ち上げが始まる。花火はちょうど真上に上った。
  くらい夜空の高みに光は大きく開き、あたり一面をおおうように広がった。今まで私の脳裏に刻みこまれていた田舎のそれとはけた違いに大きく、豪華である。長男はまだ一歳にならなかったが、「ハナビ、ハナビ」と舌たらずの声で叫びながら、その巨(おお)きさを示してくれるように、何度も両手を上に大きく開いてみせた。


  何年かたって、私たちはこの辺の高台に小さな家を建て、移り住んだ。まわりには何もない。ガスもなく水道もなく、ただ風の吹く林と草っ原である。三日程したころ、朝早く大きな音で目を覚ました。今しがた家が地震にあったような感じであった。子供が泣き出した。急いで庭に出てみると東隣の地所に人が立っていたような形跡がある。煙がぼうと出ている。私たちは不安になった。
  しばらくたつうちに事の次第がわかってきた。私の家から少し離れた町なかで五日おきに朝市が立つのだが、爆音はその市を知らせるための花火だったのである。近くに私たちは住みついたからだろうか、この煙火の打ち上げはその後一ヶ月位で中止になってしまったけれど、花火は美しい光をみせるだけのもの、とばかり思っていた私は、今も生きているのろしをまのあたりみて、はからずも古い生活の知恵に出あった気がしたのだった。
  あのころからもう二十一年になる。その間この高台の家に、いろいろな人たちが夏の夜の空を楽しみにきてくれた。主人や私の父母や兄妹はもちろん、家を建ててくれた大工さん、花火の御礼にと小さなお皿を下さった陶工夫妻、たくさんの同僚やお友達……。近ごろとみに忘れっぽくなった私だが、それでもこの宵のお客はふしぎに覚えているものである。私の心の中で、お客たちはいつも昔のままの姿だけれども。
  姪たちはもう来るころだろうか。私はまた表へ出てみる。
  日はまだ照っているのに、戸外は熱っぽい祭りの宵を、もうどこかにきざしはじめている。

(『朝日新聞』80年7月26日)