十一月になると、あたりの空気が澄んで、朝夕はことに冷たく感じられるようになった。
庭に咲いていた花もすがれ、夜鳴く虫もいつか絶えている。垣根に植えた柾(まさき)や山茶花(さざんか)以外にほとんど庭木のない私の家では、外壁にはわせ蔦(つた)だけが唯一の色づく樹木である。
蔦といえば、家からはほぼ三百メートル西の小高い丘に、浄水場の塔が建っている。数年前までは、この塔は美しい蔦でおおわれていた。塔は昭和八年に建てられたというから、蔦はもう四十年以上も生えていたことになる。何となくエキゾチックな風貌をもつこの塔を、蔦はびっしりと埋めつくして、それは見事だった。夏の青い蔦もうっそうとして心がひかれたが、何といっても今ごろの蔦紅葉がさまざまな紅と光で楽しませてくれた。
遠くから見るばかりでなく、私たちはこの塔によく遊びにいったものだった。長いらせん階段を上って塔の真上から下をのぞくと、暗い円形の塔の中に満々とした水が静かにたたえられている。上の天窓からは明るい光がさし、空が見え、雲が見え、紅や黄色の蔦の葉が風にひらひらしながら見え隠れしていた。
ある事件があって、突然この塔に厳重に鍵がかけられてしまったのは、確か四年前である。それからまもなく、塔のまわりは大掃除され、むざんにも蔦は一日のうちにはぎとられてしまった。
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翌朝、私はのっぺら棒の塔を見て茫然となった。惜しいなどというものではない。何か大切なものを失ってしまったという気がした。あの蔦の、壁をはっていた小さな足を目に浮かべた。それらはしっかりと、もう何十年も壁にへばりついて生きてきたのだ。失った大切なものとは、私の感傷ではなく、何十年の月日だったのではないか、そう思ったのである。
蔦の出てくる小説で有名なのは、O・ヘンリーの「最後の一葉」がある。瀕死の少女が、窓の外で雨に打たれている蔦の葉を見つめている。一夜あけて翌朝、落ちると思われた最後の蔦は、実はある老画家が少女のために雨の中で絵の具で描いたものだった。画家は病気になり死んでゆくのである。
小説にはいろいろな書き方があるだろうが、恐らくこの作家は最初に蔦の葉をみて、ヒントを得たのではないかと思う。十一月の蔦には、ポプラにも紅葉にもない、ある存在感があるのだ。強い風雨には飛ばされてしまうような、かよわい、だが何度枯れても、またどこかで吹きだしてくる生命力のようなものが。
私はまた浄水場の塔を見た。ちょうど西からの太陽の光が、塔を逆光に浮き立たせているところだった。だが根元をざくりと削りとられた蔦の木は、どうあがいても二度と芽を出しそうになかった。
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