私がまだ女学生だった頃、というのですから、考えてみればもうずいぶん前のことになるでしょう。
そのころは自転車などは学生にはぜいたくな乗物でしたから、登校には四十分を速足であるいて相可口という小さな駅から汽車にのり、三十分で着くとあとの四十分をこんどは店の時計を見ながら駈足で学校へ走るのでした。
お天気の時はいいのですが、雨降りの時はほんとうに困ってしまいます。大小のさげかばんにそろばんの袋をはみださせ、その上に傘をもって汽車の連結機の間に必死で推しこまれているのですから。
そのかわり帰りは大抵雨があがって、殊に土曜日にはただ何となく嬉しくて、汽車を下りると遠道の堤防を川づたいにゆっくり帰るのでした。
提にはいろいろの夏の雑草が生い茂っていました。かやつり草、かんぞう、いたどり、くわくさ…その中でからすうりが大きな実をつけているのが遠目にもわかりました。
雑草に半ば埋もれた桑畑では実がなっていました。かばんを土手の裾におき、人がいないのを幸い下の畑へおりてゆくともう目の前のがまっ黒に熟していて、一口、二口そっとけれど夢中でほほばるのです。夏服の白い衿が汚れないように気をつけながら、食べる桑の実はわずかに甘くて、小さなひげが舌にかすかに残るようで。つよい夏草の草いきれといっしょに私が記憶しているのは、きっとそんな実の淡い消えてゆく甘さなのでしょう。
雑草の中にはよく夏ぐみが実をつけていたのも覚えています。よく熟れたのでないとえぐっぽい味がしますが、それはどこでも生えどこへでも捨ててあって、いかにもだだくさな初夏の感じがするのでした。
それとは反対にゆすらうめは、ぐみの実のえぐっぽさはなくていかにも品のよい実という気がします。
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川の方から疲れて帰ってくると石塀の下にいっぱい生えていて、紅や黄に美しくいろづいているのが見えます。そういえばいつだったか、実をさるにいれた小さな娘がはいってきて「売る」というのです。「うちの裏にいっぱいあるから」というと、だまって帰っていきました。きっと戦争中だったのでしょう。ゆすらうめの実だけを売るなんて、きいたことがありません。娘のわらぞうりのうしろがすり切れそうになっていたのを、何故か思い出します。
思いだすといえば六月には梅の実があります。たった一本だけの木ですが、昨年までは私の家の垣根ごしの空地にその実がみられたものです。隣りから大きくはみ出る花や実の枝は、無責任だからでもあるでしょうか。その色や香を楽しむたびに何か得をしたような気になったものでした。一年ごとに実の実るときとよく実らない年があって、「空つゆかしら」と天気をうらなったりしました。
持主がたまにとりにくる時もありますが、まったく姿をみせない年もまります。つゆもすぎ、いつか七月になって黄色くなったのがばたばたと落ちます。ぷんと甘い香りがしめった草むらにただよいます。
でももうそういう事もなくなりました。その一本の梅はブルドーザーのかげにかくれてあっというまにみえなくなったからです。あとでいってみるとちょうど実のおわったあとで、固い木の皮がわれて、わずかにさけていました。
実の方は二七(ふな)市で私たちは買ってきます。今年は安いからといわれると、「あ、生り年だな」と思います。しそを一しょに乳母車にいれて買ってゆくのは年よりが多く、若い人は梅酒を専らつけるようです。この頃はしょうちゅう、氷砂糖も一しょに売っていて便利といえば便利になりました。
つけ終って納屋にしまい、ほっと一息ついていると、けさは晴れまだった空がまた曇ってきました。
六月の雨の傘が濡れたり乾いたりしているうちに、いつか野も山もすっかり夏になってしまっているのです。
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