たった今、電車が出たあとなのでしょう、プラットホームにはだれもいませんでした。
ホームには、午後の強い日ざしがいっぱいにさしていました。くらくらと目まいがするほどでした。時間表をみると、次の電車まであと四十分あまり、私は日陰のいすを見つけて、腰をおろし、手提げから読みかけの文庫本をとりだしました。
私は月に二回ほどこの電車を利用します。六つ先のさる小さな駅に下りて、その町の医院に通うためなのです。二週間に一度のビタミン注射を打ちにいくだけの、いってもいかなくてもいいようなこの通院でしたが、この週末の遠出を私は何となく気にいっていました。四十分に一度の鈍行に乗って行き来する小さな旅、その短い旅の思いが、日々のいらいらした時間を解き放ってくれるような気がして、私はほっと自分をとりもどすのでした。
電車はことんことんという、まさに電車の”音”をさせて走っていきます。何の変化もないただの平坦な道を。駅のまわりの家々がなくなると原っぱがつづき、また小さな家々。曲がり角がくると電車は大仰に地響きをたてて曲がるのです。
私はいつも一番前に座りました。そこにいると風が下から吹きあげて、ことんことんという音のたびに自分の顔が洗われる感じで。すると前の風景画一瞬ごとに新しくなるとうな気がするのでした。
やがて小さな森が見えてきて、駅に停車するために電車は速度をおとします。「特急が少し遅れていますので少々お待ち下さい」とアナウンスされ、電車は駅にしばらくとまって待つのです。
人々は慣れているのでしょう、当たりまえの表情で、眠ったり子供をあやしたりしていました。本をまた手提げからとりだしながら、私は、どこかへゆくために電車を利用するのではなく、電車にのるために、そして待つためにのるのだと思うのでした。
|
そのとき、子供を二人つれたおじいさんが入ってきました。子供たちは乗る前から興奮ぎみで、入るなり「いちばんまえ」「いちばんまえ!」と叫びました。一人は保育園にいっているのか、水色のエプロンを着ています。一人はまだ小さく、ふぉちらも男の子なのです。席はあちこちに空いていたのですが、一番前は私が座っているのでさすがに遠慮したのでしょう、てすりにつかまったまま、飛び上がって前を見ました。「どいで動かん?」と口々にいい、次の瞬間にはもう反対の方向にかけ出しているのでした。水色のエプロンが揺れて大小二つの頭が向こうのドアに消えると、同時に電車の昇降口が締まりました。特急が鋭い擦過音をたてて通過しました。そして鈍行電車も、またことんことんと動きだしました。
おじいさんはいつか眠っていました。まわりの人たちも。六つめの駅についたとき私はもうさっきのことを忘れていました。
何人かの人にもまれて出口の方へ歩き出した時です。かん高い声が聞こえて皆ふりむきました。ホームにさっきの小さい方の子が、うっかりおりてしまったらしく泣いていました。そして今にも動き出そうとする電車を、大声をあげて叫びながら追いかける駅員がいました。ほんの一瞬の出来事でした。電車は少し前にとび出してとまりました。おじいさんの手が泣きじゃくる子供を大急ぎで電車にいれるのと電車がまた動き出すのと、ほとんど同時だったのでしょう。電車は何事もなかったように、また炎天の道をことんことんと走っていったのです。
「このあいだ後ろ姿をみたんですけど、東京へでもいったんじゃあありませんか」幾日かたって女友達にいわれました。「あ」私はすぐこの間の事を思い出したのですが、その答えは急には出ませんでした。あの鈍行電車で、東京などよりもずっと濃い旅の経験をしたなんて、だれも信じてくれそうもありませんでしたから。
|