表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
六つめの駅


 たった今、電車が出たあとなのでしょう、プラットホームにはだれもいませんでした。
  ホームには、午後の強い日ざしがいっぱいにさしていました。くらくらと目まいがするほどでした。時間表をみると、次の電車まであと四十分あまり、私は日陰のいすを見つけて、腰をおろし、手提げから読みかけの文庫本をとりだしました。
  私は月に二回ほどこの電車を利用します。六つ先のさる小さな駅に下りて、その町の医院に通うためなのです。二週間に一度のビタミン注射を打ちにいくだけの、いってもいかなくてもいいようなこの通院でしたが、この週末の遠出を私は何となく気にいっていました。四十分に一度の鈍行に乗って行き来する小さな旅、その短い旅の思いが、日々のいらいらした時間を解き放ってくれるような気がして、私はほっと自分をとりもどすのでした。
  電車はことんことんという、まさに電車の”音”をさせて走っていきます。何の変化もないただの平坦な道を。駅のまわりの家々がなくなると原っぱがつづき、また小さな家々。曲がり角がくると電車は大仰に地響きをたてて曲がるのです。
  私はいつも一番前に座りました。そこにいると風が下から吹きあげて、ことんことんという音のたびに自分の顔が洗われる感じで。すると前の風景画一瞬ごとに新しくなるとうな気がするのでした。
  やがて小さな森が見えてきて、駅に停車するために電車は速度をおとします。「特急が少し遅れていますので少々お待ち下さい」とアナウンスされ、電車は駅にしばらくとまって待つのです。
  人々は慣れているのでしょう、当たりまえの表情で、眠ったり子供をあやしたりしていました。本をまた手提げからとりだしながら、私は、どこかへゆくために電車を利用するのではなく、電車にのるために、そして待つためにのるのだと思うのでした。


  そのとき、子供を二人つれたおじいさんが入ってきました。子供たちは乗る前から興奮ぎみで、入るなり「いちばんまえ」「いちばんまえ!」と叫びました。一人は保育園にいっているのか、水色のエプロンを着ています。一人はまだ小さく、ふぉちらも男の子なのです。席はあちこちに空いていたのですが、一番前は私が座っているのでさすがに遠慮したのでしょう、てすりにつかまったまま、飛び上がって前を見ました。「どいで動かん?」と口々にいい、次の瞬間にはもう反対の方向にかけ出しているのでした。水色のエプロンが揺れて大小二つの頭が向こうのドアに消えると、同時に電車の昇降口が締まりました。特急が鋭い擦過音をたてて通過しました。そして鈍行電車も、またことんことんと動きだしました。
  おじいさんはいつか眠っていました。まわりの人たちも。六つめの駅についたとき私はもうさっきのことを忘れていました。
  何人かの人にもまれて出口の方へ歩き出した時です。かん高い声が聞こえて皆ふりむきました。ホームにさっきの小さい方の子が、うっかりおりてしまったらしく泣いていました。そして今にも動き出そうとする電車を、大声をあげて叫びながら追いかける駅員がいました。ほんの一瞬の出来事でした。電車は少し前にとび出してとまりました。おじいさんの手が泣きじゃくる子供を大急ぎで電車にいれるのと電車がまた動き出すのと、ほとんど同時だったのでしょう。電車は何事もなかったように、また炎天の道をことんことんと走っていったのです。
  「このあいだ後ろ姿をみたんですけど、東京へでもいったんじゃあありませんか」幾日かたって女友達にいわれました。「あ」私はすぐこの間の事を思い出したのですが、その答えは急には出ませんでした。あの鈍行電車で、東京などよりもずっと濃い旅の経験をしたなんて、だれも信じてくれそうもありませんでしたから。

(『中日新聞』74年9月14日)