あれはもう、四つも五つもむかしのことでございます。深い川でさえ、永い年月のうちには姿を変えると申します。わたくしの話も、どこまでがまことやら幻やら、見分けのつかぬままに色あせてしまいました。何もかもが滅びて果かなくなりましたのに、わたくしだけがこうして生き長らえておりますのを、因果なことと恨む心も今はございませぬ。もしかしたら、わたくしの仲に生きていますのは、亡き娘のお姿だけ、お声だけなのかも知れませぬ。この目もいまは何も見えなくなりました。見えているものといえば、あの菅生の流れでございます。あのときのままに、いまも白く波立っているのでございます。
それは承安四年、如月も末の頃でしたろうか。どこからともなく、梅の香のするおだやかな宵でございました。
その頃、わたくしは矢作の長者、兼高さまの御屋敷に御奉公いたしておりました。兼高さまにはお一人娘はあり、浄瑠璃姫と申されました。わたくしはその姫のお側仕えをしていましたのです。
姫さまは美しい方でいらっしゃいました。まっ白なお肌、艶やかなおぐし、すきとおる鈴のお声、と申しても言葉はどれもただの写しにすぎませぬ。まして十六になられたばかりでございました。淡い小袖のとき色も愛らしく、お琴の上にお顔をうつぶけると、黒髪がはらりと肩にかかりました。
まるで絵草子のとうな、とだれもが申したことでございます。
その宵は広縁の障子を半ば開かせて、お琴を弾いておられました。琴爪をつけたお指から、静かな音いろがこぼれはじめて、さてどれくらい経ちました頃か。ふと気がつくと、絃の調べを縫うて、りょうりょうと流れてくるひとすじの笛の音がございます。琴の音を追うかのごとく、音に和するかのごとく、りんと臆せぬ響きはただびととは思えませぬ。思わず顔を上げて闇を窺いましたが、何も見えませぬ。ふしぎなことと囁きあうまも笛の音はいよいよ高く冴えていざなうかのよう。魅入らるるとは、あのようなときをいうのでございましょう。いつか笛は琴を呼び琴は笛を呼んで、二つの音はたがいに寄り添いもつれながら、宵闇を流れました。
曲は想夫恋でございました。忘れもいたしませぬ。思えば奇しい縁というべきでございます。
その夜しばらくしてお屋敷にお泊客がございました。離れの方からそっと窺いますと、植込みをすかして門のあたりに、馬を引いた人影はぼんやり見えました。旅姿は二人連れのようす。一人は物なれた仲買人風、いま一人はやや小柄の細づくりにて、灯の下にみえる色白の顔は、思いがけず少年の面影でございます。どことない気品にふと思い当たり、冗談めかして、
「笛の主かもしれませぬ」
と、申し上げると、
「ほんとに?」
と端に出てそっとごらんになりました。
それが姫の、義経様をおみかけになった最初でございました。
源氏の御曹子、九郎義経さまについては、今更申し上げることもございますまい。悲運の御方でしたが、当時はまだ十五才、牛若さまと申し上げた頃でございます。御父義朝さまのなくなられたあと、御母上とも生き別れ、鞍馬山に篭られて十三年とか。この二月ひそかに山を脱け出して、道に明るい金売吉次を従者に、はるばる陸奥は藤原秀衡さまのもとへ赴かれる途上のことでありました。
近くでお見かけする義経さまには、少年の初々しい中にも、どこか不敵な大胆さと申しますか、野育ちの気品とでもいうようなものがございました。琴の音に誘われて一夜の宿を求めるといのも、そういう物にとらわれぬ自由なお心のゆえでございましょう。
あくる日お二人がどのようにしてお言葉を交わされましたか、わたくしどもにはわかりませぬ。ただ御着替えのお仕度をしておりましたとき、姫さまの深く合わせた胸元の、かたくふくらんでいますのを、ふと眩しいものに眺めましたのを覚えております。なにか胸さわぎがして、申し上げようとして、申し上げられなかったのを覚えております。
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「やはりあの方でしたって」
姫さまはそんないい方をなさいました。
弥生も十日のうちは夢のように過ぎ去りました。矢作の里は桃の花、川を下るひなの小舟に櫓の音。それから朝市へ急ぐ商いの女たちの叫び声でございます。土の匂い、日なたの匂いが、柔らかな春の陽に混ざり合って、屋敷のうちまで入ってまいります。
そののどかな日々に、姫さまは恋をなさいました。日いちにちと、いよいよお美しく、花の開くようでいらっしゃいました。御曹子のお心も、浅かろうはずはございませぬ。もしさだめというものがなければ、お二人の契りほど固いものはないように想われました。
けれどもそれはもともと不幸せな縁でございました。いかに源氏の御曹子とはいえ、追手を逃れてあるの軍に急ぐ御方です。大望に生きる男に、女の情けは届きませぬ。最初から空に消える楽の音のように、束の間の運命なのでございます。
恐れていた日は意外に早くやってまいりました。十一日の昼下がり、慌しい馬のひずめの音が門の前でいたしました。武者姿が四人、長道のほこりで白くなった顔を並べて、家の者に向かい、「こちらは尋ねる義経どのの御宿所であるか」というようなことを申しておるのです。馬はまだ興奮からさめぬのか、小刻みに敷石の上で足踏みをしています。その様子は、いままでのなごやかな日々とあまりに違いました。何かしら不吉な、荒びた、血の匂いがいたしました。
振り返ると、姫は真っ青なお顔で、それでもどうにか立っておられたのでございます。こわばったまなざしで、この自分から大切なものを奪おうとするものたちを、みつめておられたのでございます。
その日がどのように過ぎましたのか、よう覚えてはおりませぬ。迎えにまいりました武者姿は鈴木三郎重行の一行であること、義経様奥州下向の機を持ち、はるばる熊野より馳せ参じた者であること、お部屋に夜半まで灯りのついていたこと、小間使いたちが調度品をかいに忙しく出入りしていたこと、門の前に、桃の紅く咲いておったこと――。そんなことどもが、姫さま嘆き悲しむお姿と重って、きれぎれに思い出されるのみでございます。それは長い一日でございました。
義経さまご出立の日は風がでました。今までののどけさと変わり、曇って、寒うございました。川に細かな波が立って、下る舟もなく、水は白く濁っておりました。わたくしは姫さまをお連れして、というより傍らからお支えするようにして、一本松のところまでお見送りいたしました。そこで菅生の川は、東の方へつの字に大きく曲っております、岸辺は深い渊を作っております。その渊のきわにある松に倚って、姫さまと二人、川を遡ってゆく馬上の人の姿が見えなくなるまでお見送りいたしました。川の瀬音も、すすり泣きの声も、松を吹く風の音が消してゆきました。
そんな日が何日かつづきましたろうか。姫さまが入水なされた日も、ちょうどそのような日でございました。風がございました。お脱ぎになりました打掛けが、州の方へ飛ばされておりました。朝からお姿が見えないので、お家中大さわぎしておりますとこのへんの漁夫が知らせて参りましたのです。おなきがらは、渊の杙にうつぶきにかかり、お袖はとれて無残なお姿でしたが、抱きかかえ岸におあげすると、お顔は昨日と同じように白く美しうございました。
川州に落ちていた打掛けの中に、義経さまのお形見の薄墨の笛が、はいっていたと申すものもございます。まことかどうか知りませぬ。いまではすべてが、人の命までが幻のように思えてまいります。確かなものはただあの流れの音。盲目の目に見えます白く波立った行方しれぬ水の姿ばかりでございます。
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