「高原のレタスは何故柔かいのでしょう」
テレビのクイズ番組で、アナウンサーが解答者たちに尋ねた。正解者がいたかどうかはちょっと覚えていない。答えは、
「高原の霧がレタスを柔かく包むから」
で、あった。
高原のレタス、と聞いただけで爽涼の大気がすぐそばに感じされ、何となく心が騒いだ。だが30分の番組はすぐすすんでしまう。そのまますっかり忘れていたが、夏もすぎて九月の声を聞いた頃である。主人が急に、「週末に八ヶ岳あたりにでもいってみようか――」と言い出したのだ。あのあたりの高原といえば、蓼科か、中央高原であった。
その朝は早く自動車で出発した。中央高原道路を東北に進み、8キロもある恵那山トンネルを通って、北上する。
駒ケ岳を左に見て朝食、そして伊那へ。そこから高速を離れて、高遠への道に入る。
桜の高速もシーズンを過ぎると平凡だ。有名な高遠まんじゅうの店も横に見て、そのまま来るまで素通りしてゆく。それからは緑に染まった杖突街道の長い登り坂だ。
杖突峠にさしかかったところで、急に風が来たように感じた。澄みきった、まさしく秋の風である、樹々の葉に日の光がまぶしく揺れている。土曜日というのにあたりに人の影もないのは、もう休暇の季節が終りを告げたからであろうか。
峠を下りてから東に、茅野市へと向かった。このあたりから八ヶ岳の姿が大きく顕われはじめた。なだらかだが八つの峯を網羅しての威容はさすがにすばらしい。曲るごとに変容するその姿に、私たちは思わず声をあげた。
やがて原村(はらむら)に入る。白樺、から松、ぶな、などの落葉樹の森の間から、こぎれいなペンション村が見えてくる。
道ばたにはいくつかの山ぶどうがやや黒ずんでぶら下がっていた。そのそばで、白っぽい小さな花がつる状の葉の間にからまっているのが見える。「あれがホップ。ビールを作るときに入れる苦みだ。もっともあれは野性のだけれどね」と運転しながら主人が教えてくれた。
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と、急に目の前で大きな羽ばたきがした。車をあわてて止め、見ると、目の覚めるような紅い頭と緑の羽根、雉であった。あ、もう一羽、めすもいる。私たちが声をあげても、一向に驚くようすもない。ゆうゆうと連れだって森のしげみの中に姿を隠した。あとはただ名もしれぬ鳥の声が遠くの空でするばかりである。
森の道を出ると、急に牧草地が開けた。
一面、ひろびろとした牧場である。れんが色のサイロの下では、生れたばかりらしい子牛も入れて、五、六頭の牛がのんびりと草を食みつづけていた。
さて、どれだけ走ったろうか。
ふと見ると、森の一角を切倒した明るい所に、小さなレストランがぽつんと建っている。白いペンキ塗りの、だれも来ない小さな料理店。わずかに黄ばみはじめた庭先の小ならの木々。まるで宮沢賢治の童話そっくりだ。昼食をまだとっていないのに気がついた私たちは、早速そこに車を止めることにした。
中に入って、流れてくるバロックを聞き流しながら、私たちはビーフカレーを注文したのだが――しばらくしてウェイターの運んできた大盆の上を見て、私はあっと思った。カレー、ライス、そして大きなガラスのサラダ鉢に、レタスが盛られていた。すっかり忘れていた、あの高原のレタスが。レタスはこんもりと、柔かそうに、大きな渦をまいたままただそれだけが盛られていたのである。
からしのぴりっときいたドレッシングも、添えてあった。
いわばただのサラダだったけれど、私たちには大自然の息吹きがそっと置いていってくれた、ぜいたくな一皿のような気がしていた。
いまでも時々思い出す。陽に輝いた八ヶ岳を、から松の林を吹く乾いた風を。そして白いレストランでは、いつも薄緑のレタスが出る……。
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