夏の、もの憂い昼さがり。
私は郷里にいる母親と長電話している。花火大会が近づいたこと、東京から久しぶりに姪たちがやってくること…。とりたてて急ぎの用でもないことをあれこれ喋っているうちに、いつしか話題は夏の料理になった。「夏といえば、そうそう、ごまどうふ」と私が言う。「あれは胡麻1、にくず1、にええと」遠い電話のむこうで母が続ける。「それから、水が4.5……」
夏がくると郷里では必ず作るこの「ごまどうふ」は、私の家では「おふささんのごまどうふ」と呼んでいる。おふふさんとは私の祖母方の、今は亡きひいばあさんの事である。父が若い頃仕事で故郷を離れていたこともあって、正直いってひいばあさんのことは余り記憶にない。ただ彼女が「ほんにええ人やった」ことは誰からともなく語りつがれていて、私の遠い過去にかすかな暖かいいろどりを添えてくれていた。
そのころ――それは昭和の始め頃であったが――あふさばあさんは、私の実家とは少し離れた川岸で長男の大叔父夫妻たちと共に暮していた。大叔父は津の百五銀行本店につとめていたが、あるとき銀行で、行員たちの親睦をはかるためか小さなパーティーが開かれたことがあった。そのときそれぞれの家の自慢料理を一品だけ持参するようにというお達しである。息子から料理を頼まれたおふさばあさんは、嫁のいとおばさんと相談してとってきの「ごまどうふ」を作り、大叔父はそれを持って出席した。そしてみごと一等賞をかちとったというのである。この発案は時の頭取川喜田久太氏であったと聞いているが、それにしても当時としてはハイカラなことを考えたものだ。一寸ここに料理法をかいてみよう。
材料 胡麻1。くず1。水4.5。生姜の線切り。グリンピース。椎茸のつけ汁。砂糖、塩、しょうゆ、かたくり少々。
作り方
(1) 一晩水につけておいた胡麻を生のまますり鉢でよくすり、漉す。(二回程漉して全体を4.5の分量にする)
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(2) くず1をその水で溶き、ごま水と一しょにして火にかける。(砂糖と塩で少し味をつける)
(3) 小さい茶碗などを水でぬらし、とろっとした胡麻水をいれて冷やす。(グリーンピースを飾り程度に入れる)
(4) 椎茸のつけ汁を砂糖、しょうゆで澄し汁よりやや濃い目に味をつけ、かたくりでトロミを出す。
(5) 食べる前に(4)をかけ針生姜を添える。
「ごまどうふ」にはいろいろな作り方があると思うが、この「ごまどうふ」には、「一晩水につけておき」「生のまま」ということにどうやら秘密がありそうである。何ともいえないつるっとした淡白な舌ざわりは、近頃のその場で煎ってすりつぶしたというのとは一寸違う、ゆっくりとひまをかけた、いわば手づくりの時間の中にこそあったような気がする。主婦たちがまだ「ぜいたく」な時間をもっていたころなのだ。
お盆などの人のよく集まる田舎では、この「ごまどうふ」は貴重がられた。大勢の客たちの前に出されるものがいっぱい具の入った「みそ汁」、「平」、「あえもの」など、それぞれ女たちの腕のふるい所であったが、最後になると「ごまどうふ」が出てくる。待っていましたとばかり人は争って賞味して、「なんともいえんええ味じゃ」とくちぐちにほめたという。
この話は私の祖母へ、母へ、そして私へと伝えられた。或いは多少粉飾されているかもしれない。しかし私にはこの田舎の「ごまどうふ」の味といっしょに、昔のなつかしい大家族生活、広々とした家のたたづまい、ことにおふさばあさんの小さな襷(たすき)がけの甲斐々々しい後姿をほうふつとして、思わず頬がほころんでしまうのである。
「さっきのパーティーで一等をもらった話、ごほうびは何だったの」私は受話器のそばで母にあつかましくも聞いてみた。「いとおばさんたらね、いつもうふふと笑って答えてくれないのよ」という返事であった。
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