久しぶりに広小路を歩いた。いつもなら地下鉄や車で素通りしてしまう納屋橋のあたり。狭い運河の汚れた水面が、夕陽に赤い縞目になっているのを見るのは、ほんとうに何ヶ月ぶりだろう。錆びた橋の生暖かい手摺りを、子供のように掌で触ってゆきながら、ペーブメントの欠けた台石に躓きそうになりながら、長い間忘れていた歩く手ざわり(?)を思い出していた。私にとって歩くというのは、こういう手ざわり、足ざわりなのである、時間を気にしながら流れる車の間を縫って必死に進むのは、歩くのうちに入らないのである。ニューヨークの五番街が歩行者のために解放されたとき、靴を脱いで裸足で歩いたという人の気持が、とてもよく判るのだ。
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広小路を歩行者天国にしようという動きに対しては、種々もっともな異見があるけれども、休日のムンムンする歩道をぎっしり埋めて歩いてゆく人の波にもまれていると、例え週に一日でもいい、人々が狭い地下街から地上に蘇る日があるべきではないかとつくづく思う。私なら、あの厄介者扱いをされている路面電車を残そう。よくミュージカル映画などに出てくるような、動き始めた電車にでもひょいと飛び乗れる位のノロノロ運転にして、歩き疲れた人や老人子供たちを乗せる。ビルの下には、懐かしい屋台が復活するだろう。屋台はむさくるしいものとは限らないので、とりどりのしゃれたテントの廂を出した古本屋、花屋。ポスターを売る店、鉛筆の店。ハンケチの店。夏なら金魚屋、かき氷の店。街路樹の隣のテントをのぞいたら、誰かが絵の展覧会をやっていた、ということもあるかも知れない。こういう屋台や雑踏には、そして電車のガタンゴトンという音には、やはり妙な言い方だけれども、歩く手ざわりがあると思うのである。
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