表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
朝の市


 この土地に初めて来た時、珍しく思ったものに朝市がある。住んでずいぶんになるが、いまだに平凡な日常に色どりを添えてくれるものの一つだ。五日に一度ぐらい開かれるが、早朝市の始まりを告げる花火の、景気のいい音をきくと、行くつもりのない人まで何かいそいそした気になる。天気のいい日はなおさらだ。
  大通りの両側を白いテントがびっしり並んで歩道はもちろん車道まではみ出した人たちでいっぱい。大抵は子供連れのおかみさんたち、エプロンがけで、古びた乳母車を押してくる人も多い。売っていない品物はない、といってもいいくらいだが、何といっても活気のあるのは季節の野菜と果物の店。安くてとびきり新鮮だ。仕事着のままのおばあさんが、露でそでがぬれるくらい大かかえの菜を値切っている。土だらけのさつまいもがどっさり、鼻たれの赤ん坊と一緒に乳母車にごろごろする。
  小ぎれいなスーパーマーケットで、奥様の指輪の手が、しょんぼりしたビニール入りの菜っぱをたった一つよりどるのとは、違うのだ。
  この土臭く、野暮ったい、だが健康で見栄張らぬ市のふんいきは、おおらかな昔風を思わせて魅力があるが時と共に失われがちなこうしたならわしが今まで生きのびてきたことには、人々の生活を流れる時間の逞しさを感じるのである。


 

(『朝日新聞』63年9月24日)