表紙/裏表紙
T
晴着 10
おむすびのこと 12
歩く 17
コーヒー挽きのこと 19
六つめの駅 23
ある記憶 27
シュークリームと私 30
行けなかった画廊 33
二匹と一人 36
つれづれの記 40
花火の思い出 44
絵の好きな少年 48
九月の花嫁 52
匂いをもつ幸福 56
むかで 60
九月のレタス 64
はぎとられた蔦 68
遠くのリンゴの木 71
おやつの思い出 75

U
時間のむだ使い 80
アカシヤ考 82
驚く心 84
贈る 86
卵と次男 88
ある風景 90
コーヒーの味 92
スポーツの楽しみ 94
朝の市 96
ぜいたく 98
小さな出来事 100
顔 102

V
中部の女――岡崎(上) 106
中部の女――岡崎(下) 110
水の行方――浄瑠璃姫譚 
  東海のロマン1 114

六本榎悲話 
  東海のロマン2 122

白糸奇譚(しらいとものがたり)
  東海のロマン3 130

W
ふるさとのお正月 140
雛祭りの思い出 144
ふるさとの味 147
六月のころ 151
私と詩と 155
詩と夢と 160
乗客ひとり 164
おふささんの「ごまどうふ」 168
菊やんの奥さん 172
抽斗のこと 176
言葉が話せない 180
私のふるさとの家 183

黒部節子 年譜 188
あとがき 190
ぜいたく


 近ごろは、どこのデパートにも高級品売場というのがある。特売場のけんそうから出てきた身には不気味なほど静かで、人影もまばら。目の保養にでもと粋と贅をこらした陳列品をみて歩くが、伏せてある価格が時に表を向いていたりすると、このぜいたくの豊かな静けさも、しょせん、われわれとは別の世界と思わざるを得ない。
  十年ほど前、私が奈良で下宿をしていた家のあるじは、かなりの地位の人であったにもかかわらず、町でも一番古い三間きりの家に住みその生活は地味で、調度も衣服もきわめて質素だった。広くもない庭は畑に耕され、鶏小屋がたっていた。あるじの唯一のぜいたくは神仏像の蒐集だったがそれも大方は博物館に預けておき、自分はその時々に見たいものを出してきて楽しむ、といった風であった。
  ある時、私は一対の古い木彫の神像をみせてもらったが、その半ば欠けた、素朴な彫りの顔には、何ともいえない豊かな静けさがあって、あるじのそれを愛する気持がわかるように思ったことがある。
  私は、その家の屋根裏に住んでいた。天井も畳もない狭い部屋だったけれど、かしいだ窓からは、東大寺の屋根と三笠山の端の月が一望に見えて、これほどの贅はないと思った。ほんとうのぜいたくとは、どうやら心の問題であるらしい。


 

(『朝日新聞』63年9月30日)