Kさん。
今日で三月も終りという日。思い立って田舎へ帰りました。
松阪の駅から三時間に一本というバスに揺られて。いつか乗客は私ひとりになり、たんぼの中の停留場におりてふと気がつくと、あの神山(こやま)さん(山の名)の麓の桜が寒そうに、でももう咲いていましたよ、夕焼けの中でね。
あの桜が咲くころは、今年もやっと春がきた、いかにも平凡ですけどやっぱりそんな気持です。よく「木の下に死人がつまっている」などというけれど、この田舎の桜には似あわない。木も土のくれも私たちも、どこかに一しょになって育ってきた、そんな感じがあるからでしょうか。ここで生まれた人達が皆ちりぢりになっていても。
田舎の我家はもう長いあいだ留守。ときどき私が留守番にやってきます。二重になっている鍵をまわし、私と、それからいっしょに入ってくる小さな風のために、くぐり戸をあけてやります。誰もこなくなって久しい庭を、いつかた咲いているのか、蓮翹(れんぎょう)の眩しい黄色があたり一めんを満していました。
八畳、八畳、六畳、八畳、四畳半。そしてがたぴしいう曲り廊下。納戸、戸を開け放つと、裏の藪でホーホケけキョと、鶯が鳴きました。いつまでたってもホーホケケキョと一音多く啼いてしまう鳥のことを、ずっとまえにだれかから聞いたという気がしました。(それとも夢の中でだったでしょうか)
六畳の居間。私はここで仕事(?)をします。仕事といっても、本を読んだり、見知らぬ人から送られてくる詩集をひもといたり、御礼状をしたためたりします。
ここに帰ってゆっくり詩集を楽しむこと、去年の夏覚えました。どこからも中途半端な距離の岡崎よりも、三時間に一本のバスしか通わない松阪の田舎の方が、よく耳がきこえるような気がするのです。(東京だったらあの地下鉄の中でのように、私などツンボになってしまうのでしょう)
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この頃の詩集は目で読むものが多くて、それはそれで面白いものですが、やはり私はこの人の内側の声をききたい、そう思うときがあります。そんな時、この空気の澄んでいる所へやってきます。すると耳がふしぎによく聞えます。よく知っている人はもちろん、お名前だけで顔をしらない人の声も、きこえる時があります。友達もとうにいなくなった田舎ですけど、昼はうぐいす、夜はいくたりかの人のかすかな声に囲まれて、淋しくはない、そう思ったりするのです。
Kさん。
私は相変わらず「エスキス」を書いています。貴方たちの言葉では「デッサン」とか、「素描」とか言うそうですが、要するに何を書いてもいいのだと思います。もっとも私のはもっといい加減の「出来つつあるもの」、けれど「まだ何でもないもの」だからまた「何でもあるもの」なんです。病気をしてから、詩というものが恐ろしくて、出来なくて、仕方なく「エスキス」からと思って始めました。それは大病をしたあとのはじめての「私」であり、はじめての「もの」であり、それはそれでちゃんとした存在理由をもっていました。このごろそれが何となく怖くなってきたのです。「はじめてのもの」なんてきっと一回、せいぜい十回位でいいんです。「はじめてのもの」をずっと書き続けるのは、なんてむずかしいのでしょうか。
貴方はどのように考えていますか。「いいデッサンが出来た、と思った時はもう終りだ」いつかそんなことを言っていた事がありましたっけ。
急な階段をのぼってゆくと、二階のくらい窓から草原が見え、ぼんやりした川が見えます。そのずっと向うに、うす墨をはいたような鉄橋。今、小さな灯をつけた汽車が音もなくわたっていきます。汽車が神山(こやま)さんの麓にかくれてしまうと、急にあたりが暗くなりました。
もう、仕掛けておいたお米が炊けたころです。それよりも早く戸を締めなくてはなりません。
Kさん。お元気で。ときどき、思い出して下さい。そのときはきっと、私はここにいますから。
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