さても木とういうものは不思議よの。人ならばとうに忘れてしまうことをいつまでの覚えとる。年輪の固い節目と節目との間に、ずっと昔見聞きしたものを、そっくり埋め込んでおるのじゃ。
あの榎の一本を伐ったときに、その切り口の輪が赤う染っておったというのも嘘やない。わしらが小さいとき、この目ではっきり見たことだ。その赤いものが、斧を入れた作造さの手について、伊賀川の水で一晩中洗うてもどうしてもとれなんだというのも、これも本当の話よ。作造さはそれから二年たたぬうちに気がおかしゅうなって、狂い死にしよった。作造だけやない。手伝うた若い衆も、みな馬にはねられたり、川に落ちたりして、まともに往生したものはなかった。榎の木がずっと昔に受けついだ怨みを、まだ忘れずにおったとしか思えぬ。
今から三百年前といえば、気の遠くなるような昔の話だがの。
それは元和の初め、本多豊後守さまが岡崎の御城主であった頃じゃ。
奥に仕えていた腰元にお福という者がいた。年は十八にもなっていたろうか、かなりの家の出ということだが、その頃は家も絶え、身寄りもほとんどなくなっておった。
このお福という女、腰元にしておくには惜しいような器量。気性も優しく分をわきまえた娘で、それが何であんな大それたことをしたのかと、あのあと娘を知っていたものは誰ひとり、思わぬはなかった。何事もなく、まじめに勤めあげておれば、よい縁もあったろうにと噂したものじゃと。
だが人の世は何ごとが起こるかわからぬ。どんな魔にみ入られたか。このお福が下町の亀蔵という大工に、懸想してしもうたのよ。
ことの起こりはお福が、唯一人の身寄りだった乳母の葬式に、幾日かの休みをもらって、城下へ下っておったときであった。葬式の手伝いにきていた者のなかに、その亀蔵という男がいた。町内に住むまだ駆け出しの若い大工で、女手一つの乳母の家の造作など直しに出入りしていたのが、施主の急死したあとも何かとある用事に、そのまま働いておった。それが帰ってきたお福と、折にふれ言葉を交わしている内に、いつか心を通わすようになってしまった。
この亀蔵という男についても、大工に似合わぬ内端者だったというが、財木町に住んでおったという以外は素姓が知れん。お互い身内の縁の薄い独り身を慰めあうて、とりわけ女の方は思いがけぬ不幸に心細くなっているときだ。この世をはかなみ託っ心が二人を結びつけたのかもしれぬ。
しかしむろん御城で色は事はきつう御法度じゃった。この仲は人に知られてはならぬ。休みが明けてお福は奥へ戻ったが、いっときはこの恋を思い切ることも考えぬではなかった。とはいうもののあやめも知らぬが恋の慣い、忘れようとすればするほど心はあらぬ方に飛び仕事も手につかぬ。名を呼ばれても聞こえず、手なれた御用にも思わぬ粗忽をするありさま。夜は夜で浅い夢のなかに、白い夏衣の乳母と、後ろむいた亀蔵の少し猫背の姿とが、交るがわるあらわれては、若いお福の心を乱した。
いつかお福は、亀蔵に秘かに遭うにはどうしたらよいかを思案するようになった。そして一計を案じた。城下へ出るには内そと二つの堀を渡らねばならぬ。城内はともかく、外堀にかかる橋にはそれぞれ門があって、許し状なしに外に出ることはできない。そこで城北の、ちょうど崖が高く切りとおしになっている蔭の淵にお福はひそかに人ひとり入れる程のたらいを忍ばせて、新月の夜を待った。一日の月が闇に紛れがちなのを幸い、亥の四つ(午後十時すぎ)を過ぎたころ、たらいを降ろし堀にはいった。そのあたりは堀幅が広く、渡るに不都合だったので、石垣に生えた草につかまりながら、ともかくも二の丸近くまで行った。そしてかねて用意の竿をさして一気に向こう岸に渡った。
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さてその辺は東の見付近くで、かよわい女がどのようにして、石を攀じていったのか見当もつかぬ。亀蔵がかねてしめし合わせてあった綱を、土手から降ろしたともいう。あるいはそれが本当かもしれんの。
こうしてお福は御堀の土手に上がったが、この上には高さが五六丈もある古い榎の大木が六本、うっそうと茂っていて、「六本榎」と、人々は呼んでおった。もう夏の終わりで、茂った葉が黒黒と重なり合い、それが夜風にざわざわとさわぐなかをかきわけるようにして、お福は城下へ走ったのじゃ。
こうして世の明ける前には、もう城に戻っていったお福だったが、短い逢瀬ながら首尾よく思いが叶うてみると、もう亀蔵なしにはいっときも生きてゆけぬ気持ちがする。一度うまくゆけば二度めもうまくゆくと思うものじゃ。されその二度めの晩だが、その日はどういうわけか、出がけにはいて出た草履の緒がプツリと切れた。急いではきかえ、暗い堀端の木隠に走ると、何やら裾が足にまつわりつくようでうまく走れぬ。さっきの鼻緒といい、不吉な気がしないでもなかったが、心は待つ男のことでいっぱいで、よもやこれが亡くなった乳母の引き止めておるとは露にも思わぬ。前の時のようにたらいを繰って闇夜を漕ぎだした。土手の端にある常夜灯が、ぼうっと光を水の上に水の上に投げている。
こんどは用意の綱をたよりに土手を上ると、待ちかねていたらしい亀蔵がいきなりお福を茂みにつれこんだ。声を殺して、「しっ、追う手じゃ」というのである。青くなったお福が問い返すまもなく、
「とり押さえたぞ!」
木の間から黒い影がバラバラと踊り出て、二人を囲んだ。
「お福、逃げろ!」
と、男の必死の声に、女は土手に沿うて走りだしたが、何歩もゆかぬうちに掴まってしまった。亀蔵の方も、いっさんに坂を下り連雀口の方へ逃げようとしたところを、これも後ろから足を払われ、どうと横ざまに倒れた。
誰が密告したのか、これが二人の短い運の尽きじゃった。三日経つと傷を負った亀蔵は死んでしまい、お福だけがお白州に引き出され密通の御吟味を受けた。ところがどうしてもお福は口を割らぬ。証拠品のたらい、綱、男の部屋から出たはしりがきの文などを見せても石のように黙ったきりじゃ。しまいには土手の、二人が捕らわれたあたりの榎の一本に綱で搦めて、棒や鞭で痛めつけてがそれでも言わぬ。罪人の分際でお上にたてつくと、罪は二重三重にも重うなって、とうとう四十二日の刑を言い渡された。即ち十日に手の爪を抜き、十日に指を切り、十日に足の爪を抜き、十日に指を切り、二日に両眼くり出し、四十二日間にご成敗あったのじゃ。
身から出た業とはいいながら、何とも浅ましくも惨いありさまであったとよ。うつうつと茂った六本の榎の葉むらから、昼も夜も血肉の匂いがし、人のものとも思えぬ呻き声が洩れて、最初のうちは遠巻きにしていた人々もしだいに怖気がさし、このあたりに近寄るのも忌むようになった。
そうさな、なんでお福がそのように頑固に口をとざしていたのかは誰にもわからぬ。当の亀蔵は死んでいるのだし、義理立てすることは何もないのに。それとも誰にもいわず、どんな責め苦にも耐え黙っていることで、お福は己れの恋を守ったのかもしれぬ。怖ろしい地獄のなかの、それだけが唯一の灼けるような喜びであったのかもしれぬ。
お福がそんな惨い死に方をしてからは、何代かに渡るというその祟りを恐れて、お城では愛宕山に塚を立てて二人を葬られた。祟りはそれ以来、ふっつり絶えたともいう。
だがその尽きぬ怨みは、木が受けついだのじゃ。榎を伐った作造さたちが狂い去んでしもうてからは、残りの木に手をふれる者もなくなった。
いまでも夏の終わりになると、繁るにまかせた木の梢から聞こえてくる。何百年も前と同じ、不吉な熱い、あの葉ずれの音じゃ |