大きな樹はいい。いつ見ても心が豊かになるようだ。田舎育ちの私には、とりわけ木立が恋しく思われる。数年前、畑をならした高台に家を建てたが、植木をいれる余裕もないので、育ちの早いというアカシヤの苗を、近くでとってきて植えた。そのやさしい名前にふさわしい、未知の夢を育てる楽しみもあった。木はどんどん伸びた。
一年後には人の背を越し、三年目の今日では、七メートルほどの高さに鬱蒼とした葉を茂らせるようになった。そのたくましい成長力には驚いたが、正直いってそれは私の夢とはかなり違っていた。枝葉がもろく、散りやすく、やたらに繁殖する。枝の出方もおよそだらしがなくて始末におえない。一口に言えば樹としての風格がないとでもいおうか。一体に樹には何か超越的なものがあるのだが、この木にはいかにも俗っぽく、人間くさいのであった。あるいはそれは、ブルドーザーで山をならし、見る見るうちに出来上がってしまう当世の住宅には、似つかわしいのかも知れない。
しかし、この木にも愛すべき所がないわけではない。まず初夏に思いがけず開く白い花房。そして夏になると集ってくるとりどりのちょうや虫たち。夜の風の中のレースのような葉の流れ――。それをみると、とてもきる気にはなれないのである。
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