私には、いわゆる私の机、というものがない。このところ常用の机にしているのは座敷用のま四角な机であるが、これもどうしてもこの机がなくてはならぬというものでもなく、この部屋に主人への来客があれば机の上のノートをもってさっさと台所へ退散する。冬になれば陽のさしこむ客間の廊下の机へ移る。もっと寒くなれば、そこにある小さな電気こたつを机代わりにしてしまうのだ。
だが、私は机というものに執着がない、といったら、やはり嘘になるだろう。私の机はそれ程要り用とは思わなかったが、机の抽斗(ひきだし)は欲しいと思っていたからである。
小さい時、始めて机を買って貰った私は、まずその真中の大きな抽斗を開けた。それから右に四っつついた抽斗を一つ一つ開けていった。一つ一つにはぷんと新しい木の匂いがして、始めてこれが机なのだ、という気がした。机には必ずついている抽斗。抽斗には何か秘密めいたものがある。その暗く甘い匂いを、幼な心にぼんやりと感じとったのかも知れない。
そういえば、抽斗には一つの美しい思い出がある。
もう四十年近くも前になるだろうか。その頃私は、東京でうけた戦災のために家族といっしょに故郷――当時の三重県飯南郡漕代村――の帰っていた。
だだっ広い夏の田舎の家は、これが戦時下だととても思えぬ程、静かだった。この家には私たちの外に、ちょうど都会から疎開してきた子供づれの叔母たちも居たのだが、広い屋敷の中では声も足音もなぜか消されてしまうらしかった。もっとも空襲警報の出ている時や食事の時は少しく騒がしくなる。だがそれがひとしきりすむと、あたりは嘘のようにひっそりとした。
家の中ほどに屋根裏に上る階段があった。
狭い梯子段を登ってゆくと、小さな踊り場があり、それに続く短い廊下はそのまま屋根裏部屋に通じていた。
幼い時は私もたしかにこの部屋にいったことがあったらしい。当時女学生だったこの家の一番下の叔母がここを個室にしていたからである。もちろん今はとうに空き部屋で、誰が使ってもいい部屋の一つになっていたが、しかし遭う人もないのにわざわざ狭い階段を登ってゆくのは何となくはばかれた。個室というものの持っているあるまなざしがあの部屋にまだ少し残っていて、来るものをひそかにはばんでいるようだった。
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あの日私が屋根裏へ登っていったのは――そう、あの午後の異様な静けさのせいだったかも知れぬ。無意識のうちに私が私を誘っていったのだ。壁のむこうでは夥しい蝉ばかりが鳴きたてていた。
長いあいだ使われることのなかった屋根裏の部屋。だがこの部屋に一歩入るや、そこに置かれてある物たち、琴を入れた黒い漆の箱や本箱、火鉢などが、みるみる私の脳裏によみがえってきたのである。僅かに陽の当った南側の端には、見覚えのある色褪せたどんす(・・・)をかけた机と、椅子があった。
机はしん(・・)としていた。抽斗に手をかけようとして、迷った。しばらくはその沈黙に近寄れないでいた。思い切って把手に指を入れさっと引くと、カタと音がして、思いがけずあっけなく開いた。
明るくなった抽斗の中に見たもの――使いふるしの便箋。セルロイドの物差し。古い手帖(何もかいていない)。櫛。琴爪一個。短い鉛筆。リリアンの飾紐のついた銹びた鋏――それらもうほとんど物でないような物たちの間に、小さな紙包みがあった。開けると、花だけをちぎった麦藁菊がなんと三十あまり。たったいまとってきたばかりのように、黄色、えんじ、だいだい、白と、あやしい夕方の光を浴びて古い花たちは輝いていた。
いつか私は幼い昔に帰っていた。「節っちゃん」と千やん――叔母の名前――はうしろから叫んだ。「ちゃん」の語尾を少し上げて。私は外の眩しい光を見ている。千やんはきっと女学校の制服を着ている。もう夕方だもの。私はごめんなさいといおうとして、でもなぜか声にならない。思い切って振り向くと、ああ、私は盲になってしまったんだろうか、暗闇の中に遠い蝉の声が降りしきるばかりで、千やんの顔も制服も見えないのだ………。
それからどうしたのか、覚えていなかった。狭い屋根裏の階段をそうっと降りながら、なぜかこのことは決して誰にも云わずにいようと思っていた。花のことも屋根裏部屋のことも。
そして四十年。
目をつむると、今も黄やえんじの不思議な怪しい花の色合いがよみがえってくる。
抽斗のついた机をなかなか持てないのは、私のこんな思い出はあるからかも知れない。
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