昼すぎて、雨になった。
降りはじめの雨の音をききながら、何気なくそばにあった才時記をめくっている。
初夏の頃の、朴の花というところに、「葉は樹に似て長さ一尺をこゆる長楕円形、五月頃枝頭に木蓮に似てもっと大きい白い花を開く」とある。ふと、思い出した。
いつか母といっしょに、近くの八橋の無量寿寺にかきつばたを見にいったことがあった。
かえりに裏の茶室をのぞくと、二、三人の和服の女性が客にうす茶を立てていた。床の間の花活けに、大きな葉が一まい、それに白いこれも大きな花がさしてある。客の一人があれは何の花とたずね、「朴の花です。山からとってきましたので」と、これはかなり年配の、女主人らしい人の声であった。
お菓子には淡い草色に渦を巻いた小さな餅菓子がでたが、よく見ると淡い色の中に、こまかな蓬(よもぎ)が入っている。
はじめて見る大らかで静かな朴の花と、可愛い渦巻きのお菓子とが、何の脈絡もないのに初夏のみずみずしさのなかで溶けあって――そんなことをまるで昨日のことのようにありありと思い出すのも、このやさしい雨の音のせいかもしれない。
今朝は下の通りで、朝市が立った。
下駄ばきのまま八幡さんのところまで出かけてみた。
もうかなりの人が出ている。花、靴下、簡単服、ズボンなどの店が並んでいる。しかし多くは野菜、魚、果物、乾物、菓子などの食べものを売る店である。中でもむしろの上に、土のついた筍がどっさりつんであるのが目についた。「今朝とってきたんヨ、孟宗だよっ」あんちゃんがどなっている。
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そういえば主人の祖父も筍の好きな人であった。近くの空地を買い、自分用の藪を作っていた。ところが隣の農家から、藪が出来たために畑が蔭になると苦情が出たらしい。しかも竹の莖が伸びて、畑の中に芽を出すというので、一間ぐらいの石垣を地面の中に作って地下莖を防いだという。
今では考えられないことだけれど、しかし掘り立ての筍はとにかく美味しいのだろう。とはいっても、小人数の私の家では、一度に一本を料るのがせいぜいである。市で買ったたくさんの筍を、昔風の大きな乳母車にがらがら積んで帰ってゆくおばさんたちの家では、これも昔風のへっついにかけた大きな釜で煮るのかも知れぬ。このあたりには石屋が多いから、明日あたり石工さん達の昼御飯のお菜になるのではないか、と思ったりした。
帰り道では前の奥さんといっしょになった。
奥さんは足助の人である。
在所は小さな料理屋で、お父さんが仕入れ、料理はお母さんがほとんど一人でやっている。
冬は猪、雉の肉鍋。夏は巴川でとれる鮎。今は山菜で、たらの天ぷらとか夏わらびの和えものとか、こんにゃくの刺身とか、身ぶりを混ぜて教えてくれた。
そこでは日によって献立が違うし、急にいっても何もとれないときもある。なんせ、じかに採れたものでようやく料理するのですから、というのである。
私は急にそこにいってみたくなった。素朴な、というより、人にあたらしいものを食べさせる心がまだ生きているような気がして。それにあの煌めくような巴川のせせらぎ、淡い山藤の花。釣人たちがまだやってこないひっそりした山里のけはいは、きっととてもぜいたくなものに違いない。
そんなことを、奥さんの生粋の三河弁といっしょにぼんやり思い出していると、いつのまにかもう夕方なのだろう、家の前を新聞配達の少年が自転車で走りすぎていく。
雨はまだ降りつづいている。
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