子供が学校から帰ってくる。おやつもそこそこに、さあ宿題、学習、おけいこと、近ごろの子供は全く時間をムダにするということがない。たまに窓の外に乗りだしていたりしていると、「まだ宿題すんでないんでしょ。なまけてちゃダメじゃないの」「だってお母さん、あそこにトノソマバッタがいるんだもの」「バッタですって? ああ理科で習うんだわね。じゃよく見ときなさい」こういうのも、近ごろでは笑い話にもならない。子供を遊ばせておくのはもったないから、ピアノを習わせるというのなぞは、至極当りまえのようだ。
時間をムダにしない習慣を養うのは、いいことだ。だが何もかも、ただ目先の有意義にのみ捕われているような生活は、一見充実しているように見えるが、何とも味けない。子供はちゃんと銘打った額縁つきの時間よりも、むしろ一見無益な時間の中から大切な心の栄養を吸いとってゆく。窓の外の樹を見ている時間、道くさをしている時間、古いがらくたをごそごそとかき回しているような時間に。
夏休みも、あまり立派なスケジュールで生活表を一ぱいにしないように。子供だけの、自由なむだ使いの時間をたっぷり与えてやろう。大人になってからは、いくら望んでも、もうとてもそんなことはできないのだから。
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