田舎で、祖父の二十三回忌の法事があった。
近くに住んでいる親戚が集まって、墓参りをすませ、亡き人の思い出話もあらかた途絶えたこと、だれかが
「そうそう、このあいだ、菊やんの奥さんが大けがをして」
と、言い出した。
「そら、精米所の前に、小さい十字路がありますやろ、あそこんとこでさ」
その日、お昼になったので、菊やんの奥さんは、急いで50ccのオートバイを走らせて畑から帰ってきた。そのとき左手から走ってきた車と交差点のまん中で衝突してしまったというのである。信号などない、見通しのいい道路だから、きっと、どちらも相手が止まると思ったのだろう。
車の方は、何もなかったが、軽オートバイは、車の前輪に触れてはねとばされ、奥さんは、道の周りに作ってあるコンクリートの溝のふちにたたきつけられた。荷台に積んであった採ったばかりのトマトやニンジンが、大きく輪をかいて空に飛んだ。話をしていた人は、偶然その場に居あわせたのだ。
「私が抱き起こしたんだけど、もう足と顔がめちゃめちゃになってね。どくどくと血が吹き出るのよ。痛い痛いと言いながら<どうしよう、田んぼが、田んぼが>って言うの。田んぼなんて、どうでもいい、あんたしっかりしな、と言うんだけど<私が(田植えを)しなかったら、田んぼはどうなる>って」
その奥さんには、私も一度遭ったことがある。どこにでも見かける、おとなしい、普通の奥さんだった。だが、その話を聞いたとき、私は、はっと胸をつかれた。――私がしなかったら、田んぼはどうなる――この言葉は、ほんのいままで、ただの野次馬でしかなかった私を、いきなり血の吹き出る事件の現場へと連れていったのだ。私は今まで、このような言葉をもらしたことはなかったのである。
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二、三日して、私は、この話を岡崎の家に遊びに来ていた若い女性たちに話してみた。都会に住んでいる女たちにとって、事件の見方は、さまざまだった。
農家のお嫁さんの、つらい立場がよくわかる、といった人もいたし、この奥さんは、よほど気の強い責任感のある人だという人もいた。田植えは「日にち」を争うものだから、そんなことを言うのは当然、というのもあれば、また、このような義務感で一生をくくられるようでは、嫁の自由はなかなかだ、と突き放す人もいた。
皆が一様にふしぎに思ったのは、事故の加害者である車の持ち主の話が、田舎の人たちの間で、ほとんど出なかったということである。ともあれ、話はいつのまにか「女の幸福とは」になり、話題は大きくずれていった。その夜、私はなかなか寝つかれなかった。
あの悲鳴のなかで発せられた言葉「私がしなかったら」と奥さんに言わしめたものは――もちろん彼女の責任感でもあるが、それにもまして――土への愛情ではなかったろうか。平凡な帰結のように思うけれど、これは、私の実感である。それは、彼女の中で長い間かかって、ひそかに築きあげられたものだから、かえって外の人には、否、本人にさえ気がつかないのだ。
毎年このころになると、水の入った代田に田植え機が入り、みるみる田植えが仕上げられてゆく。若緑の美しい植え田には、雨上がりの風が吹きわたる。昔と違い、稲作も、ずいぶん近代化されたが、仕事を終えて帰るときの、あの満足感、充実感は、他人には、決して得ることのできないものだろう。奥さんにとって――と、私は思う。田んぼは、きっと自分の子供と同じようなものだ、と。
菊やんの奥さんのけがは、幸いにして、二ヶ月の入院ですんだ。もう七月。夫やおしゅうとめさんが協力して、植えた稲は青々と成長して、夏の光をまぶしく照りかえしている。
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