私は時々、こんな光景を想像する。
ひっそりした日のさす神殿のベランダ。たくさんの土偶が並べられていて、うす汚れた衣のそでをたくしあげた神様が、指先でそれらに片っぱしから目をつけたり、鼻をこしらえたりしている。神様のごきげんのいい時はまともな顔立ちの人間が生れるが、神様がふきげんだったり、おなかがすいてきたりすると、つい指先も鈍りがち。どんぐりまなこや団子鼻が出来てしまう。とすると、私たちはこの神様のきまぐれのままに、一喜一憂しているということか。
私の顔は、おめでたい顔なのだそうである。正月にこたつの中で、みかんでも食べながら大口あけて笑っているにはぴったりだが深刻に人生を論ずるには適さぬのである。だが、もうそう言われて目くじら立てる年でなくなった。だれもが眉目整ったお利口そうな顔ばかりの世の中だったら、やはり味けないに違いない。神様の気まぐれもまたよきかなである。
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